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小児病棟から(21) ジティNo.2 逝く

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ジティNo.2はNo.1と同じように静かに、静かに逝ってしまった。今朝4時過ぎに苦しみもせず、眠るように息をひきとったとAホームのNが言った。

 昨夕、帰り際に覗きにいったときは、息づかいは普通であった。指の腹で、そっとほっぺをなでると、大きな目を開けてウーンと伸びをするようなしぐさをした。

 それから10時間後には亡くなるなどとは夢にも思ってもいなかった。ただ、「この子が普通の状態で生活できるようになるのは、とんでもなく長くて険しい道のりだろうな」とは思ったが。

 ジティNo.2の母親は2ヶ月前、父親はその前に亡くなった。兄弟2人も感染者でバンコックの施設にいる。たった2ヶ月前に亡くなった母親から生まれた子どもが4ヶ月であれば、妊娠初期の母親は相当重度のエイズ症状を呈していただろうに。

 ましてやその前にすでに子どもを二人とも感染者にしてしまっていたのなら、親として、人間として、何らかの方法で不妊をしたり、母子感染を防いだりすることが出来たのではなかったか?無知ではすまされない愚かさを叱責したくなる。

 Aホームの子どもたちが亡くなると、一旦ホームに連れ帰り、ミサをしたあと再び病院に連れ戻される。その後、近隣の公営火葬場で他の無縁仏と一緒に荼毘に附される。

 Vホームの子どもの場合は、葬儀もなくそのまま荼毘に附されることを思えば、少しは心休まる対応をされている。

 しかし彼を知る私たちの悲しみ、無念さはそんなことでは癒されない。Aホームの保母さんの一人は、泣き腫らした目で「可哀想に、可哀想に」と繰り返していた。

 ジティNo.2のあまりにも救いようのない、あまりにもやるせない人生。彼と同じような天使たちをもう何人見送ったことか。 合掌
by karihaha | 2005-03-04 21:12 | 小児病棟から | Comments(0)
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