小児病棟から(9) 約束

 今日5時に会おうと約束していたのは、大学生の未婚の母である。生後2ヶ月の男児をVホームに預けているが、その乳児が入院中に出会った。

 他の子どもの世話をしながら見るともなしに見ていると、慣れない手つきながら一生懸命世話をしている。病院で働いて一年以上になるが、家族が見舞いにくるケースはまだ2例目なのでそれだけでも好感が持てた。簡単に自己紹介をし、普段は私が面倒をみているから心配しないように、とだけ言ってその場を離れた。

 その日はVホームからも保母が来ていたので大体の事情を聞くことが出来た。彼女は大学4年生。未婚のまま子どもを生んだが、あと1年半ないし、2年は学業と仕事の関係で子どもを育てられるような状況にはない。実の母親も再婚したばかりで、子どもを預かってもらえない。しかし卒業すれば子どもを育てるつもりなのでそれまでの辛抱と思ってホームに預けたとのことだ。

 一方、Vホームは一年以内に引きとることを要求し、そうでなければ養子に出すことを検討しなさいと言ったという。保母にその話をしながら「どうしたら良いか分からない」と泣いていたそうだ。ホームから許可が出ている面会が月1回きりなのもつらいと言っていたらしい。

 ジョンにその話をすると、「母親が卒業し、引き取れるようになるまで育てても良い」と言った。母親の言ったホーム側の主張の真偽のほども分からず、また、ジョンが子どもを引き取ることの是非の判断もつかぬまま、タイ語の話せないジョンの通訳としてならと自分を納得させて彼女に連絡をした。ジョンの意向を簡単に伝え、「とりあえず少し話しあいませんか」ともちかけた。電話の向こうの母親の声には少し躊躇いがあるように思えたが、日にちと時間を決め、電話を切った。

 当日、彼女は現れなかった。その予感はあった。刻々と過ぎていく約束の時間。30分間待った。時間を過ぎても母親を待ったのは、母親がいま絶対に乳児を引き取るべきという思い入れではなく、仲介者としての矜持を保つためのものであった。

 彼女が子どもとの将来を望んでいるというのが真実であれば、ジョンの申し出はまたとない話だと思う。ではなぜ来なかったのだろう。

 考えられるのはそれまでは養育出来ない母親としての自責の念と、子どもへの情で一杯だったのが、ジョンのおかげで希望が叶う可能性が出てきた途端、女性としての生き方に考えが及んだのではないかということだ。周りの意見もあっただろう。約束を守らなかったのは女と母親という要素を天秤にかけた結果であろう。


 母親が子どもを育てるという自覚をしっかりと持つためにも、もう少し時間をおいた方がいいのかもしれない。そう、母親にはまだ人生の選択肢が許されている。しかし、、、子どもにはそれが許されぬまま産み落とされ、いまも大人の選択に運命を委ねている。
[PR]
by karihaha | 2005-03-04 20:58 | 小児病棟から | Comments(0)
名前
URL
画像認証
削除用パスワード

※このブログはコメント承認制を適用しています。ブログの持ち主が承認するまでコメントは表示されません。



<< 小児病棟から(10) K君 HIV/AIDS(4) 日本の... >>