カテゴリ:ジョムトンヘ( 8 )

ジョムトンへ(17) 出生証明書

 昨日に引き続き今日もジョムトンへ。これでもう何度目になるのだろう。少なく見積もっても15回。往復120kmだから、合計1,800km。

 「ワアー、日本列島半分横断した」

 いつもは週末が多い訪問なので、医者に会える平日をと訪ねた昨日の帰りがけ、きょう担当医師とセームの村のお歴々、つまり村長とオボトー(村会議員)とのミーティングがあると聞いた。その会に私も同席を請われ、出直してきた訳だ。

 体調も整い、いよいよ退院間近となったいま、セームを家に帰すのではなくVホームに移す趣旨説明及び、同意を得るための病院側の要請による話し合いとのことだった。
 

 朝9時からというそのミーティングに間に合ったのは、チェンマイから出向いてきた私だけ、他の両者の到着を待ち、ようやく始まったのは10時半を回っていた。

 タイです!!

 そんな私のいらだちも、村長が携えてきた書類の束を見た途端に、掻き消えた。

 真新しいその書類は、セームがこの世に存在するという大事な証拠だった。

 出生証明書、住民登録証、健康保険証。


 真っ先に目に入った出生証明書の国籍欄には「タイ人」と記載されていた。この短い単語が計り知れないほどの大きな意味を持つ。

 彼の本名のほかに、両親の名前が記載されていた。

 生年月日:仏歴2543年(西暦2000年)。月日の記載はない。

 出生場所:村外、ラムヤイ(龍眼)畑にて自力出産(つまり病院や助産婦にかかった記録がない)。

 本籍地:村長宅


 この書類のために、5-6回も郡役場に通わなければいけなかったと、村長が誇らしげに、どこか自慢げに言った。

 セームの両親は、何らかの事情で戸籍登録をせず、セームの出生届も出していなかったが、両親がタイ人であるという記録は残っていたらしい。

 村長の尽力で、村人20人あまりが、セームがその両親の子どもであるという保証人となり、目出度く発行されたというその出生証明書は、真新しさもあり、どこか光り輝いているように見えた。
 
 こんなことなら、Vホームなど経由せずとも、Bホームに直接連れて行けたのに、と後悔の念がわくが、時すでに遅し。

 とは言っても、NGOが親や親戚と直接書類を取り交わし、子どもの身柄を預かる一番簡便な方法も、最近は取り締まりが厳しくなってきているとのことなので、やはり王道を行くほうがいいのかもと心を慰める。


 やっと始まった会議で、担当の若い女医がいままでの経過と、Vホームに連れて行くことを説明しだした。盲人の家では教育・福祉を始め、彼の「不治の病」へのケアが難しいことがその処置に至った主な理由だと言った。

 会議の前、医者の到着を待つ間に、私が漏らしてしまった不用意な一言、

 「セームがHIVに感染しているのを知っていたんですか?」

 この言葉が、村会議員の表情をサッと曇らせたのを見逃さなかった。

 「いや、なんかおかしいとは思っていたんですよね」

 いまも根強く残る、この病に対する偏見・恐怖。そのことをよく知っている筈の私が、なんとも軽はずみなことを言ってしまったと今も後悔している。


 説明を一通り聞き終わった女性の村会議員が発した言葉が、私の軽率さにさらに鞭打つた。

 「不治の病に罹っているのを知れば、今まで引き取りを強要していた盲人やその周辺の人々も、怖がって手を引くだろう」 

 私の発言がセームの退路を塞いでしまったのだろうか…


 病院中の注目を集めているセームの去就だが、Vホームへの入所は来週ということになった。

 そこから、再びVホーム幹部との交渉が始まる。
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by karihaha | 2005-07-15 01:04 | ジョムトンヘ | Comments(0)

ジョムトンへ(16) デリカシー

c0071527_2361243.jpg ベランダまで占有するベッド。地方病院に限らず、N県立病院でもよく見られる風景だ。

 県立病院の場合は、このような光景はあまり長く続かない。ベッドが満床になれば、急遽退院者がピックアップされるか、地元の病院へお引取りいただくということになる。しかし地方の病院の場合は、そうもいかないのだろう。

 はみだしたベッドを割り振られた患者さんは、どう感じているのだろう? 単純な疑問としては、蚊対策は?


 この写真の背中側、旧館と新館をつなぐ廊下に、ぽつんと置かれた2つのベッドのうちの一つを占有する、HIV感染者とおぼしき若い男性に以前から気がついていた。

 痩せ細った身体を横たえ、身じろぎもしない。こけた頬ゆえに余計に目立つ大きな目は、いつも一点を見つめたまま。

 一度も付き添いの姿を見たことがない。セームを訪ねて行くたびに、もうベッドが空いているのではないかと、いつも点検するような気持ちでそのベッドの方向を見やる。


 セームが昼寝をしている合間に、きょうもその患者さんのベッドの方へ行ってみた。通行人のふりを装いながら。

 通り過ぎながら出来るだけ何気なく見ると、珍しく目を閉じていた。眠っているのだろうか。

 腕には刺青。やせ衰えた身体にかけられた上掛けの先から除く足首から先の甲は、やせた身体に不釣合いに膨張し、そこだけが別の物体のように見える。末期患者特有の症状。

 サイドテーブルに置き去りにされた食事は、手がつけられた様子がなく、蟻がたかっていた。

 「彼はどんな人生を送ってきたのだろう」


 過去、大人のエイズホスピスで8ヶ月間ボランティアをしたことがある。見学者が引きもきらず、好むと好まざるとに関わらず、「反面教師」にならされていた患者さんたち。

 あれから3年。30バーツ保険制度のおかげで普遍的な医療機会が持てるようになったタイ国民ではあるが、医療者側の病める人々へのデリカシーという点では、まだまだの感が強い。

 その象徴をこの患者さんの置かれた状況に見る思いがする。
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by karihaha | 2005-07-14 02:39 | ジョムトンヘ | Comments(0)

ジョムトンへ(15) 一休さん

c0071527_423127.jpg サンパトンからジョムトンへと回る。今日は友人が運転するオートバイでの移動なので、フットワークが軽い。

 病棟にはセームの姿がなかった。これはいつものことなので別に驚きもしなかったが、看護師に尋ねて指差された幼児がセーム、とは最初は信じられなかった。

 「一休さん…」

 ベランダに置かれた簡易ベッドで眠っていたセームは頭をそられ、大きなガーゼを載せている。

 手ぬぐいを頭に載せ入浴中の、一休さんみたい(ごめん!)


 前から気になっていた頭部の膿瘍が悪化し、本格的治療が必要なためだった。

 このような症状に苦しんでいる感染者の少年を一人知っている。

 セームもそろそろ本格的にHIVの治療を始めなければいけないのかもしれない…


 髪の毛がなくなった分、余計に彼の目鼻立ちが際立っている。

 そんな彼を初めて見た友人の一言。

 「彼は大人みたいな目をしているねー」

 
 繊細で利発な子どもだとは思う。これから学校に行き成長するにつれ、自分自身の身の上のことも分かってくるだろう。

 彼の痛みを受け止め、少しでも分かち合うことができる、そんな仲間や保護者のいる環境に置いてあげなければ、と再び思う。
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by karihaha | 2005-07-11 04:05 | ジョムトンヘ | Comments(2)

ジョムトンへ(14) 歩行器

c0071527_2115305.jpg 今日のセームは歩行器に挑戦していた。

 本来なら持ち上げながら一歩一歩前進するところを、押しながらすごいスピードですり足歩行している。周囲にいた大人から、「足を上げて!」と注意されるがそ知らぬ顔。

 その上、私に気づくとその歩行器も放り投げ、飛びついて来てしまった。首筋にしっかりしがみつき、他力本願の移動を強要する。

 
 彼を抱いたまま、病院の外へ連れ出してみた。前の道路を行きかう車を見ながら感嘆の声を上げたり、見舞いと思しき子どもたちが楽しそうに走り回る姿を目で追いながら、声をあげて笑っている。

 やっとギブスがはずれ、欲求不満が少しは解消できたいま、子どもらしさが見え隠れする。

 そんな頑張った彼へのご褒美として、だっこぐらい甘えさせてあげても良いかなと思う。
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by karihaha | 2005-07-07 21:18 | ジョムトンヘ | Comments(0)

ジョムトンへ(13) ギブス

c0071527_1395823.jpg セーム、4才。 彼の今までの短い人生の歩みの中で培ってきた人間関係がある。

 HIV禍に倒れた両親が幼い彼を託したという盲人と、そのいとこを取り巻く人々。彼らがセームを可愛がってきたというのはおぼろげながら分かってきた。

 幼いセームも、選択権がなかった状況とはいえ、彼がポー(お父さん)と呼ぶ盲人を心の支えにしてきたのだろう。

 そんな彼らの小さな世界が、骨折事故を機に私が登場したことにより俄かに揺らぎだした。


 スケジュール通りであれば2日前に骨折箇所のレントゲン撮影があったはず。もしかしたらギブスが外れているかもしれない、その期待感で訪れた病室に彼の姿は無かった。

 「外に居るはずですよ」という看護師の言葉で、期待していたことが現実と分かった。

 ギブスの取れた彼は、思ったより背が低く、やはり四才というのは正確な年齢なのかもと感じさせた。

 おぼつかない足取りながら刻むその足取りの一歩一歩を見ていると、安堵感がふつふつと沸いてくる。


 丁度その時、‘おじ’の妻の親戚という母娘があらわれた。年老いた父親を診察に連れてきてその帰りという様子だった。

 彼らの関心はセームがいつ帰宅出来るのかという一点にあった。幼いころから面倒をみてきたこと、可愛がってきたことをしきりに強調する。

 いまセームが抱えている問題を明確に知ってもらうために、また一から説明をする羽目になってしまった。

 戸籍問題、そしてHIV感染者というセーム個人の問題に加えて、保護者としての適正。孤児としてのセームの身の振り方は、それら案件を踏まえてすでに公の場で判断される事案になっていることを説く。

 私自身も、彼らセームの周りの人々がその条件に合致していてくれたら、と今までもどれほど思ったか分からない。

 孤児やHIV感染者を施設に閉じ込めるのではなく、家族や地域でケアをする、それが理想の姿だというのは、いまも信じて疑わない。


 家族の付き添いで病院にいることの多いある女性が、ことあるごとにセームの面倒も看てきたようだ。その彼女が、私をまるで誘拐犯のような目で見ているのに今日初めて気がついた。

 こういう人を相手に何を言っても無駄とは思いつつ、理性を超えた怒りを感じる。
 
 ‘おじ’を始めとするセームの周りの人々も、入院中の彼を一人ぼっちにすることのないような心遣いがあったのであれば、いま帰宅を心待ちにするという言葉にも、もっと信憑性が感じられただろうに。


 セームに「メー(お母さん)」と呼ばれる私は、その言葉の持つ意味の重さに答えようとう奮闘しているつもりだが、遅々として進まぬお役所仕事もあいまって、すべてが曖昧模糊とした今の状況に、一人心を苛立たせている。
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by karihaha | 2005-06-27 01:41 | ジョムトンヘ | Comments(0)

ジョムトンへ(12) しつけ

 セームは昼寝を決め込んでいた。

 買ってきたアイスクリームが溶けてしまう。無理やり起こしたのが悪かったのか、ご機嫌最悪。

 看護師によると、最近また毎日泣いているらしい。

 
 しばらくすると機嫌は良くなったが、わがままが出だした。言葉遣いも乱暴で、「あれをしろ、これをとってくれ」という風。

 隣で乳児を抱いていた女性が、「家の長男もこんななんですよ」と眉をひそめる。


 もう1ヶ月半も身動きが出来ない状態、それを身内の見舞いとてない状態で耐えている。一番頼りにしている(多分)私も、数時間いては帰っていく。フラストレーションが溜まって当然だろう。

 そうは思っても、目にあまるようなことはやはり注意しなければ。

 「お願いするときは、ちゃんと丁寧語を使いなさい」と何度も繰り返す。

 
 外国語でのしつけはむつかしい。それをさらに難しくさせているのは、セームが今まで育った環境かもしれない。

 そういった意味でも、エイリアンのような私の言うことは、セームにとっても試練なのだろう。
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by karihaha | 2005-06-21 12:19 | ジョムトンヘ | Comments(0)

ジョムトンへ(11) 幼な心

 私がセームを訪れるのに先立って、盲人の親戚というセームの‘おじ’(姻戚関係はない)が病院を訪ねて来たと聞いた。

 少し酔っ払い、ご機嫌の彼はセームのベッドに横たわり、ずっと話をしていたらしい。

 婦長に「もうそろそろ連れて帰りたい」と言ったそうだ。

 もうしばらく病院で療養させるという医者の判断が納得できないらしい。


 婦長と私がその話をしていると、セームが目に涙をいっぱいためすすり泣きをしだした。‘おじ’や盲人を恋しがっているのだ。

 ‘おじ’が帰ったあと、家庭内暴力(DV)のことをずっと気にかけていた婦長が「叩かれたことはない?」と聞いてみると、真顔で「一回もない!」と力強く答えたそうだ。

 
 私のいましようとしていること、それは彼を不幸にするのか?

 再会の当日、強く病院に連れて行くのを主張した。もしそうしなかったらセームは身体障害者になっていたかもしれない。

 居住環境、健康管理、教育問題、将来的展望、法的正当性に関わる保護者としての適切性、そしてセーム自身のHIV感染者という新たな問題。

 彼の置かれた状況どれ一つをとっても、自分の判断を肯定できる材料だと思っている。
 

 しかし…

 どのような場合もずっと側に居てくれた、ただそれだけにしがみつく幼な心。


 子どもの情を断ち切る。

 その一点で、再び自分の判断とその正当性を問い直させられる。
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by karihaha | 2005-06-18 02:17 | ジョムトンヘ | Comments(0)

ジョムトンへ(10) HIV

c0071527_6562973.jpg テンの退院で、また病棟に面倒を見るべき子どもがいなくなった。

 今日ぐらいまたジョムトンに行こう、その前に少し骨休めをしようと朝寝坊を決め込んでいたら、9時に電話で起こされた。

 取ると、見知らぬ女性の声。

 「今日ジョムトンへ調査に行くのですが、一緒に行かれませんか?」

 社会福祉局の担当者だった。

 やったー! 「もちろん行きます」と答えて急いで支度をする。

 
 県庁で待ち合わせ、庁の車で病院へ向かう。同行者は社会福祉士の女性2人。車中、事情聴取を受ける。担当者が携えてきた書類の中に、私の渡したCDに入れた写真がコピーされて挟んであるのが見える。

 話しだしてすぐ、セームがVホーム預かりになるのは規定の事実であるような手ごたえを感じた。ただ、彼が障害者になる可能性があるのであれば、Vホームでは面倒を見きれないのでNGOにお願いしなければいけないとのことだった。

 その場合でも一旦Vホーム預かり、つまり「政府の子ども」になるという経過に変化はない。

 「政府の子ども」になることによってセームにどのような身分的変化が生じるのか聞いてみた。

 姓名をつけ登録する。滞在資格の取得、ひいては教育や福祉の恩恵を受ける。そして健康保険の資格を取得する。

 滞在資格の登録は行われるが、市民権ではないと聞いて少し驚いたが、その資格でも成人してからでも日常生活には支障がないとのことで安心した。

 セームの場合も人道的処置、つまり国境を越えて流れて来ているのであろう、国籍不明の子弟の保護というふうに解釈されているのだと分かった。
 
 
 社会福祉士の方が心配していたのは別の問題だった。つまりセームの怪我の仕方に不信感がぬぐえないとおっしゃるのだ。

 この点は私も気になっていたことだった。セームがそのケースに当たるのか否かは別として、物乞いの‘付加価値’を高めるために、手足を切られた、不具者にされたという話を聞いたことがある。

 
 病院に到着。セームはいつものように‘すねモード’。福祉士の方がやっきになって「どうして怪我をしたの?」と聞いても、この状態では答えるはずもない。

 医師、婦長そして担当看護師との会議が始まった。私も誘われたが、遠慮させていただいた。

 私の知っていること、希望していることはもう充分に伝えてある。技術的な問題に外国人の出る幕はないだろう。

 
 今日のセームは、いつも以上にテンションが高い。何かを感じとっているのかも知れない。

 やたらと側にすり寄ってくるかと思ったら、何度「ダメ!」 と言ってもわざと物を下に落したりする。一度などは手の甲を思いっきり噛まれたりした。


 2時間以上にも及ぶ会議が終わって家路につく車中の、福祉士の方の第一声。

 「セームはHIV感染しているんですよ」

 「エッ!」

 思わず先ほど噛まれた手の甲を見る。

 そのため母親がまず亡くなり、父親が続いて亡くなったそうだ。彼の場合も近々CD4カウントの検査をし、すぐにARV(抗HIV薬)の処方が必要かどうか検討してみるとのことだった。

 私も少なからずHIV問題には関心があるので、最初に村に行った日や、病院に見舞いに来た村人たちに父母の死因を聞いてみたが、要領を得ぬままだった。それよりなにより、彼の身体状況が、そんな疑いを跳ねのける力を持っていた。

 
 VホームにもHIV感染児の家はあるが、NGO関係のホームに最終の引き取りをお願いしてみて欲しいと懇願する。いまの彼には家庭的雰囲気が必要不可欠だと思う。

 気になる骨折に関しては、医師が将来歩けることを保証してくれたとのことで、これだけは気持が明るくなるニュースだった。

 また、チャイルドアビュース、つまりわざとどこかから落とされたのではないか、と言う疑問は医師としては明確な答えは出せないと仰ったらしい。ただ、階段から落ちたにしては顔や身体に全く傷がない点が、不思議と言えば言えるということだったらしいが。


 もの思いにふける意識を呼び覚ました、横に座る社会福祉士の一言。

 「運が悪いよね」

 まったくその通り。天涯孤独そしてHIV感染。

 あの酷い状況から救い出さなければと思っていたこの数週間。それが叶えられようとしているという感触を持った途端、のがれようのない運命が彼を襲っていたのを知る。
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by karihaha | 2005-06-14 07:05 | ジョムトンヘ | Comments(0)