小児病棟から(10) K君

 まだVホームでボランティアをしていたとき、ある男性に出会った。子どもを散歩に連れ出そうと、壊れかけの乳母車を調整していると、手伝ってくれた人がいた。その様子を周りで見ていた保母たちが、「コーンイープン(日本人)」と口々に言う。「日本人ですか?」と聞くと曖昧な笑みを浮かべるだけで答えない。金髪に染めた髪に、どこか日本人離れのした風貌。確信の持てぬままその場は別れた。

 その日以来、毎日彼を見かけるようになった。汚れたオムツや服、シーツを回収に来ては、洗濯の終わったそれをサンタクロースのように担いでくる。挨拶はいつも会釈だけ。

 ある日、子どもと一緒に庭の散歩をしていると、仕事を終わって帰りがけの彼を見かけた。「本当に日本人ですか?」ともう一度話しかけると、立ち止まってうなずいた。内心「手間をかけやがって。なんで日本人って知られたくないんだろう」と思いながらも、貴重なボランティア仲間(当時はジョンと私たち2人だけ)に興味をひかれて強引に話しかけた。

 彼、K君は以前にも一度Vホームでボランティアをしたことがあるとのことで、前回同様、今回も洗濯場を志願したそうだ。正直言って、私はそこへ足を踏み入れたことはないが、子どもの排泄物の世話をしている関係で、彼の言葉を待つまでもなくそこがどのような状況かはおよその察しがつく。わざわざなんでそんな場所で?と聞くと、「子どもの世話の仕方が分からないから、そのほうが良い」とボソッと言った。

 それ以来、少し会話を交わすようになり、私がボランティアを辞めるのを機会に、一度食事でも、ということになった。その時に彼が重い口を開いて語ってくれたのは、彼も児童養護施設の出身者だということだ。兄と二人、幼い頃から7年間施設に入り、その後は母親に引き取られたが、結局上手くいかず今は音信不通だと言った。

 そう静かに語る彼の顔や声には‘痛み’があった。Vホームでボランティアを始めたのは、ある人からの勧めであったらしい。「でもね」と前置きして、「児童養護施設に素晴らしく優しい女の先生がいて、世の中にはこんなに優しい人がいるんだ、と救われた思いがしたよ」とその時だけはこちらの気持ちを暖かくするような優しい顔をして言った。

 K君もボランティア期間の延長申請をしたが、許可がおりず、その後はこちらのハンセン病患者の施設でボランティアをした後、仕事が決まったからと言って慌しく帰国した。

 彼がいた児童養護施設のその女の先生は、自分に課せられた役目を完璧に把握しているプロであると同時に、たくまざる慈愛の持ち主なのだろう。そうでないと子どもの心をそれほどまでに揺り動かすことはできないと思う。30才を過ぎた男性が今も変わらず慕い続けるその先生、私も一度お会いしてお礼を言いたいような気持ちになった。
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by karihaha | 2005-03-04 20:59 | 小児病棟から | Comments(9)
Commented at 2012-09-16 14:07 x
ブログの持ち主だけに見える非公開コメントです。
Commented by karihaha at 2012-11-24 03:58
Kさん、お久しぶりです。お元気そうでなによりです。お返事が遅くなり申し訳ありません。長い間放置状態のこのブログを開けてみるとコメントをいただいていたのに気づきました。最近はこちらに来られることがあるのですか?もし機会があれば是非ご連絡ください。私はまだまだ居座る予定です。ちなみにピンクの頭の、孤児院で見かけられた人、その人だと思います。
Commented by K at 2014-12-29 18:18 x
こんにちは
素晴らしい活躍だと思います♪
Vホーム時代たいへんお世話になりました。

親のいない少年少女達を可愛がって下さって
ありがとうございました。
胸いっぱいです。

急に思い出したのですが、確かあのVホームで次は
ドウイサケットのお寺にある尼さんがやっている
乳児院に行くと言っていましたよね!?

もう知っていると思いますが、そこのお寺にはありませんよね!? 僕もあの後行ったらそれらしき部屋はあったのですがやっていませんでした。

一番最初ゲストハウスで紹介されたのが、チェンマイ市内にある乳児院でした。
行ったら尼さんが出てきて、ここは小さいからもうひとつ大きい所があるのでそっちがいいのではと言われVホームに行きました。

Karihahaさんに会った5年前でした。
ドウイサケットの尼さんは絶対その人だと思います。
あの時言われた時気がつかなかったですけど!?

場所覚えているのでご興味ありましたらおたずねください。
それとももうご存じかな!?

頻繁に見にきていますよ♪
次回のkarihahaさんの魂のこもったメッセージ楽しみにしています。

”何度でも挑み続けろ“

Vホームの戦友 K



Commented by karihaha at 2014-12-30 04:32
本当にお久しぶりです。 チェンマイにはその後来られていないのですか? 私は相変わらず根を生やしたようにこちら住まいですが、機会があればまたお会いしたいですね。VホームとN病院でのボランティアの日々からもう10年が経ちました。 数日前のタイ津波から10年の慰霊祭から『あの日』病院で始めて報道に接したことを鮮明に思い出しました。その間、形は違っても細々と子供に関わることを続けていますが、今後も出来る範囲で継続できればと思っています。 
Commented by 細谷 at 2016-03-08 13:29 x
5日一緒にムーカタパーティーご一緒させてもらった
細谷です。

関本さんからこのブログ聞きました。
みなさんには写真をアップしたアドレスお送りしたので
小林さんにもお送りしようと思って送ったのですが
このサイトアドレス送れないんですね。
たのメールアドレス教えて下さい。

PS
小林さんてすごい
お話聞かせてもらえませんか?
Commented by Vホームの戦友K at 2017-03-27 03:44 x
お元気でしたか?
正月にチェンマイに行き一緒に洗濯やっていた。スタッフのおばさんに会いました。
今は洗濯場はなくなって、1人のおばさんは定年退職して、そのおばさんは掃除に配置転換になり、もう1人の人は1歳から3歳の部屋で保母さんになったらしいです。

当時休みの日に洗濯を手伝いに来ていた中学生の女の子の写真見てこの子は今は何をしていますか?と聞いたら1人は結婚して子供が1人いるそうです。
もう1人の女の子も結婚していて子供はいないそうですが、男子房の食堂で働いているそうです。
もう1人は孤児院の近くのホンダで働いているらしいです。
結婚できて自分の事のように嬉しいです。

私ですが生まれ故郷に夏に旅行に行き当時の職員に会うつもりです。
久しぶりに電話で話をしました。

もう職員たちは高齢化していて、おそらくこれが最後になると思います。職員たちの記憶がまだあるうちに会おうと思います。
その後またここに報告します。

あれからボランティアはやっていなく(やる時間がありません)
今は少ないですが色んな団体に寄付をしています。
赤十字 ユニセフ以外だと、東尋坊で自殺防止活動されている方、元ボクサーで孤児院支援している坂本博之さん、確か名前ノヨリ相談所ホームレス支援している方、カンボジア子供の家(やってみるかと言われましたがまだ返事していません。やらないと思います)

この間は児童養護施設で育った人に振り袖姿の写真を贈る「ACHA project」(アチャプロジェクト)に寄付させてもらいました。
次は孤児院じゃございませんが、マイフェイス・マイスタイル(MFMS)顔に傷や障害のある人を支援しているNPOに寄付しようと思っています。
日本ウイグル協会とかにもやりました。

あとはホームレスの人が売っているビッグイシューの雑誌買うときにホームレスの人と話をするようにしています。
ボランティアではありませんが、こんな感じです。
おばさんから聞いた話ですが当時の僕が可愛がってた4ヶ月のダウン症の女の子はバンコクにいるヨーロッパ人にもらわれたそうです。

多くの少年少女が外国に養子として行っていますが大丈夫かなぁ.....
Commented by karihaha at 2017-03-28 16:45
Kさん、ごぶさたしております。 チェンマイに来られていたのですね。お会いしたかったです。私はVホームには殆ど行っていませんが、いまも当時の職員と街で偶然会ったりすると、懐かしくて話し込むことがあります。私はVホームではありませんが、奨学金や団体支援等の活動をいまも続けています。Kさんも各団体への寄付等を継続されているとお聞きし、なかなかできることではないことと、尊敬の意を強くもちます。Kさんのお話を聞き、私も近々Vホームを覗きに行ってみようかなと思ったりしました。そしてKさんも今度チェンマイに来られることがありましたら是非ご連絡くださいね。 
Commented by Vホームの戦友K at 2017-07-31 17:05 x
いかがお過ごしでしょうか?
7月に自分が幼少期を過ごした孤児院のある街を旅しました。
自分が過ごした孤児院の裏山を登り孤児院を見たらすっかり建物が変わっていました。
孤児院の裏山を登れるところまで登り、自分が幼少期を過ごした街を見おろし色んな思いが交差して胸が張り裂けそうでした。

ガキを頃遊んだ所懐かしい人の家を通りあの頃を思い出し涙が止まりません。

オヤジが炭坑夫で炭坑地帯を渡り歩いていて色んなとこに住んでいました。
自分の本籍地に記載されている街に行ってみようと思い電車とバスを乗り継いでGPSでたどり着いたら、そこには当時の長屋などなく真新しいアパートがありました。

薄っすらと記憶にある山がありオヤジと遊んだ時を思い出しました。
近くに炭坑の跡と博物館があり当時の炭坑、日本のエネルギー政策が詳細に書いてあり、オヤジの生きた時代がよく分かりました。

タクシーの運転手さんが言うには全盛期には24万人居たそうです。

帰る日に職員に電話が繋がり、その先生の住む街の一番近い駅で待ち合わせして大きい駅まで送ってもらいました。

30分ぐらいでしたが話ができ話の中で昔NHKで孤児院が放送され児童が写っている映像があり、この児童は今どこに居ますか?という追跡取材があったらしいですが、古い職員もわからないらしいです。

過去を振り切り忘れたいと思う卒業生の方が多いらしく、私のように訪ねてくる卒業生はほとんどいないらしいです。

今回は私の連絡ミスで会えませんでしたが、次回早ければゴールデンウィークにまた来ますので、私と会ってみたい先生がいましたら声をかけて下さいと言って別れました。

職員が高齢化していて時間がありません。
おそらく次回が最後の再会になると思います。

次回はオヤジと過ごした最後の島を旅してオヤジとの思い出を回想し、職員と最後の再会をしようと思っています。

今回の旅は今までで一番自分と向き合うことができ本当に良かったです。
Commented by karihaha at 2017-08-03 13:19
過去と向き合う。日常の生活を続けていると、中々思い立たないものですよね。それがつらい思い出を伴うものであれば、そこに少しの勇気をふるいたたせる必要があるという意味でもなおさら難しいものかもしれません。でもKさんの場合はあえて行動に移された。 大人になった自分が子ども時代を振り返り、見たものはその頃とは違う印象を与えるものでだったのではないですか? 俯瞰的に、客観的にとらえるきっかけになったのではないですか? その経験はKさんのいまと将来のためにもきっと大きな意味のあることと思います。最後に会われたその職員の方も嬉しいでしょうね。Kさんが施設での経験にポジティブな一面も感じているからこその再訪なのですから。
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