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小児病棟から(26) たらいまわし

 ここ北タイは、タイ全地域のなかでも特にHIV感染者の多い地域である。そんな事情もあり、子どもの感染者の救済施設が数多く置かれている。

 そんな一つに某有名大学のタイ人教授ご夫妻が運営する施設があった。海外、特にヨーロッパの支援者から資金援助を受けたその施設は、学齢期の感染児童を少人数にわけ、これも寄付で建てた4軒の大きな家で、施設というよりは、里親の雰囲気を大事にして住まわせていた。

 ところが、どうしたことか去年半ば過ぎに突然その施設が閉鎖になり、24人の子どもたちが、Vホームに戻されてしまった。今までの生活環境を配慮して、その夫妻とVホームの間で、他の里親に出すという話し合いがついたようだが、中には病状が悪化し、病院に近いという理由で再びVホームに戻された児童もいる。

 私が面倒を看たエーンもそんな子どもの一人だった。やせ細った身体はすでに性別の判断を難しくするほどであった。彼女は、去年12月、9才の命を閉じた。

 いま入院中のベンもやはり病状の悪化でVホームに戻された一人である。頭に‘おでき’ができ、定期的に切開し、膿をだしているが完治はしない。

 日曜日、彼は塞ぎこんでいた。普段は声を掛けると真っ白な歯を見せて笑ってくれるのに、どうしたのかと思って聞くと「家に帰りたい」とポツリ。

 「家ってあのボーイズホーム?それとも前の大きな家?」。そんなことを確かめるのも何かはばかられて、「すぐ帰れるよ」と言ったが、真に受けているとは思えないような目をしながら、コクリと頷いた。

 しばらくして、以前彼の面倒を看ていたという外人ボランティアと、エーンが以前いた家の友達という少年が見舞いに来た。その途端、彼の表情が変わり、いつものように満面の笑みを浮かべている。

 あとで、外人ボランティアに聞いたところ、その施設を運営していた夫妻は「もう年だから」という理由で閉めてしまったらしい。24人いた子どもがその後3人も亡くなった、と非難めいた口調で言った。

 表向きには年齢を理由にしているが、何か深い事情があったのだろう。「それにしてももう少し子どもたちのことを考えてくれたら」、と彼は何度も繰り返した。
 
 個人的に経験したことだが、あるヨーロッパ人が子どもの感染者の施設を作ると言って、篤志家からお金を集めておきながら、実際には全く違うことにその資金を使っていたというケースがあった。
 
 それなどは極端な例としても、今回、突然閉鎖された施設の場合もお金の流れが大きく影響しているのではと思う。

 そんなことはあずかり知らぬ子どもたちは、突然の環境の変化に戸惑いつつ、大人の選択に従わざるをえない日々を過ごしている。
by karihaha | 2005-03-11 02:03 | 小児病棟から | Comments(0)
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