喜捨?それともバス修理?

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タイ人の信仰の篤さは常日頃接して慣れてはいますが、先日少し驚いたことがありました。

Buuの誕生日にかこつけて母親に僅かばかりの現金を渡したとき、同行していたヌット先生が一番に言ったことは、「そのお金で少しでもお坊さんにタンブン(喜捨)しなさいよ」。

確かにタイ人には誕生日にはお坊さんに喜捨したり、養護施設で子どもたちに食事をご馳走したりすることはあります。でも、Buuの家族の場合は助けを必要としこそすれ、一バーツたりとも喜捨をする余裕はないと思うのですが。。こんなことを言うと、「いや、苦しいときだからこそ」と先生に言われそうですが。


街を歩いていると、封筒をかごに入れた人が道行く人に喜捨を勧めています。これは自分が檀家になっているお寺の改築や行事のための募金を募っているのです。この他に、細い枝の先に花のようにお札が挟まっている置物をよくみかけます。これも同じような意図で、誰でも、いくらでも喜捨できます。

正直に言ってしまうと、不敬ながら私はいままでそのような喜捨をしたことがありません。死後や来世の心配をする余裕がないというのがその言い訳かもしれません。お寺を金ぴかにするよりは、今生で弱者に敏感でありたいとも思っています(カッコつけすぎですね笑)。


話は変わりますがこれも先日、チェンダオに向かうバスの発車を待っているとき、車内に乗り込んできた女性の言葉に耳を疑いました。「バスの修理が必要です。寄付をお願いします」。

一瞬?となりました。それってバス会社の責任じゃないの? どうしてもなら運賃を値上げしない普通? いや、もしかしたら突発的な故障で運転手が責任をとらされているのかな?と色々妄想を逞しくさせてくれる珍現象です。

でもよく考えるとこのご時勢で四十バーツ(120円)で70km越えの距離を行ってくれる。理屈は置いといて、この寄付はちょっと面白い。 こんなことなら次にはしてもいいかな、と思っているのですが。
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by karihaha | 2013-11-22 20:23 | ブログ | Comments(0)
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