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この小学校にも山の上の保育園と同じ状況だった施設がありました。
2年前に大学生達がフィールドワークの一環で泊り込みで建設を始め、途中でストップしてしまった2階建ての建物は子ども達のための職業教育に使われるはずでした。でも私達が半年前に初めて小学校を訪れたときには放り出されたままの建物が雨風にさらされたままでした。 当初の計画としてはこの建物を野菜畑・養豚場・魚の養殖場等々が囲む筈でした。この施設は小学生と言えども卒業後は家族のために働き始めなければならない子ども達に手に職をつけさせようと職業訓練をするために考案されました。 ![]() ![]() いつ下りるともわからない政府予算をあてにしていてはいずれは建物も朽ち果ててしまうでしょう。見るに見かねた友人が寄付を募り、あるカナダ人の篤志家が建物と周辺の施設のための資金を寄付してくださり、敷地を囲む通路の予算は私がお願いした日本人の方の寄付でまかなえることになりました。 最終的な完成は2月末を予定しています。これで政府予算を期待していたのではおそらく5年以上かかったであろうプロジェクトが私達が手をつけてからは半年強でスタートできます。 一番良いのは小学生全員が中学へ進学することなのですが、ビルマ移民の保護者達の大多数が子どもを出来るだけ早く働き手にすることを望んでいる現状では、その意識を変えるのは時間がかかるでしょう。 ネットワークの専門家の応援を借りて保護者会等でその努力はしていくつもりですが、とりあえずはこの施設が学業半ばで巣立って行かなければいけない子ども達の未来につながってくれるのではと期待しています。
以前の記事にも書きましたが去年7月から支援をスタートしたチェンダオ郡のメーオーナイ村の小学校と保育園に行くにはまずチェンマイ市内のチャンプアックバス停からバスに乗り、およそ1時間半ほどで最寄の降車地点に着きます。そこからは公共交通機関もない5kmほどの道のりですが、メイン道路から入るその道程はトレッキングコースにもなっていて山間部の素晴らしい景色が広がっています。
普段は学校の先生が迎えに来てくれますが同じく村の支援をしているシンガポール人女性と一緒だと「よし、歩こう!」ということになります。良い空気を吸ってストレスなく歩けるのは毎日1万歩を目標にしている身には絶好のチャンスです。 でもその場合には事前に訪問を連絡するのはご法度です。ホスピタリティー以前にタイ人にとっては5kmもの道を歩くのが信じられないようです。ですから半強制的に迎えに来てくれてしまうのです。 ![]() 険しい山道でもない田園風景を快適に歩いていると必ずと言って良いほど村人の車やオートバイが停車して「どこに行くのか?乗って行けと」言ってくれますが、それもお断りして「歩くのを楽しんでいますから」と言うと納得のいかない表情で去って行きます。その時に行き先を言わないのは一度など校長に『通報』され、あわてた校長に『救助』されてしまったからです。 校長先生からは「大事なお客さんを迎えにも行かないで歩かせている、と評判を落とすから迎えに行かせてくれ」と懇願(?)されるのが少し気の毒だとは思ってはいるのですが。。
チェンダオ郡メーオーナイ村の支援先の一つ、村の保育園の先生から「リス族のお正月に来ませんか?」と電話がありました。
中国正月(旧正月)とリス族のお正月は毎年同じ日に祝われていますが、その行事や風習は大きく違っています。 その一つにリス族の男女が元旦の夕刻から翌朝にかけての夜を徹しての踊りがあります。三味線に似た楽器の音色にあわせて、男女が手をつなぎ輪になって踊るのです。少し悲しげにも聞こえるその音色と動きの少ない踊りは彼らの神に捧げる神聖な儀式なのでしょうか? 徹夜の自信がない私ですが雰囲気だけでもと2日目の昨日村を訪問しました。この村はメーオーナイ村からさらに山を2kmほど登るリス族90家族が暮らす村です。到着すると早速村人の家に招かれ、リス族のお餅をご馳走になりました。家では家長が祈りを捧げています。ご婦人方は解体した豚の調理に大わらわです。昨日この村でも比較的裕福な家族数軒が屠殺したらしいのです。同行してくれたこの村の保育園の先生が写真をとってPCに入れたので見る?と言ってくれたのですが、丁重にお断りしました。「昨日来なくて本当に良かったー」。とは言っても普段から豚も牛も食べるのに矛盾と言えば矛盾ですね。 このリス族の村にも保育園があります。下からこの村へは乾季であれば絶好のハイキングコースになるでしょうが、雨季には道路がぬかるんで特に子どもの足では行き来が難しい場所になります。そこで保育園だけでもと施設が作られ、20数人のリス族の子ども達のために2人のタイ人の先生が通ってきています。 貧村ゆえに保護者からの保育料徴収が難しく、その運営は政府からの僅かな支援と寄付に頼らざるを得ません。そんな中バンコックの学生達が手狭な校舎の変わりにとタイル張りで清潔な建物をフィールドワークの一環として建ててくれたそうです。ただ、問題は玄関ドアをつけないままに帰ってしまったこと。そのせいで1年間もの間宝の持ち腐れ状態なのだそうです。 ドアのための5千バーツ(1万3千円弱)という金額は確かにこの村の保護者や先生には大金かもしれないけど、『あと、もう一歩』というところまでリーチをかけたままストップしてしまった学生達には欲求不満が残ったのではないの? 引率の先生や学生たちがいくばくかでも出し合えばよかったのではないの? ということで偶然私に『上がり!』の順番が回って来たわけです。何だかええとこ取りをしたみたいだけど、とりあえずはこれで建物が完成ということで子ども達や先生には良いお年玉になったのでは? ![]() ![]() ![]() ![]()
昨日初めてDNA鑑定の結果を目にしました。
タイではありがちなつかの間のアバンチュールによって結ばれた二人に赤ん坊が出来たあと、彼は帰国しそれでも妊婦であった時の母親と赤ん坊の誕生後も送金を続けていました。そのお金の大半が母親とそのボーイフレンドによって使われていたのを彼は知らなかったのだと思います。 去年の暮れに来タイした彼はすぐに赤ん坊とのDNA鑑定をしました。その目的はことの白黒をつけたかったばかりではなく、赤ん坊の重大な病気を慮って出来れば自国で治療を受けさせるために合法的に連れ帰れるかどうか確認したかったのです。 彼の滞在中にも生死を分けるような事態に陥った赤ん坊を男性は献身的に看病していました。命を救うためにかかった多額の治療費も払って。 仕事のために帰国せざるを得なかった彼はあとをお願いすると言ってチェンマイを離れました。そのDNAの結果が1月20日に出るので結果によってはとるべき手段があるので協力して欲しいと言いながら。 その結果は残念なものでした。赤ん坊にとっては彼に庇護され彼の国で治療を受ける方がどれほど良かったでしょう。 彼はこれからも赤ん坊のために出来ることがあればしたいが、いままでのように母親からの脅迫めいた金銭要求には応じられないと言っています。当然のことだと思います。結果的に騙されたような形になってしまった彼ですが、赤ん坊への愛は変わらず持ち続けていることに尊敬の念さえ抱かせられます。 金銭的支援の道を絶たれた母親の手にある赤ん坊が心配でなりません。赤ん坊に相応しい生活環境とは言えない状況もさることながら、ひとたび入院ということになればその金銭的負担に耐えられる訳がないのですから。いま考えられる最善の道は児童養護施設にお願いすることだとは思うのですが、いやいや、母親に何とか自覚を促し一緒にいられる道がないのか等々、心を悩ます日々です。
明日14日はタイの子どもの日。この日は毎年1月の第2土曜日となっています。。
多分日本や諸外国と大きく異なるのは、このイベントは国民行事に近いものがあるということかも。 個々の家庭はおろか、地方の行政機関・学校・地域のショッピングセンターetc. etc., ありとあらゆる場所でこの日を期して行事が企画されています。 大学生達も例外ではありません。地方の小学生や中学生を対象とする課外活動の一環としての年中行事の一つがこの子どもの日の彼らの『慈善活動』なのです。私が去年の夏から縁あって支援をしている小学校と保育園の子ども達総勢230人のためにチェンマイ教育大学の学生達150人があの村に来てイベントを行うらしいです。昨日まで子どもだった若者が『いまの子ども達』のために何かをする大事な機会です。 みんなが『他人の子』にこれほど関心を持つている、そんな象徴のような日です。
ひさしぶりにテンモー宅に行ってきました。彼女も早いもので7歳、相変わらずの状態ながら少しは人の言うことが分かっているようで。。 実の父母は今も行方不明だとは言え、叔母家族に受け入れられ元気に過ごしているのはほんとうに何よりだと思っています。
それにしても度肝を抜かれる家族です。 少し前に叔母の次男の中学3年生が同じ年の子と婚約(!!)し叔母宅で同居していると聞いていましたが、今日の電話で長男の高校一年生が結婚式(!!!)をあげると言ってきました。一体どうなっているのかと好奇心にかられて行ってみた訳です。 そのいきさつは去年の暮れに出会った14歳の少女とそういう仲になったと思ったら、翌日その少女の両親が村長と警官を帯同して来て「どうしてくれるのだ!」ということになり、それならば善き日を選んで結婚させようということになったらしいのです。おばによるとそうしないと保護者が訴追されるとのことでやむを得ない処置だとのこと。すぐに同居しだしたあと、今日は正式に結婚式が執り行われるという訳です。 もともと色々と良くない噂があった少女というおばの弁はさて置いておいても、長男がその処置に納得せず最近は家に帰って来なくなったという状況での結末は火を見るよりも明らかだと思うのだけど、式を断行せざるを得ないのは大人たちの事情というものでしょう。 夕方6時から始まる仏式の式への招待を丁重にお断りしてテンモーの相手をすることしばし、その間次男の『嫁』がかいがいしく新居となる部屋の準備をし、次男の友達達が会場の手配をしているのを見ているとまるで文化祭のような錯覚に陥ってしまいます。 そうこうするうちに式を終えた一団が戻ってきたと思ったら、圧倒的多数の新婦の一族が狭い家や庭を埋め尽くしました。新郎側参加者約7名に対し、新婦側は少なく見積もっても50人が車に分散して押し寄せて来たのです。 その光景を見ていると『マジか?』という思いしか湧いてきませんでした。 おばの人生は波乱万丈そのものだけど、これでまた強烈な逸話がもう一つ書き加えられた訳です。
今日はTさんからお預かりした件である小学生の担任の先生と会ってきました。
日本人であれば奨学金を得るのは恐らく大学生ぐらいからだと思うのですが、こちらでは小学生ぐらいからでもその恩恵を受けなければ勉学の継続が難しい子ども達が多々います。今年の『ご挨拶』にも書きましたが、タイ政府の『Education for All』が行き届いていない現状の一つの例です。 Tさんが奨学金支援してくださるのはそんな小学生の一人で、わたしが前職で出会った子ども達の中でもその資格を享受するに相応しい子という思い入れがあり紹介した経緯があります。 先生に今期分として2千バーツをお預けしてきました。Dewと言うニックネームの彼はこれで貯まった諸々の学校への費用を払うことができるでしょう。 帰りがけ担任の先生がおっしゃってくださった『ありがとうございます』という言葉が嬉しいです。
年末年始のここチェンマイは各国からの観光客は勿論のこと、日本人に限らずリタイアメント組が寒い冬を逃れて数ヶ月間滞在しようという人で文字通りごった返す事態となる場所も出現します。
特に去年から今年にかけては洪水被害が尾をひいて引き続きチェンマイに滞在しているバンコックからの避難組の方々も多いようで、例年を上回る人出と交通渋滞がそこかしこで起こっています。 でもツーリストに人気の場所を除いては全くフツーの日々が展開しています。 日本の大都会のビジネス街に出現する盆正月の静けさも趣きがありますが、チェンマイのように何事をも飲み込んだ上で、特に値段が高くなったりすることもなくフツーの生活が営めるのもいいですね。でもこれも一日たりとも休めない、という層の人たちがいる社会であるという厳しい現実の反映でもあるのですけどね。 明日1月4日からは公務員や学生の正月休みが明け、『新年おめでとう』の挨拶ぐらいでいつもの生活が始まります。 時期折々の節目がこんな感じで過ぎて行ってはや9年近く。
新しい年が明けました。
皆様はどのようなお正月を過ごされていらっしゃいますか? 2011年は私にとって公私ともに怒涛の一年でした。『大震災』は人生観を変えるような出来事の一つであったのは勿論のこと、私的な『大事件』としては4年9ヶ月間責任者として勤めた前職を1月に辞した際の顛末につきます。 在職中は色々とお世話になっておきながらご挨拶が遅れてしまったことをお詫びいたします。 ただこの件では自分のことでありながら映画の一場面の役者を演じさせらているかのような現実離れした経験をしたことで自分自身で事態を消化するのに時間がかかってしまったことも事実でした。 そして私が離れたあと施設で起こっているさまざまな問題に影響を及ぼすかもしれない懸念がありこの件についての詳しい説明をするのを控えたほうが良いとも考えていました。 それらの問題を耳にするたびにそこでいまもそこで暮らす子どもたちや、心あるスタッフ達を最後まで守りきれなかったことが残念でなりません。ただその結果前職の枠組みに縛られなくなった人たち、すなわち家に帰されてしまった子どもたちや退職したスタッフ達とのつながりが継続されていることが救いになっています。 子ども達がいたずらに翻弄されている今回の事態には大きな怒りを感じると共に、その子たちの将来に関しては出来るだけのことをして支えていこうと思っています。 その後は縁あってチェンダオ郡(チェンマイから北へ70km)にある一農村の小学校と保育園の支援をスタートしだしました。この村はもともとタイ人地主が稲作や野菜栽培に従事していましたが近年になってビルマの山岳民族が家族とともに難民として流れ込み、非常に低い賃金でそれら農家に日雇いとして雇われています。その結果この村でもこれらの人々の子弟がタイ人の子どもの数を上回るようになりその子ども達を受け入れている教育機関もさまざまな対応に迫られているのが現状です。 この現象はこの村に限らないにも関わらず、それに対応すべきタイの公的教育機関は慢性的予算不足にあえいでいるのが現状です。『Education for All』と大きなバルーンをぶち上げたタイ政府の政策も内実はおそまつな物と言わざるを得ないことが多々ありますが、やはり良い教育は子ども達にとってかけがえない財産になるはずですから、大きなことは出来なくても先生達と一歩一歩改善への道を進んで行ければと思っています。 チェンダオ郡の学校支援がきっかけになり広がりを見せだした私のボランティア活動ですが、プライベートでは退職後今も続けている多国語との付き合いが良い『暇つぶし』になっています。還暦を迎えた私ですから脳のシナプスを途切れさせないようにという意味では良い趣味だと自画自賛していますがどうでしょうか? 私がチェンマイに住みつき始めてから8年半の月日がたちました。長いようでアッという間の日々でしたがこれからも健康に、そして迷惑がられながらも少しは人様のお役にたてられるような一日一日を過ごしていきたいと思っています。 最後になりましたが皆様にとっても今年が良いお年であることをお祈りいたしております。 2012年1月2日 チェンマイにて。
昨日朝一番に開けた友人からのメールには、彼が単身ながら預かっている2人の身体に障害をもつ孤児のうち生後8週間の女児Jが明け方に急逝したとありました。
望まれずに芽生えた命は、母親(ビルマ難民)がありとあらゆる方法で堕胎を試みたであろうというのが明らかな障害を持って生まれました。口唇口蓋裂、舌の形成不全、両手・両足の形成不全。母親は出産後姿をくらましました。 Jは退院後容態が安定するまで友人が面倒をみ、12月以降は日雇い仕事をしながらJの2人の兄弟の面倒を看ている祖母に引き取られることになっていました。しかし祖母にその責を負わせるのはあまりにも過酷な状況だというのは誰の目にも明らかでした。 まるでそんな事情を理解していたかのような、幼い命の理不尽な旅立ちでした。 その午後同じアパートに住む6ヶ月の女児が意識不明の重態でS病院のICUに運び込まれたと聞きました。この赤ん坊Fはビルマ難民の母親と西洋人のハーフで色がぬけるように白く、いつ出会っても足を止めあやさずにはいられないような可愛い女の子です。2日前に会ったときはいつもと同じ可愛い笑顔を見せてくれていたのに。。。何が起こったのかと取り合えず病院に急ぎました。 ICUの前では母親と、父親とおぼしき人が待っていました。その父親が何故か私に英語で事情を説明し始めました。 『自分はいつもタイにいるのではなく、普段は国で働いて母娘に仕送りをしている。Fは自分にとっては初めての子供でなんとしても助けたい。12月初旬には国に戻る予定だったがこの様子だったら無理かもしれない。実はFは免疫不全が原因で重篤な状態に陥っている。自分には全く問題がないので、母親からのものだ。もし母親がそれを貴女に話す気になって協力を仰ぐようであれば是非よろしくお願いしたい』。英語を解さない母親にとっては私たちの会話の内容を知る由もなかったでしょう。 父親によると母親のHIV感染は妊娠初期に判明していたようです。それでも胎児、新生児への感染防止の方法はいくらでもあります。胎児期は母親による抗HIV薬服用、帝王切開、母乳禁止等々。それらの方法が功を奏してHIV感染者の母から乳児への感染率は現在では3%以下に抑えられているはずです。Fの生まれたのがチェンマイでは一番名声高い病院ですからこれらの処置や指導はあったはずです。 それならなぜFは『いまさら感』をもたざるを得ない母子感染などしてしまったのでしょう。父親がタイを離れているときは相変わらず性産業に従事し、育児を放棄しがちという話を聞いていました。それだけでも母親の致命的な不注意があったと思わざるを得ません。また母親が自省なしに行っている行為でこれから何人の人たちが犠牲になってしまうのでしょう。 HIV、難民問題、性産業、障がい児、ドラッグ。10年前と殆ど変わらない現実でFやJが犠牲になっている。何とももどかしくやるせない現実を再び一度に見せ付けられた一日でした。
大震災に関連して『風評被害』が海外のみならず日本でも喧伝されています。
ごめんなさい、わたしは日本にはいません。放射能汚染された野菜がスーパーに流通しているかもという疑心暗鬼を経験してもいません。 でも。 それを毎日々一年間食べ続けても健康被害はないんですよね。その上そのような商品はあらかじめ出荷が差し控えられているんですよね。 日本にいたらとりあえずそれを信じて買うだろうなと思っています。大丈夫、タイの農薬汚染された野菜や水質基準があってないような水に鍛えられた身体ですから。 日本のならず世界中が被災者支援を頑張っているいま、一方で風評被害という現象を聞くと何だか寂しいなーと思ってしまうのです。
友人へのメールの一部。
『大震災の件。日本人の誰もがおそらくこれからも長い間癒えないであろう傷を負いましたね。 『戦争』を経験したことがないわたしにとって今回の大震災は、戦争そのものであると思っています。 だから私の母やそれより少し若い方たちが人生には紆余曲折がつきものとは言え、その最終章になってもこのような過酷な経験をしなければならないことに理不尽さを感じます。 今回の大震災の被害者・被災者の多くの方たちが戦後の日本の復興と繁栄に貢献した方たちということを思うと、例えばその年代の被災者のニュースを直視できないぐらいの痛みを感じています』。
高校野球決勝戦後の閉幕式を見ました。 そこで唱和された『君が代』と同時に映された日章旗はいつもの国歌と日の丸の旗ではありませんでした。 日本全国の大多数の皆さまが同じ想いを抱かれたとおもいます。
今年も桜が咲きはじめましたね。 いまさらながらこの花がどれほど日本人であるわたしにとって大きな存在であったかと思いしらされます。 日の丸の旗と桜。 どちらも私の生きてきた日々のきまぐれ、怒り、喜びを凛として受けとめてくれてきたのだと気づかされています。 今年の桜も例年通りに美しく咲いている映像を見ました。自然の脅威を経験したばかりですが、その同じ自然がいつもの時期に癒しを与えてくれているんですよね。
今回の発電所の『事故』に関して日本の報道機関がわたし達にその現実をありのままに伝えているのか??? ということを前提にしても、諸外国のメディアのこの件に関する反応は日本人としては納得がいかない部分もあります。
コンサバ路線として有名なフランスのある著名紙に寄せられた読者の意見では『日本の官僚がフクシマの避難地域を20~30kmにのみ制限しているのは犯罪行為だ』というのもありました。 反面、風評被害を受けている東北の人たちを始め、日本全域の経済活動を応援しようというブログのポスティングを多々目にします。 ここチェンマイでの生活はある意味で身体をはった暮らしだと思います。食生活も例外ではありません。どういう基準のもとに国民が守られているのか、農薬の公的基準は? わたしは自分なりに考えて多少高くても有機栽培と称する(?)野菜を買ったりしていますが、低所得層の大多数の人々はそんなことを考える余裕もなく、とりあえずお腹が一杯になる出来るだけ安いものを求めています。 そういった意味では日本で政府や識者が今回連日、口をすっぱくしながら言っている言葉を信じる以前に、従来の日本の食は安全管理がなされていると思っています。 下記は私が最近目にした別の支援の仕方です。 里山ガーデンファーム 福島県産野菜の通販をしていらっしゃいます。
世界中の人々が支援してくださっている、ということが日本国外に居る身としてはことさら有難く感じられます。
日本ではそのことがどう伝えられているのでしょうか? 私はNHKしか見れないのですが殆どそういった支援に触れていないのが気になります。 米国の『友達作戦』を始め、私がアクセスできる各国の報道は連日『フクシマ』や、今回の大震災に関するそれぞれの国の支援や現状を伝えています。 『第2次大戦以来の未曾有の国難』と比喩に出された国難と今回の試練との明らかな違いは、いまの日本は世界中の人々がこの非常事態を共有して下さっていることだと思います。そういった意味では国際社会の一員としての日本と日本人が今回の支援をちゃんと自覚し、心強く思うと同時に感謝することが出来るような情報を得ることは当然のことだと思うのですが。。。
日本にいらっしゃる皆さん、大丈夫ですか? あの大震災以来きょうで10日目ですね。
被災者の方々だけではなく、日本人全員がこの未曾有の自然災害の試練を共有していらっしゃるということがひしひしと伝わってきます。 国を離れてはいますが、わたしもまだアフターショックから抜けられていません。テレビのニュースに一喜一憂し、いまも津波直後の映像を正視することができず、入ってくる悲惨な状況に涙する日々です。 でもこちらにいる限りは皆さんが直面していらっしゃる生活面の不便がないことに少なからず罪悪感を感じたりすることもあります。僅かばかりの寄付で安穏としていてはいけない思っています。自分のできることにエネルギーを向けています。 いまは何もお手伝い出来ない、していなくてもそのことを通じて近い将来何らかの形で手を携えて生きていける道があるのではないかと思っています。 きょうはいみじくも大阪に住む私の兄の誕生日です。大病を患らいましたが何とか元気でいてくれています。 テンモーは6才になりました。何十回という手術を乗り越えて、今年の5月から養護学校に就学できるかもしれません。 2人にとっては『もうだめかも』と何度も思った末のきょうです。 復興のきざしも見えてきています。皆が一人一人が想いをひとつにしています。 いまは我慢してくださいね。ふんばってくださいね。
あの日以来もう一週間、まだ一週間。。。
わたしはどれほどのことも出来るわけでもないのに、だから普通の生活をした方がいいのだ、と思ってもついインターネットやNHKテレビに目がいってしまいます。 『被爆の危険』。 『第2次世界大戦以来の国難』、『大量の避難民』。 たった一週間前にはとても現実として認識できることではありませんでした。 歴史で習ったことがあるよなー、アラブ諸国での大きな問題だよなー、北朝鮮には脅威を感じるよなー。 いま日本で起こっていることは『自然』がもたらした試練。一度に教えられるにはつらすぎる経験。 そんな中、日本円が市場で買われているという。これからの復興のために日本は円を必要とするだろうから、備蓄のドルを売ってでも円を買い戻すだろうからということらしいです。利ざや追求のための投機家の動きとも言われています。 今後の復興費に10兆円から17兆円が必要との試算がでています。被災者が懸命に過酷な状況に耐えている。皆さんが善意の志しを寄せている。寒い中街頭で必死になって募金を募っている。子ども手当や高速道路無料化を中止してでも等々の、自然に起こる支援の気持からはあまりにかけ離れた発想に唖然とさせられているのはわたしだけでしょうか? そういう発想をすることが出来る人々が世界の一部にいる、それは過去の、そしておそらく現代の日本人のなかにもいるということを見せ付けられているのが今回の大震災のつらさを増幅させられる一因になっています。 でも、でも日本人は、日本は大丈夫です。みんなの英知が、努力が、想いが絶対に絶対にこの試練を乗り越えます。
海外在住のみなさま。
いまもNHK総合テレビが『にこにこ動画』に地震関連の番組を生放送配信しています。 http://live.nicovideo.jp/ 今日午後、いつものカフェで隣りに座っていたアメリカ人とおぼしき若い男女が、今回の震災被害者支援のためのコンサートの相談をしていました。 ありがとう!!
海外在住の皆様でインターネット以外の情報をお持ちでない方、
『key hole TV』でgoogleって、ダウンロードしてみてください。画像・音質も悪いですが日本の民放各局の放送が見れます。 あと世界のマスメディアがどういう報道の仕方をしているのかを知りたい方には下記のURLにアクセスされるのをお勧めします。 世界中の人々が本当に今回の震災を心配してくださっています。 http://www.abyznewslinks.com/
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