ラブ(?)コール

昨日は2か月ぶりに当地の財団の主催するS生徒寮の活動に参加してきました。

この生徒寮には前述の財団を通してその存在を知り、去年から今年にかけての1年間は出来るだけの支援をしてきたのですが、思うところありこの半年間ぐらいは『部外者』として気が向いたらの支援に終始しています。


とは言え、子どもたちそして生徒寮の責任者ご夫婦とは顔見知りの間柄。 昨日は奥さんとじっくり話をする機会がありました。

そしてひょんなことから何故支援の『熱』が冷めてしまったのかを、初めて忌憚なく話せたと思います。


あくまで部外者ですから、出しゃばったことは言えませんが、1年間支援した者の意見としてちょっとでもアドバイスになれば、参考にしてくれれば、そして何よりもその結果子どもを預かる責任を安定的に全うして欲しいと思ってのことです。



このブログでは何度も書いていますが、私はある児童養護施設を持つ財団で責任者として働いたことがあります。

その施設を退職して、もうまる7年になろうとしています。 その後はその施設の卒業生と言えば言葉は良いのですが、いわゆる問題児として出された子どもたちを『救済』するのも私の現在の活動の一端です。

働いていた財団は前述の生徒寮とは違い、個人資産を運用しての活動で、恥ずかしながら(?)マネージャーとしてその種の責任者が宿命的に背負うことになる『寄付集め』という大役を全くしたことがありませんでした。とは言ってもそのビッグボスとの対応での苦労はあったのですが。。

そして今の活動を出来ているのは、財団を退職するのに時を同じくして出会った日本人篤志家のおかげです。つまり私はこの種の活動で終始資金集めに苦労をしたことがないのです。


ですから『そんな奴が偉そうなことを言うな』と言われるかも、だからそれを踏まえての生徒寮の責任者へのアドバイスであるように配慮しつつも、ちょっときつかったかな?


そんなことを思いめぐらしていた今日、前職の財団にいまも居るOからFBでメッセージ。彼女は生まれながらの脳性マヒながら、頭脳健常者並み、あるいはそれ以上。でも四肢は全く自由が利きません。

財団と現マネージャーに配慮していまも財団の庇護下にいる子どもたちとは出来るだけコンタクトを取らないようにしているのですが、Oだけは別です。 彼女からのアクションがあればの話ですが。 

それが大体月1回ペースで、私ももちろん心待ちにしています。きょうもクリスマスプレゼントは何がいいの?とかのたわいのない話です。

Oに限らず、財団の卒業生ともこんな関係が続いている一つの理由は、資金繰りに苦労をしなかった(エエカッコできる)マネージャーだったからかもしれないなー、なんて昨日のことを振り返りながら、いまは亡きビッグポスと日本人篤志家Tさんに感謝しきりです。














[PR]
# by karihaha | 2017-12-12 11:31 | ブログ | Comments(1)

秋休み直前

10月に入ると小・中・高校生たちにとって待望(?)の秋休みに入ります。 前期と後期のはざまのこの休みは3月から5月にかけての、2か月間余りの夏休みに比べ短いのですが、それでも1か月近く休むところもあるようです。

そこで秋休みに入る前に。ご無沙汰している子どもに会いに行ってみようと思いつきました。
c0071527_18084239.jpg
c0071527_18090490.jpg
きっかけはBaanからの電話で、9月16日に何か学校行事があるので来ませんか?という誘いでした。 常々子どもたちには支援をただただ口を開けて待っているのではなく、ちゃんと発信もするように、と言っているので、このような誘いには出来るだけ応えようと思っています。

そのついでに、いま一番現状を気にかけているNamuuにも会いに行ってみよう。 彼女はこの5月からまた新しい財団に引き取られ、その責任者と会ってみると、親戚でもない私は年に1回だけクリスマスシーズンに面会が許される、支援金や品物は財団になら受け取るが、個人的には許可されないと、とてものことに理解できない通達をされたことがあります。

それゆえ、前回行ったように、学校の昼休みにこっそりととも考えたのですが、その財団から同じ学校に通う生徒たちも多く、校内放送で大々的に呼び出されるとチクられてしまうのでは、との危惧もあります。

でももう3か月間近く会っていません。『エーイ、ままよ』と行くことにしました。

まずBaanですが、当初は大反対でしぶしぶスタートした支援ですが、いまとなってはこれで良かったと思わせてくれます。

毎月2,000バーツ、生活費として借りられる政府系奨学金ですべてを賄っているそうです。でもその食事内容は毎日のようにインスタントラーメンとか。栄養面では勿論心配です。

でも6人部屋の同室の少女たちにも会ったのですが、小さいころあれほど排他的だったBaanがみんなと仲良くしている様子には、心底ほっとしました。
c0071527_18093109.jpg


そしてNamuuですが、いつもながらに親切な先生方がすぐに対応してくださった、呼び出しの校内放送で久しぶりの再会です。

やはり危惧したように、他の財団の子どもたちと違って(父兄であれば面会と送金は許されるようです)金銭的サポートをしてくれる人もなく、身の周り品も買えない状態だそうです。

彼女自身はその財団を出たがっていますが、いまは中学2年の1学期、2学期から受け入れてくれるような学校もないだろうから、我慢するようにと言うのが精いっぱいです。

高校1年からなら何とかなるかもしれないからね。と言ってはいるのですが。。


そしてAhtitからは父親の葬儀を終えて職場に戻った日に電話がありました。 疎遠であったとは言え、一応お悔みの言葉のあとに、「お母さんはどうだった?」と聞くと、「すごく喜んでいた」と。

は!? 聞き間違いかと、もう一度聞いてみると、確かに「喜んでいた。 もうこれで迷惑をかけられることもないと」。

確かにそういう状況ではあるかもしれないけど、これほどアッケラカンとは。。。

まだまだ知らないタイ社会の現実があるようです。

[PR]
# by karihaha | 2016-09-18 18:11 | ブログ | Comments(0)

Ahtit

Ahtitと久しぶりに会いました。 1か月半ぶりぐらいかな? 前日に実家に帰る用事があると連絡がありました。

私の自宅付近のバスターミナルは彼にとって中継地点です。そこで、そのバス停で会い、これもいつものように、次のバスを待つ間付近に食堂でご飯を食べさせがてら、近況を聞きます。


『闘鶏のお父さん』としての仕事は順調なようです。 オーナーは地域の郡役場の職員としても働いている兼業ですが、闘鶏の養育に関しては完全にAhtitに頼りっきりで、鶏さえも、オーナーが入って来てもそれほど興奮しないそうです。ちゃんとエサを呉れる人を識別しているのですね。


学習障がいの彼は今までも随分つらい人生を送ってきていますが、いまの職場では初めてと言っていいほど、自分自身に誇りを感じているようで、それが何より嬉しいことです。


さて、今回のAhtitの帰郷ですが、またしても、という理由があります。父親が急死したと言うのです。


彼の父親は母親と同じ村で住んでいますが、母親とは随分前に離婚しました。 その後、再婚する際に、大事な土地を売り払ってしまったため、母親や姉がお米やトウモロコシという生活の糧を生み出すベースを失ってしまいました。

しかしその結婚もアッと言う間にダメになり、今では村人の家を転々とし、施しで暮らすような生活をしていたようです。 

その父親が亡くなったと連絡があったと前日の電話では聞きました。 そして会ったときに原因を聞くと、「よく分からない」と。何か深い事情があるのかもしれません。


お葬式は村人が共同で営むとか。 Ahtitも先月の甥(兄の2才の息子)のお葬式に続き、いくばくかの費用を負担するそうです。 その額は2千バーツ(6千円)。月給4千バーツから今月の分を前借したそうです。

「さすがにそれ以上は無理」とAhtitは言いました。 ニュースを聞いてすぐに帰りたかったけど、お金の用意が出来なかったからと。


あの地の果てとも思える村で細々と暮らす家族にとっては、Ahtitのもたらす現金収入が頼りです。

家族の期待を背に、彼は本当によく頑張っています。

[PR]
# by karihaha | 2016-09-14 15:52 | ブログ | Comments(0)

井本勝幸さん

c0071527_16294963.jpg
昨夜、友人に『憩』という日本食堂に連れて行ってもらいました。 

ここは『ゼロファイター』と呼ばれる、井本勝幸さんという日本人僧侶が経営されています。

井本さんはミャンマーの少数民族地域で第2次世界大戦時のインパール作戦で命を落とした、日本人兵士の遺骨収集をされています。

その経緯を知ったのは私もつい、今年になってからですが、インパール作戦については毎年行われる慰霊祭に参加させていただく等、非常に関心があります。

その兵士の方たちの遺骨収集? この方を知ったのは、チャンネル桜で有本香さんが紹介されたのがきっかけでした。 国会議員や一般の方々のための講演会のビデオで詳しい経緯を知りました。

https://www.youtube.com/watch?v=OrLS9m8a_OQ


そんな矢先、友人から井本さんがここチェンマイで少数民族支援の一環として、日本食堂を開いていると聞き、昨夜やっと行くことができたのです。タイヤイ族を始め、少数民族の若者のインカムジェネレーション企画としての店だそうです。
c0071527_17110581.jpg
土曜日の夜ということもあるのかもしれませんが、店内は満席でした。しかし、日本人は私たちだけのようで、タイ人と西洋人で占められていました。

ラーメン、おにぎり、枝豆等々。 当地の日本食堂と変わらぬメニュー名が並んでいます。その単価は驚きの49バーツ(150円)がメインです。 Leoビールは55バーツと酒屋で買うのと同じ値段。 これで利益が出るのかと思うのですが。。

こんな低価格であっても、『支援』になるのなら、こんな嬉しいことはありません。

場所はチャンクラン通りを下り、チェンマイランドを通り過ぎそのまま行くと、通りに面して左側にあります。

Ikoi Ramen, Changklan Rd, A.Muang, Chiang Mai.

日本人も是非応援したいものですね。

[PR]
# by karihaha | 2016-09-11 16:33 | ブログ | Comments(0)

エッ! 呉れるの?

下のエントリーを見たの? まさかね。タイ人だもんね。


同じ支援の受益者でも、母の日に連絡してくる子と、なしのつぶての子が居て、奨学生には「魚心あれば。。」で、評価を変えるかも、と冗談のように書きましたが、一昨日奨学生の一人、高校2年生のMimから連絡があり、訪ねて来たいとのこと。

そして昨日、遅ればせながらの母の日のプレゼントを持って来てくれました。 遅くなったのは道路の真ん中で倒れたあと学校を休んでいた(結局デング熱だったようです)のと、学校行事が重なったからとのことでした。
c0071527_19321090.jpg
何よりそんな気遣いをしてくれるのが嬉しい。

結局一緒に来た母親そっちのけで、1時間半も話こんでしまいました。 その内容は主に彼女の高校卒業後の進路です。 私からは以前から成績の良いモン族の彼女には医者になって欲しいと思っていたのですが、理科系は嫌いと、文系を専攻しているので、その選択肢もありません。

「メー(お母さん=私)は私が何を専攻したら良いと思う?」と聞くので、まずはチェンマイ大学にチャレンジして、出来れば食いっぱぐれのないであろう経済・会計がいいのではと言いました。

その間、実の母親は黙っています。 彼女はずっと民族服や、今日持って来てくれたバッグのような縫製で細々と生計を立てています。

       ↓ S生徒寮の子どもたちからの母の日カード
c0071527_19315130.jpg

Mimとの話が一段落すると、突如母親がトンでもないことを言い出しました。

「メーがいなかったら私はこの娘をここまで教育をつけさせることは絶対に出来なかった。 そこで、もしメーがずっとタイにいるのであれば、この娘を上げます」と。

彼女には3人の娘がおり、経済的に養育不能ということで、いずれも幼少のころから旧職を含む財団に預けました。 そして2人の娘はまだ財団に留まっています」

「私にはあと2人の娘がいるので大丈夫(!!??)です。メーが年をとって介護が必要になったときにはMimが面倒を見れます」

一方Mimも「私もそうしたい」と言います。 

「ウーン。 ありがたい話だし、嬉しいけど、なるべく介護が必要な状態にならないように注意するね」と言うのが精いっぱいでした。

子どもたちには冗談で、「私の将来は面倒見てや」とは言っているけれど、まさか本当にそんなオファーがあるなんて。。

彼らが帰ったあとも心がほのぼのとし、昼間あった日本人がらみの『イヤなこと』に悶悶としていた気持を洗い流してくれるようでした。

[PR]
# by karihaha | 2016-08-31 19:36 | ブログ | Comments(0)

雨をぬってのチェンダオ詣で

月一度と心がけているチェンダオ周辺の支援をしている個人や団体への訪問ですが、今月はいつも進んで車を提供してくれている方が一時帰国中ということもあり、止めておこうとは思ったのですが、やっぱり気になる。 

そこで一計を案じて、これも支援先のS生徒寮の寮長に協力してもらうことにしました。 チェンダオまでは路線バスで行き、そこからは寮長の車で物資の調達や訪問をします。今回はS生徒寮がらみで知り会ったYさんも一緒でした。
c0071527_17420774.jpg
c0071527_17422576.jpg
c0071527_17424037.jpg

行ってみるとやっぱり色々な変化がみられることがあります。

高校3年まで奨学金を上げていたRaenuuがまたチェンマイに働きに行ったというのです。前回は卒業後3か月でギブアップしたあと、一旦帰ってきていたのですが、また仕事を見つけたのでしょう。

彼女には93才の祖父と軽い知的障がいのある母親がいて、経済的には本当に困窮しています。しかし、今回初めて知ったのは、隣の比較的立派な家は、母親の姉のものだということです。 それまでは親戚としか聞いていなかったので、それなら何らかの支援があってしかるべきだと思うのですが、全くないといいます。

私も彼らを5年ぐらい知っていますが、家の造作と言い、冷蔵庫の中身と言い、私以外の誰かがコンスタントにサポートしている風には見えません。 一時期奨学金をストップしたために、Raenuuの卒業証書をもらえない事態になり、慌てて授業料を払い込んだこともあります。

同行していたYさんが、「タイは家族の絆が強いと言うけれど、こんな家庭もあるんだね」と言ったこと、私も同感です。


ちょっと心が温まることもあります。

保育園の先生が、「Tさんの誕生日だよね。去年はケーキを買ってきてくれて、みんなでお祝いしたよね」と言いました。 

そんなことを覚えていてくれたんだ、と驚くと同時に、ちょっと焦りが。慌てて「何か欲しいものある?」と聞いた次第。 デング熱防止のために、子どもたちの昼寝用にカヤが欲しいそうです。 

ハイ、次回必ず持ってきます。

93才のおじいさん宅では冷えたパイナップルを一個もらいました。 庭でとれたそうです。

そして最後に寄った生徒寮では8月12日の母の日用に、子どもたち全員からカードが用意されていたらしく、それを受け取りました。

当日は数人の奨学生から電話やメールもありました。


連絡してこなかった他の奨学生たちよ、こんなことも君たちの評価につながることがあるんだよwww.

[PR]
# by karihaha | 2016-08-28 17:43 | ブログ | Comments(0)

色々変わってあたりまえ

突如美味しいパンを食べたくなって、ホントーに久しぶりに、当地では美味しいパン屋さんとして知られている、タイ人と日本人カップルの経営するベーカリーに行くことにしました。

何故久しぶりかと言うと、パン派ではない上、どうしてもの時は、日本から苦労して持ってきたおもちもつけるホームベーカリーで、ナンチャッテパンを作っていたからです。

思い立ったが吉日。 不定期に盲人の生徒たちに教えている日本語の授業の帰りにくだんのパン屋さんに行ってみることにしました。


着いてみるとシャッターが閉まっています。 確か定休日は日曜日のはず。臨時休業なのか、それとも移転したのか? それなら何か貼ってあってもいいよな??


ガッカリしながら来た道を引き返していると、見覚えのある僧衣の青年と出くわしました。 日本語を教えているクラスの、健常者の青年です。

ダメもとで聞いてみると、『移転したよ』と、近くの新しい店舗に案内してくれました。


閉店間際、たった一つ残っていたパンを買ったあと、日本人の奥さんと思わず長話をしてしまいました。その中で話に出たこのベーカリーや、気になっていた日本人の方々の消息は、『そうだよな、やっぱり時代は変わっていくんだよな』と思わせられることばかり。今日の話の中ではタイ人をスタッフとして使う難しさも共有しました。

私も、5年半前に旧職を退いたときは事情を知らない日本人コミュニティーにかなりの衝撃を与えてしまったのではとの想像に難くありません。 でも何か神がかりのような形で知り会った支援者のTさんのおかげで、継続して活動を続けてこれています。


「今後は夫婦2人で細々やっていきます」とおっしゃった奥さん。

そうですよ。かく言う私も以前のマネージャー業より、いまの方がどれだけやっていることに充足感を感じられていることか。

お互い肩の力を抜いてがんばりましょうね。

[PR]
# by karihaha | 2016-08-24 00:53 | ブログ | Comments(0)

8月15日

今年も8月15日がめぐってきました。

当地でも戦没者への慰霊祭が例年通り行われました。特にチェンマイはあのインパール作戦に従軍した兵士の方々の野戦病院が置かれ、無謀な作戦で貴い命を落とした方々の慰霊碑もあります。

そして8月15日には当地の有志による慰霊祭が3か所で執り行われています。

https://www.facebook.com/chiangmai.memorial/

例年であれば車の便もあり、郊外のバーンガトー高校敷地内での慰霊祭に出席していたのですが、今年は市内のムーンサン寺へ行くことにしました。 それも8月15日ではなく、前日の14日夕刻、人の居ない、静かな時間帯に行くことにしました。
c0071527_17090248.jpg
着いてみると、翌日のための準備がすっかり整っていました。 誰も居ないのではと思っていたのですが、準備委員会の方でしょう、2人の日本人がいらっしゃいました。


まず持参したお花やお供えを捧げます。 今回は朝作ったおにぎりもお供えしました。 

『白骨街道』と呼ばれた、兵士の死体が累々と横たわったインパールからタイへのルートです。さぞかし故郷の食べ物を渇望されていたでしょう。
c0071527_17093341.jpg
c0071527_17094722.jpg
拝礼が終わっての帰り道、「今年もお参りできた」という小さな安堵感と共に、こんなに身近な場所にある慰霊碑に、これからはもっと頻繁に足を運ぼうとも思いました。

[PR]
# by karihaha | 2016-08-17 17:11 | ブログ | Comments(0)

母の日

王妃様のお誕生日に合わせた当地の母の日。 タイ全土で祝われていますが、その中でも鉄板は学校での母の日でしょう。


Memeeの学校の母の日行事に参加してきました。 

8時半に着いてみると、父兄の数がチラホラと言う感じで、「あれ? 時間を間違ったかな」と思いつつも、マイクの声が聞こえる方向に進むと、講堂では全校生徒が集まっていました。


こちらには先生と生徒の姿しかありません。Memeeの姿を探すも1,000人からの制服軍団の中からは不可能。 丁度顔見知りの先生が入ってきたので聞いてみると、まず先生と全校生の儀式があり、10時ぐらいから中3と高3の父兄と生徒を対象の第2弾の儀式があるとか。

「またやられた―」

Memeeが連絡してくるときは校内の公衆電話や、友だちの携帯を使うのですが、電話代を気にしているのか、常に言葉が足らず、説明不足なのです。こちらは額面通りに受け取って行動すると、待ちぼうけということがしばしばあります。

今回も最初は8時と言っていたのが、早すぎると言うと、8時半でもいいよ言ってきた上のことです。


こうなったら仕方ないと、先生方に混ざって式に参加しました。 

大きな王妃さまの写真の前で拝礼し、代表がささげ持つお供えが次々並びます。 そして型どおりの献辞、国歌斉唱と続く生徒たちの舞踊のあたりで、他の母親たちが遠慮がちに集まってきました。
c0071527_15523060.jpg
c0071527_15521744.jpg
c0071527_15524377.jpg
c0071527_15525635.jpg
 
生徒たちは100%山岳少数民族ですから、父兄の大半がそれぞれの民族衣装に身を包んでいます。

そして第2部はこの行事ではハイライトとも言える、母親たちへの感謝の儀式です。親たちは椅子に座り、子どもはその前にぬかづき、拝礼します。 その間、親たちは子どもの背中や頭をなでながら言葉をかけるのです。
c0071527_15530895.jpg
c0071527_15532230.jpg
この頃になると大半の親子が泣いています。 

最後に用意してあった桶と水を使って、子どもが親の足を洗います。 これにはどういう意味があるのか? 深いことはわかりませんが、とにかく感謝の意をあらわすということは間違いないようです。


さてさて、このように淡々と書いていますが、今回ちょっとびっくりしたこと。それはMemeeが儀式のあいだ中、ずっと泣いていたことです。

回りに影響されたというのもあるのでしょうが、ちょっとでも思ってくれていたのなら嬉しいな。

[PR]
# by karihaha | 2016-08-14 15:56 | ブログ | Comments(0)

電話

この間の日曜日に行われた国民投票は、軍政側に軍配が上がったようですね。 結果的に61%強の得票率だったようです。そこで前のブログのエントリーを少し訂正させていただきます。

タイは選挙権の行使は義務なのですが、今回の国民投票はこの限りではないらしく、任意だったようです。 そして北タイの投票率がダントツに高かったようで、それが反対派の票を押し上げたのかもしれません。


さて、その投票日の日曜日の夕刻、電話が鳴りました。相手は奨学生の1人、Mimの母親でした。

涙ながらに話す母親の話を聞くと、MimがN県立病院の救急で手当てを受けていると言います。 電話ではラチがあかないので、病院に行くことにしました。 とは言っても郊外型のソンテウはもう時間的に運行しておらず、通りに出て市内用の赤ソンテウをタクシー代わりに病院に急ぎました。

そこはつい前日Ahtitの甥の見舞いに行ったばかりです。

たまたま行った時間帯にはCT撮影に入っているとのことで、母親からゆっくり事情を聞くことができました。

「夕刻文房具を買いに大通りへ出たとき、車道で突然気を失い倒れた。 たまたま知り合いの人がそれを見て、母親に連絡してきてくれた。 あごを切っていて、先生によると頭部損傷の疑いもあるので、CTを撮ると言われた」

いつもは気丈な母親が何とも心細げに、「あの娘に何かあったら生きていけない」と涙声です。

しばらくすると、救急室に戻って点滴中のMimと話すことができました。 あごのけがは痛々しいし熱があるけど、ちゃんと話ができるので大丈夫でしょう。念のためということで、その夜は処置入院となりました。

本人は丁度女の子の日だったので、と言います。その上最近気づいたのはとても痩せていることです。想像ですが、無理なダイエットでもしているのでは?

しかしあの車の往来の激しい大通りで、無傷に近かったのは奇跡的でした。 それとちょっと印象的だったのは母親の取り乱しよう(人のことは言えませんが)。Mimとその妹のMaliを旧職の財団に預かって以来、10年以上この人を知っていますが、常にクールな印象しかなかったのに。。

翌朝7時前の母親からの電話は、脳にも問題がなく、10時ぐらいには退院出来るとのことでした。とりあえず大事に至らなくてヨカッタ!



そして今日8時前の電話はAhtitからでした。 それは電話を取る前にピンときた内容通りの話でした。

N県立病院のICUに入院していた彼の甥が息をひきとったと言うのです。

享年2才。

あまりに短く突然の命の終焉でした。

合掌

[PR]
# by karihaha | 2016-08-10 15:54 | ブログ | Comments(3)

国民投票

日本では参議院に続く都知事選挙も終わり、まずはひと段落という感じですが、ここタイでは今日、軍事政権が起草した憲法改正法案に対する国民投票が実施されています(その内容は:
http://www.sankei.com/world/news/160330/wor1603300041-n1.html)。

さてさて、この結果次第では2014年5月以来の軍事政権が、来年の総選挙を経て民政に移管するとも言われていますが、どうなるのでしょう。


昨日、土曜日ともありグダグダと惰眠をむさぼっていると、Ahtitから電話がありました。 いまからチェンマイ経由で実家に帰ると言うのです。

いつものように最寄りのバス停で会いませんか?ということなのだろうけど、「もっと早く言ってよ!」。

でもこのような形(ドタキャンも含めて)で振り回されるのも慣れっこと言えば慣れっこなので、OKを出し、支度をしながら「なぜ今日?」とつらつら考え、「あ! 選挙!!」と思い至りました。


タイの選挙は住居登録簿 (タビアンバーン)に基づいた地域で投票するので、居住地に登録していなければその所在地までわざわざ出向いて投票します。 つまりちょっとした民族大移動が繰り広げられるのです。

大変だなーと私などは思うのですが、選挙権行使が義務であることとは別に、一般的に家族大好きなタイ人にとっては親・兄弟と会える絶好の機会なのでしょう。


結局、彼の甥がいまもICUに居るN県立病院で会うことにしました。ちなみに彼の甥はいまも意識がなく、子どもの両親(Ahtitの兄夫婦)は、昼間はICUの前、そして夜は病院の待合室でこの10日間を過ごしています。小児病棟であれば子どもに添い寝する形で、ベッドを共有出来るのですが。。

このような形で寝泊まりしている遠方からの親・親戚たちも多いのは、もちろんゲストハウス等の宿泊費をねん出できないからです。見たところ5日ほど前に比べ、母親は少し痩せた印象があります。


話は戻って、Ahtitはやはり投票のための帰省でした。仕事が休めないので、月曜日にはトンボ帰りしなくてはなりません。

ちなみに彼は確か今年の11月で18歳のはず? いいのか? 例えば年末までに18歳の人に参政権は与えられる制度なのかな?


「エー! 18歳!!」。

そうすると彼との付き合いももう11年になるんだなー。

[PR]
# by karihaha | 2016-08-07 14:14 | ブログ | Comments(2)

15才

8月4日はMemeeの誕生日でした。

放課後をめざして学校に着いてみると、校門の守衛さんにストーップされ、訪問は週末のみと言われてしまいました。

「きょうは子どもの誕生日、そこを何とか」と泣き落とし戦術を使うも功を奏さないとなれば、Memeeの生活指導の先生に連絡してみると電話するも繋がらず。 持参したプレゼントの数々は置いていけば本人に渡すから、と宣告されてしまいました。

少額とはいえこの学校の生徒5人に奨学金を授与しているスポンサーにあんまりな仕打ち、と内心思いながら、最近とみに厳しくなった校則に思いをいたしたのでした。


保護者に対しては、面会は月1回。学校発行の身分証明書所持の保護者のみ。お菓子等の加工品の差し入れは禁止。食品の差し入れは当日調理したものに限る。


保護者にさえこれですから生徒たちにはもっと厳しい規律が求められ始めたのでしょう。そのことが原因かどうか分からないのですが、生徒たちの退学も相次いでいると聞きます。


結局粘り勝ちで、校門付近の守衛さんの目が届くところで待つようにと言われました。そしてほどなくしてMemeeが現れました。 本人はもちろん規則を知っていますからこの訪問は嬉しいサプライズだったのでしょう。
c0071527_14311227.jpg
まずは「ハッピーバースデイ」。彼女が6歳のときからですから、もう9年ものつきあいです。最初のころ、いや数年前までは本当に手に負えない子でした。実母が中度の知的障がいですから、その影響があるのかと心配したものです。 でも最近は見違えるように落ち着き、聞き分けがよくなってきました。

さて、本題の私立学校への転入希望の件です。結論から言うと、費用面からとても支援できない。高校3年までのあと3年、この無償の学校で頑張るべきだと言い渡しました。

彼女の本心は計りしれませんが、一応は納得したようです。


さて、帰途につく途中、先生から電話がありました。 その私立学校への編入担当をしている方のようです。生憎ソンテウの中で、騒音で話が出来ないからと言うと、ではまた後程という話になったのですが、「いやいや、その私立学校には授業料半額以外にさまざまな公的支援もありますよ」ということなのでしょう。

しかしその後は連絡がありませんでしたが、その件、Baanとの経験で十分知っているつもりです。授業料半額以外に、授業料と生活費の一部を返還義務のある奨学金として授与されるのですよね。

でもいまの学校では私の知る限りでは盗難は頻発しこそすれ、いじめ等はないはずです。Memeeには『我慢』ということを覚えて欲しいと思います。

[PR]
# by karihaha | 2016-08-05 14:34 | ブログ | Comments(1)

子どもたち

Ahtitのおい
c0071527_15573039.jpg
昨日、出かける支度をしていると、Ahtitの姉から電話がありました。 

Ahtitとは頻繁に連絡を取り合っているけれど、姉からの電話は珍しく、何事かと取ってみると、「いまチェンマイに来ていて、おいが入院している病院に向かっているところ」と言います。姉によると、Ahtitの兄の子ども(2才)が危険な状態だと言うのです。

あいにく出かけるところだから会えない、と電話を切ったのですが、たまたまその後約束がドタキャンになり(タイあるあるです)、それならと病院に向かいました。

病院は懐かしいとも言えるN県立病院。ここでは10年以上前まで2年近くボランティアをしていたので、『勝手知ったる』です。

危険な状態と聞いていたので、小児病棟ではなく、ICUに直接向かうと、やはり一家が部屋の前で待機していました。

部屋に入ると、顔見知りの看護師が来て、詳しく病状を説明してくれました。簡単に言うと、脳死状態で今は人工呼吸器で息をつないでいるばかりで、もう手の打ちようがないとのことです。

7月28日にひきつけを起こし、最寄りのチェンダオ病院では手の打ちようがないということでN病院に搬送されてきたのです。 当日、朝両親が気づいたときから病院につくまで6時間が経過していたそうです。その間になすすべもなく、容態が悪化していったのでしょう。


Ahtitの実家には何度か行ったことがありますが、チェンマイーファンをつなぐ幹線道路から折れて一歩田舎道を入ると、あとは公共交通機関もなく、雨季には走行不能の道が続く、文字通り人里はなれたラフ族の寒村です。

チェンマイの田舎は数多く知っていますが、この村は僻地中の僻地の一つと言っても過言ではないでしょう。

『もし彼がチェンマイに住んでいたら、もし雨季でなかったら、もし日本のようにドクターヘリのようなシステムがあれば。。』

さまざまな『もし』が頭を駆け巡ります。



Buu
c0071527_15561091.jpg
先月末にチェンダオ詣でをした際、いつものようにBuuの様子も見に行ってきました。

家に入ると、これまたいつものように母親が彼女を抱いて座っているのが目に入りました。まるで彫像のような2人の姿。毎回変わることがありません。

Buuはもうすぐ6歳、知り合った最初のころ、まだ2・3か月の頃は両親共とまどいと困惑の渦中にありました。

ミャンマーから経済難民として流れてきて、それでなくても困窮している家計に生まれたBuuに困り果てていたのです。

その後も何度も何度も入退院を繰り返し、さすがの私も「もうだめか」と思ったことが何度となくありました。

でも6年近くたった今、Buuは家族の一員として、ふつうに両親や家族に愛される子どもの一人として暮らしています。

障がいがあろうがなかろうが、いくら経済的に困窮していようが、親にとっては変わらず愛しい子どもであることは、この家族が証明しています。

[PR]
# by karihaha | 2016-08-03 21:25 | ブログ | Comments(0)

9年!!

写真のATMスリップは、先月末に振り込んだ奨学生の1人への後期分、最後の奨学金です。

Patと出会ったのは9年前、彼女が中学2年のときでした。 旧財団で小学生への奨学金選考のため家庭訪問したとき、彼女の腹違いの妹ではなく、中学生の彼女に奨学金を授与すると決めたのです。

モン族の7人家族の一家は父親を亡くしたばかりで、当時の住居と言えば建てかけで放置されたタウンハウスの一隅を不法占拠し、水もなく、トイレと言えば近所の公設市場付属のトイレをその都度お金を払って用を足すという生活でした。
c0071527_15174256.jpg
とは言っても財団の奨学金は小学生対象だったので、まずは中学までは個人的に支援、その後は財団に寄宿させ、財団内の仕事をしながら得る、少額のアルバイト代と私からの支援で高校生活を送りました。そして大学は再度個人的支援と償還義務のある政府系の奨学金と, つごう9年間の奨学生としての生活でした。

その間、成績こそ『素晴らしい』とは言えないまでも、生活態度や性格はまさに理想的な奨学生でした。

いまは大学卒業前の研修で、3か月間病院で実践的な訓練をし、その後は再び大学に戻り国家試験に備えます。すべてうまくいけば今年の12月には大学を卒業する予定です。


そして私からの奨学金も今回で終わり、あとは8月末に振り込む、友人から預かっている月2,000バーツの生活費支援4か月分のみになります。

長かったこの9年間。でも初心を貫き頑張ったPat(そして支援者のTさんと私自身)。 その日々を想うと感慨深いものがあります。

[PR]
# by karihaha | 2016-08-01 15:20 | ブログ | Comments(0)

7月も終わり

今日は日本の首都東京の首長を選ぶ選挙ですね。 参議院選挙に引き続きの都知事選。 この1か月余りは選挙動向に目が離せない日々でした。

私は国選には、在外選挙登録をしているので参政権を行使できるのですが、地方の選挙は残念ながら参政権がありません。 いずれにしろ東京出身ではないので今回の選挙は『かやの外』と言えば言えるのですが、何と言っても愛する日本の首都のリーダーを決める大事な選挙です。 都民の皆さんが賢明な判断をしてくれるのを信じて結果を待ちたいと思います。
c0071527_14032037.jpg
c0071527_14034275.jpg
c0071527_14041188.jpg
c0071527_14043548.jpg
c0071527_14045075.jpg
さて、雨季の合間の晴れ間をぬって恒例の『チェンダオ詣で』に行ってきました。

保育所、Buu宅、90歳のおじいさん宅、S生徒寮といういつものルートに加え、今回は少し足を延ばして先期まで支援していた、2人の学生が在籍していた中学校へも行ってきました。

その学生たちの前期の成績表を手に入れるのが目的だったのですが、今回同行された日本からのお客さんに少しタイの田舎を見て欲しかったのもあります。 

とは言ってもチェンダオの支援先は充分田舎なのですが、こちらはまた特別と言う感もある、ディープ(?)な場所です。 

このところの雨で素晴らしく瑞々しい緑は、行きなれた私にも感動ともいえる景色で、ちょっとした遠足気分を味わえた一日でした。

[PR]
# by karihaha | 2016-07-31 14:07 | ブログ | Comments(0)

Memeeの進路

数日前の夜遅く電話がありました。 いつものように寮の誰かの携帯を借りてかけているのでしょう。

話の内容は、『高校はP校に移りたい』と言うものでした。 いまの政府系の寄宿学校にそのP校の担当者が来校し、学校説明会があったとのことでした。

『資格審査の上、合格者には授業料半額免除する』。

P校は奇しくも、Booの妹、Baanが勝手に入学を決めた学校です。 この偶然(?)はつまりP校が経済的に恵まれない子弟の教育に力を入れているということ?


しかし授業料は半額とは言え、その他に寮費や生活費の負担が発生します。 Memeeが休みのたびに寄宿するおじ宅では、とてもとてもそんな負担は望めません。

かと言って概算、年間40,000バーツ(12万円)以上の自己負担は、唯一と言ってもよい保護者である私にはとても払えない額です。

なぜいまの無料の学校ではダメなのかと聞いてみたところ、「規則が厳しすぎて」といいます、

8月4日は彼女の15歳の誕生日。 こうなったら会いに行ってじっくり話し合わねば。

[PR]
# by karihaha | 2016-07-29 19:23 | ブログ | Comments(1)

相模原事件、なに勘違いしてんだよ!!

相模原事件、昨日起きがけにまず見たYahoo ニューストピック。 

19人の死者という文字に、ああ、またヨーロッパでテロが起こってしまったのか、とクリックすると、何と日本で起こったことでした。

刻々と入る詳細に注目し、何が起こったのかを知るにつれ、怒りがフツフツと沸いてきました。

今朝からは犯人の動機が、重複障がい者をターゲットにしていたと報じています。

犯人は、『彼らはこの世に存在しても意味がない、無用の長物』とばかりにシステマティックに、短時間に喉を掻き切って死にいたらしめたと。



連行される車内で報道陣に笑顔を見せる犯人。

彼にとっては良いことをした、俺はヒーロ―だ、との認識があるのかも知れません。


『ふざけるな!!』

たかだかスタッフで何年間か働いて、何が分かるんだ!!

一日何時間か患者さんたちと接し、その代償に金銭も受領している、 いくら患者さんたちの現状を憂い泣いても、しょせんは他人。 その関係が第三者である当事者には救いであり、明日へのエネルギーになる。


反面、ご家族は自分の肉と血を分けた子どもや兄弟・姉妹がそのような状況に陥ってしまっている、その悲しみ・苦しみに日々、1日24時間、1年365日耐え続け、明日の光は見えない日々を過ごし、その中で見つけた双方にとっての最後の憩いの場であった施設。

福祉国家日本がそのような場を、患者さんやご家族に提供できることを日本人が誇りに思う施設、それが今回の凶行が行われた場所だったのです。


間違った思い込みと狂気が犯した今回の蛮行を前に、ただただ言葉を失います。

[PR]
# by karihaha | 2016-07-27 23:16 | ブログ | Comments(0)

10何年振りなのに

買い物帰りにソンテウ(乗合トラック)に乗って帰宅中、途中から乗ってきた女性にどこか見覚えあり。

向かいの列に座るのを待って、確かめようとすると、先方もジッとこちらを見て、双方にらみ合いの態。

10年以上前に病院ボランティアをしていた時によく見かけた保母さんでした。 彼女は当時Aホームと呼ばれる、HIV/AIDS感染者の子どもを預かる児童養護施設で働き、免疫不全症候群と呼ばれる病名の通り、どうしても病気に罹りやすい子どもたちの病院付添をしていたのです。


ひとしきり近況報告をしたあと、「いまはどこに住んでいるの?」という話になりました。そこで「T市場近くのアパートだよ」と言うと、「ああ、まだあのWマンション?」と言います。

これにはさすがに驚きました。よくタイ人は名前を覚える天才と書きますが、さすがに住所までとは!! 

それとも私ってそんなに注目されていた?(嘘)



Aホームには同時期にセームという感染者の少年を預かってもらったことがあります。 彼がまだ、血のつながらない盲人の付添として街をあるき、お金をめぐんでもらうような生活をしていたころは6歳でした。

あれから10年、大きくなっただろうなー。 一度訪ねて行ってみるかな。

[PR]
# by karihaha | 2016-07-22 19:28 | ブログ | Comments(0)

宅配?

タイには私が知る限りでは、『ヤ○ト運輸』のような宅配がありません(と思います)。

そこで私が利用しているのは。郵便以外であれば近隣・遠距離に関わらず、乗合いトラックやバスの定期便に託したりすることです。

届けたい荷物や書類を最寄りのバス停やソンテウの発着所に持って行き、定期バスなら途中停車や終点のバス停気付けにして、受取人に取りに行ってもらう。あるいはソンテウであればもっと融通が効き、受取り人がルートの途中で待ちぶせしたり、ルート上であればある特定の場所に託してもらうことも出来ます。

c0071527_18253135.jpg

c0071527_18264699.jpg

チェンマイから60kmのジョムトン郡に住むAhtitにはいつもこの方法で荷物を送っています。



このタイ版宅急便、けっこう重宝しています。


[PR]
# by karihaha | 2016-07-22 18:16 | ブログ | Comments(0)

Ahtitの近況

『闘鶏のおとうさん』のAhtitがジョムトン郡の養鶏場で働き始めてから1年が過ぎました。

前回会ったときには、月3,000バーツ(9,000円)では住み込みとは言え、あまりにも苦しいので、賃上げをお願いしてみると言っていました。

毎度のことですが、彼に電話をするにはちょっとしたスリルを感じます。「もう辞めたよ」と言われるのを一番心配しているのです。

仕事ですから苦しいことや、イヤなことがあって辞めてしまうことはありがちですが、彼の場合は学習障がいもあり、おいそれとは次の職場が見つかるとは思えないからです。

しかし電話での第一声は明るいものでした。給料も1,000バーツ上がって月4,000バーツになったと言います。 5,000バーツにしてあげるという前の約束よりは少ないのですが、とりあえずは「良かったね」と彼の気持ちを鼓舞するように言ったりします。

嬉しかったのは、彼が今学期から通い始めた土曜日半日のみの成人学級が楽しいと言ったことです。

「すごい進歩だよ」と自分で言ったりもしています。



お給料もちょっぴりだけど上がったし、学校が楽しいということは、私も少しは肩の荷を下ろせるかな?


[PR]
# by karihaha | 2016-07-21 18:01 | ブログ | Comments(2)