子どもたち

Ahtitのおい
c0071527_15573039.jpg
昨日、出かける支度をしていると、Ahtitの姉から電話がありました。 

Ahtitとは頻繁に連絡を取り合っているけれど、姉からの電話は珍しく、何事かと取ってみると、「いまチェンマイに来ていて、おいが入院している病院に向かっているところ」と言います。姉によると、Ahtitの兄の子ども(2才)が危険な状態だと言うのです。

あいにく出かけるところだから会えない、と電話を切ったのですが、たまたまその後約束がドタキャンになり(タイあるあるです)、それならと病院に向かいました。

病院は懐かしいとも言えるN県立病院。ここでは10年以上前まで2年近くボランティアをしていたので、『勝手知ったる』です。

危険な状態と聞いていたので、小児病棟ではなく、ICUに直接向かうと、やはり一家が部屋の前で待機していました。

部屋に入ると、顔見知りの看護師が来て、詳しく病状を説明してくれました。簡単に言うと、脳死状態で今は人工呼吸器で息をつないでいるばかりで、もう手の打ちようがないとのことです。

7月28日にひきつけを起こし、最寄りのチェンダオ病院では手の打ちようがないということでN病院に搬送されてきたのです。 当日、朝両親が気づいたときから病院につくまで6時間が経過していたそうです。その間になすすべもなく、容態が悪化していったのでしょう。


Ahtitの実家には何度か行ったことがありますが、チェンマイーファンをつなぐ幹線道路から折れて一歩田舎道を入ると、あとは公共交通機関もなく、雨季には走行不能の道が続く、文字通り人里はなれたラフ族の寒村です。

チェンマイの田舎は数多く知っていますが、この村は僻地中の僻地の一つと言っても過言ではないでしょう。

『もし彼がチェンマイに住んでいたら、もし雨季でなかったら、もし日本のようにドクターヘリのようなシステムがあれば。。』

さまざまな『もし』が頭を駆け巡ります。



Buu
c0071527_15561091.jpg
先月末にチェンダオ詣でをした際、いつものようにBuuの様子も見に行ってきました。

家に入ると、これまたいつものように母親が彼女を抱いて座っているのが目に入りました。まるで彫像のような2人の姿。毎回変わることがありません。

Buuはもうすぐ6歳、知り合った最初のころ、まだ2・3か月の頃は両親共とまどいと困惑の渦中にありました。

ミャンマーから経済難民として流れてきて、それでなくても困窮している家計に生まれたBuuに困り果てていたのです。

その後も何度も何度も入退院を繰り返し、さすがの私も「もうだめか」と思ったことが何度となくありました。

でも6年近くたった今、Buuは家族の一員として、ふつうに両親や家族に愛される子どもの一人として暮らしています。

障がいがあろうがなかろうが、いくら経済的に困窮していようが、親にとっては変わらず愛しい子どもであることは、この家族が証明しています。

[PR]
by karihaha | 2016-08-03 21:25 | ブログ | Comments(0)
名前
URL
画像認証
削除用パスワード

※このブログはコメント承認制を適用しています。ブログの持ち主が承認するまでコメントは表示されません。



<< 15才 9年!! >>