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ラブ(?)コール

昨日は2か月ぶりに当地の財団の主催するS生徒寮の活動に参加してきました。

この生徒寮には前述の財団を通してその存在を知り、去年から今年にかけての1年間は出来るだけの支援をしてきたのですが、思うところありこの半年間ぐらいは『部外者』として気が向いたらの支援に終始しています。


とは言え、子どもたちそして生徒寮の責任者ご夫婦とは顔見知りの間柄。 昨日は奥さんとじっくり話をする機会がありました。

そしてひょんなことから何故支援の『熱』が冷めてしまったのかを、初めて忌憚なく話せたと思います。


あくまで部外者ですから、出しゃばったことは言えませんが、1年間支援した者の意見としてちょっとでもアドバイスになれば、参考にしてくれれば、そして何よりもその結果子どもを預かる責任を安定的に全うして欲しいと思ってのことです。



このブログでは何度も書いていますが、私はある児童養護施設を持つ財団で責任者として働いたことがあります。

その施設を退職して、もうまる7年になろうとしています。 その後はその施設の卒業生と言えば言葉は良いのですが、いわゆる問題児として出された子どもたちを『救済』するのも私の現在の活動の一端です。

働いていた財団は前述の生徒寮とは違い、個人資産を運用しての活動で、恥ずかしながら(?)マネージャーとしてその種の責任者が宿命的に背負うことになる『寄付集め』という大役を全くしたことがありませんでした。とは言ってもそのビッグボスとの対応での苦労はあったのですが。。

そして今の活動を出来ているのは、財団を退職するのに時を同じくして出会った日本人篤志家のおかげです。つまり私はこの種の活動で終始資金集めに苦労をしたことがないのです。


ですから『そんな奴が偉そうなことを言うな』と言われるかも、だからそれを踏まえての生徒寮の責任者へのアドバイスであるように配慮しつつも、ちょっときつかったかな?


そんなことを思いめぐらしていた今日、前職の財団にいまも居るOからFBでメッセージ。彼女は生まれながらの脳性マヒながら、頭脳健常者並み、あるいはそれ以上。でも四肢は全く自由が利きません。

財団と現マネージャーに配慮していまも財団の庇護下にいる子どもたちとは出来るだけコンタクトを取らないようにしているのですが、Oだけは別です。 彼女からのアクションがあればの話ですが。 

それが大体月1回ペースで、私ももちろん心待ちにしています。きょうもクリスマスプレゼントは何がいいの?とかのたわいのない話です。

Oに限らず、財団の卒業生ともこんな関係が続いている一つの理由は、資金繰りに苦労をしなかった(エエカッコできる)マネージャーだったからかもしれないなー、なんて昨日のことを振り返りながら、いまは亡きビッグポスと日本人篤志家Tさんに感謝しきりです。














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by karihaha | 2017-12-12 11:31 | ブログ | Comments(1)

秋休み直前

10月に入ると小・中・高校生たちにとって待望(?)の秋休みに入ります。 前期と後期のはざまのこの休みは3月から5月にかけての、2か月間余りの夏休みに比べ短いのですが、それでも1か月近く休むところもあるようです。

そこで秋休みに入る前に。ご無沙汰している子どもに会いに行ってみようと思いつきました。
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きっかけはBaanからの電話で、9月16日に何か学校行事があるので来ませんか?という誘いでした。 常々子どもたちには支援をただただ口を開けて待っているのではなく、ちゃんと発信もするように、と言っているので、このような誘いには出来るだけ応えようと思っています。

そのついでに、いま一番現状を気にかけているNamuuにも会いに行ってみよう。 彼女はこの5月からまた新しい財団に引き取られ、その責任者と会ってみると、親戚でもない私は年に1回だけクリスマスシーズンに面会が許される、支援金や品物は財団になら受け取るが、個人的には許可されないと、とてものことに理解できない通達をされたことがあります。

それゆえ、前回行ったように、学校の昼休みにこっそりととも考えたのですが、その財団から同じ学校に通う生徒たちも多く、校内放送で大々的に呼び出されるとチクられてしまうのでは、との危惧もあります。

でももう3か月間近く会っていません。『エーイ、ままよ』と行くことにしました。

まずBaanですが、当初は大反対でしぶしぶスタートした支援ですが、いまとなってはこれで良かったと思わせてくれます。

毎月2,000バーツ、生活費として借りられる政府系奨学金ですべてを賄っているそうです。でもその食事内容は毎日のようにインスタントラーメンとか。栄養面では勿論心配です。

でも6人部屋の同室の少女たちにも会ったのですが、小さいころあれほど排他的だったBaanがみんなと仲良くしている様子には、心底ほっとしました。
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そしてNamuuですが、いつもながらに親切な先生方がすぐに対応してくださった、呼び出しの校内放送で久しぶりの再会です。

やはり危惧したように、他の財団の子どもたちと違って(父兄であれば面会と送金は許されるようです)金銭的サポートをしてくれる人もなく、身の周り品も買えない状態だそうです。

彼女自身はその財団を出たがっていますが、いまは中学2年の1学期、2学期から受け入れてくれるような学校もないだろうから、我慢するようにと言うのが精いっぱいです。

高校1年からなら何とかなるかもしれないからね。と言ってはいるのですが。。


そしてAhtitからは父親の葬儀を終えて職場に戻った日に電話がありました。 疎遠であったとは言え、一応お悔みの言葉のあとに、「お母さんはどうだった?」と聞くと、「すごく喜んでいた」と。

は!? 聞き間違いかと、もう一度聞いてみると、確かに「喜んでいた。 もうこれで迷惑をかけられることもないと」。

確かにそういう状況ではあるかもしれないけど、これほどアッケラカンとは。。。

まだまだ知らないタイ社会の現実があるようです。

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by karihaha | 2016-09-18 18:11 | ブログ | Comments(0)

Ahtit

Ahtitと久しぶりに会いました。 1か月半ぶりぐらいかな? 前日に実家に帰る用事があると連絡がありました。

私の自宅付近のバスターミナルは彼にとって中継地点です。そこで、そのバス停で会い、これもいつものように、次のバスを待つ間付近に食堂でご飯を食べさせがてら、近況を聞きます。


『闘鶏のお父さん』としての仕事は順調なようです。 オーナーは地域の郡役場の職員としても働いている兼業ですが、闘鶏の養育に関しては完全にAhtitに頼りっきりで、鶏さえも、オーナーが入って来てもそれほど興奮しないそうです。ちゃんとエサを呉れる人を識別しているのですね。


学習障がいの彼は今までも随分つらい人生を送ってきていますが、いまの職場では初めてと言っていいほど、自分自身に誇りを感じているようで、それが何より嬉しいことです。


さて、今回のAhtitの帰郷ですが、またしても、という理由があります。父親が急死したと言うのです。


彼の父親は母親と同じ村で住んでいますが、母親とは随分前に離婚しました。 その後、再婚する際に、大事な土地を売り払ってしまったため、母親や姉がお米やトウモロコシという生活の糧を生み出すベースを失ってしまいました。

しかしその結婚もアッと言う間にダメになり、今では村人の家を転々とし、施しで暮らすような生活をしていたようです。 

その父親が亡くなったと連絡があったと前日の電話では聞きました。 そして会ったときに原因を聞くと、「よく分からない」と。何か深い事情があるのかもしれません。


お葬式は村人が共同で営むとか。 Ahtitも先月の甥(兄の2才の息子)のお葬式に続き、いくばくかの費用を負担するそうです。 その額は2千バーツ(6千円)。月給4千バーツから今月の分を前借したそうです。

「さすがにそれ以上は無理」とAhtitは言いました。 ニュースを聞いてすぐに帰りたかったけど、お金の用意が出来なかったからと。


あの地の果てとも思える村で細々と暮らす家族にとっては、Ahtitのもたらす現金収入が頼りです。

家族の期待を背に、彼は本当によく頑張っています。

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by karihaha | 2016-09-14 15:52 | ブログ | Comments(0)

井本勝幸さん

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昨夜、友人に『憩』という日本食堂に連れて行ってもらいました。 

ここは『ゼロファイター』と呼ばれる、井本勝幸さんという日本人僧侶が経営されています。

井本さんはミャンマーの少数民族地域で第2次世界大戦時のインパール作戦で命を落とした、日本人兵士の遺骨収集をされています。

その経緯を知ったのは私もつい、今年になってからですが、インパール作戦については毎年行われる慰霊祭に参加させていただく等、非常に関心があります。

その兵士の方たちの遺骨収集? この方を知ったのは、チャンネル桜で有本香さんが紹介されたのがきっかけでした。 国会議員や一般の方々のための講演会のビデオで詳しい経緯を知りました。

https://www.youtube.com/watch?v=OrLS9m8a_OQ


そんな矢先、友人から井本さんがここチェンマイで少数民族支援の一環として、日本食堂を開いていると聞き、昨夜やっと行くことができたのです。タイヤイ族を始め、少数民族の若者のインカムジェネレーション企画としての店だそうです。
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土曜日の夜ということもあるのかもしれませんが、店内は満席でした。しかし、日本人は私たちだけのようで、タイ人と西洋人で占められていました。

ラーメン、おにぎり、枝豆等々。 当地の日本食堂と変わらぬメニュー名が並んでいます。その単価は驚きの49バーツ(150円)がメインです。 Leoビールは55バーツと酒屋で買うのと同じ値段。 これで利益が出るのかと思うのですが。。

こんな低価格であっても、『支援』になるのなら、こんな嬉しいことはありません。

場所はチャンクラン通りを下り、チェンマイランドを通り過ぎそのまま行くと、通りに面して左側にあります。

Ikoi Ramen, Changklan Rd, A.Muang, Chiang Mai.

日本人も是非応援したいものですね。

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by karihaha | 2016-09-11 16:33 | ブログ | Comments(0)

エッ! 呉れるの?

下のエントリーを見たの? まさかね。タイ人だもんね。


同じ支援の受益者でも、母の日に連絡してくる子と、なしのつぶての子が居て、奨学生には「魚心あれば。。」で、評価を変えるかも、と冗談のように書きましたが、一昨日奨学生の一人、高校2年生のMimから連絡があり、訪ねて来たいとのこと。

そして昨日、遅ればせながらの母の日のプレゼントを持って来てくれました。 遅くなったのは道路の真ん中で倒れたあと学校を休んでいた(結局デング熱だったようです)のと、学校行事が重なったからとのことでした。
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何よりそんな気遣いをしてくれるのが嬉しい。

結局一緒に来た母親そっちのけで、1時間半も話こんでしまいました。 その内容は主に彼女の高校卒業後の進路です。 私からは以前から成績の良いモン族の彼女には医者になって欲しいと思っていたのですが、理科系は嫌いと、文系を専攻しているので、その選択肢もありません。

「メー(お母さん=私)は私が何を専攻したら良いと思う?」と聞くので、まずはチェンマイ大学にチャレンジして、出来れば食いっぱぐれのないであろう経済・会計がいいのではと言いました。

その間、実の母親は黙っています。 彼女はずっと民族服や、今日持って来てくれたバッグのような縫製で細々と生計を立てています。

       ↓ S生徒寮の子どもたちからの母の日カード
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Mimとの話が一段落すると、突如母親がトンでもないことを言い出しました。

「メーがいなかったら私はこの娘をここまで教育をつけさせることは絶対に出来なかった。 そこで、もしメーがずっとタイにいるのであれば、この娘を上げます」と。

彼女には3人の娘がおり、経済的に養育不能ということで、いずれも幼少のころから旧職を含む財団に預けました。 そして2人の娘はまだ財団に留まっています」

「私にはあと2人の娘がいるので大丈夫(!!??)です。メーが年をとって介護が必要になったときにはMimが面倒を見れます」

一方Mimも「私もそうしたい」と言います。 

「ウーン。 ありがたい話だし、嬉しいけど、なるべく介護が必要な状態にならないように注意するね」と言うのが精いっぱいでした。

子どもたちには冗談で、「私の将来は面倒見てや」とは言っているけれど、まさか本当にそんなオファーがあるなんて。。

彼らが帰ったあとも心がほのぼのとし、昼間あった日本人がらみの『イヤなこと』に悶悶としていた気持を洗い流してくれるようでした。

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by karihaha | 2016-08-31 19:36 | ブログ | Comments(0)

雨をぬってのチェンダオ詣で

月一度と心がけているチェンダオ周辺の支援をしている個人や団体への訪問ですが、今月はいつも進んで車を提供してくれている方が一時帰国中ということもあり、止めておこうとは思ったのですが、やっぱり気になる。 

そこで一計を案じて、これも支援先のS生徒寮の寮長に協力してもらうことにしました。 チェンダオまでは路線バスで行き、そこからは寮長の車で物資の調達や訪問をします。今回はS生徒寮がらみで知り会ったYさんも一緒でした。
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行ってみるとやっぱり色々な変化がみられることがあります。

高校3年まで奨学金を上げていたRaenuuがまたチェンマイに働きに行ったというのです。前回は卒業後3か月でギブアップしたあと、一旦帰ってきていたのですが、また仕事を見つけたのでしょう。

彼女には93才の祖父と軽い知的障がいのある母親がいて、経済的には本当に困窮しています。しかし、今回初めて知ったのは、隣の比較的立派な家は、母親の姉のものだということです。 それまでは親戚としか聞いていなかったので、それなら何らかの支援があってしかるべきだと思うのですが、全くないといいます。

私も彼らを5年ぐらい知っていますが、家の造作と言い、冷蔵庫の中身と言い、私以外の誰かがコンスタントにサポートしている風には見えません。 一時期奨学金をストップしたために、Raenuuの卒業証書をもらえない事態になり、慌てて授業料を払い込んだこともあります。

同行していたYさんが、「タイは家族の絆が強いと言うけれど、こんな家庭もあるんだね」と言ったこと、私も同感です。


ちょっと心が温まることもあります。

保育園の先生が、「Tさんの誕生日だよね。去年はケーキを買ってきてくれて、みんなでお祝いしたよね」と言いました。 

そんなことを覚えていてくれたんだ、と驚くと同時に、ちょっと焦りが。慌てて「何か欲しいものある?」と聞いた次第。 デング熱防止のために、子どもたちの昼寝用にカヤが欲しいそうです。 

ハイ、次回必ず持ってきます。

93才のおじいさん宅では冷えたパイナップルを一個もらいました。 庭でとれたそうです。

そして最後に寄った生徒寮では8月12日の母の日用に、子どもたち全員からカードが用意されていたらしく、それを受け取りました。

当日は数人の奨学生から電話やメールもありました。


連絡してこなかった他の奨学生たちよ、こんなことも君たちの評価につながることがあるんだよwww.

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by karihaha | 2016-08-28 17:43 | ブログ | Comments(0)

色々変わってあたりまえ

突如美味しいパンを食べたくなって、ホントーに久しぶりに、当地では美味しいパン屋さんとして知られている、タイ人と日本人カップルの経営するベーカリーに行くことにしました。

何故久しぶりかと言うと、パン派ではない上、どうしてもの時は、日本から苦労して持ってきたおもちもつけるホームベーカリーで、ナンチャッテパンを作っていたからです。

思い立ったが吉日。 不定期に盲人の生徒たちに教えている日本語の授業の帰りにくだんのパン屋さんに行ってみることにしました。


着いてみるとシャッターが閉まっています。 確か定休日は日曜日のはず。臨時休業なのか、それとも移転したのか? それなら何か貼ってあってもいいよな??


ガッカリしながら来た道を引き返していると、見覚えのある僧衣の青年と出くわしました。 日本語を教えているクラスの、健常者の青年です。

ダメもとで聞いてみると、『移転したよ』と、近くの新しい店舗に案内してくれました。


閉店間際、たった一つ残っていたパンを買ったあと、日本人の奥さんと思わず長話をしてしまいました。その中で話に出たこのベーカリーや、気になっていた日本人の方々の消息は、『そうだよな、やっぱり時代は変わっていくんだよな』と思わせられることばかり。今日の話の中ではタイ人をスタッフとして使う難しさも共有しました。

私も、5年半前に旧職を退いたときは事情を知らない日本人コミュニティーにかなりの衝撃を与えてしまったのではとの想像に難くありません。 でも何か神がかりのような形で知り会った支援者のTさんのおかげで、継続して活動を続けてこれています。


「今後は夫婦2人で細々やっていきます」とおっしゃった奥さん。

そうですよ。かく言う私も以前のマネージャー業より、いまの方がどれだけやっていることに充足感を感じられていることか。

お互い肩の力を抜いてがんばりましょうね。

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by karihaha | 2016-08-24 00:53 | ブログ | Comments(0)

8月15日

今年も8月15日がめぐってきました。

当地でも戦没者への慰霊祭が例年通り行われました。特にチェンマイはあのインパール作戦に従軍した兵士の方々の野戦病院が置かれ、無謀な作戦で貴い命を落とした方々の慰霊碑もあります。

そして8月15日には当地の有志による慰霊祭が3か所で執り行われています。

https://www.facebook.com/chiangmai.memorial/

例年であれば車の便もあり、郊外のバーンガトー高校敷地内での慰霊祭に出席していたのですが、今年は市内のムーンサン寺へ行くことにしました。 それも8月15日ではなく、前日の14日夕刻、人の居ない、静かな時間帯に行くことにしました。
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着いてみると、翌日のための準備がすっかり整っていました。 誰も居ないのではと思っていたのですが、準備委員会の方でしょう、2人の日本人がいらっしゃいました。


まず持参したお花やお供えを捧げます。 今回は朝作ったおにぎりもお供えしました。 

『白骨街道』と呼ばれた、兵士の死体が累々と横たわったインパールからタイへのルートです。さぞかし故郷の食べ物を渇望されていたでしょう。
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拝礼が終わっての帰り道、「今年もお参りできた」という小さな安堵感と共に、こんなに身近な場所にある慰霊碑に、これからはもっと頻繁に足を運ぼうとも思いました。

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by karihaha | 2016-08-17 17:11 | ブログ | Comments(0)

母の日

王妃様のお誕生日に合わせた当地の母の日。 タイ全土で祝われていますが、その中でも鉄板は学校での母の日でしょう。


Memeeの学校の母の日行事に参加してきました。 

8時半に着いてみると、父兄の数がチラホラと言う感じで、「あれ? 時間を間違ったかな」と思いつつも、マイクの声が聞こえる方向に進むと、講堂では全校生徒が集まっていました。


こちらには先生と生徒の姿しかありません。Memeeの姿を探すも1,000人からの制服軍団の中からは不可能。 丁度顔見知りの先生が入ってきたので聞いてみると、まず先生と全校生の儀式があり、10時ぐらいから中3と高3の父兄と生徒を対象の第2弾の儀式があるとか。

「またやられた―」

Memeeが連絡してくるときは校内の公衆電話や、友だちの携帯を使うのですが、電話代を気にしているのか、常に言葉が足らず、説明不足なのです。こちらは額面通りに受け取って行動すると、待ちぼうけということがしばしばあります。

今回も最初は8時と言っていたのが、早すぎると言うと、8時半でもいいよ言ってきた上のことです。


こうなったら仕方ないと、先生方に混ざって式に参加しました。 

大きな王妃さまの写真の前で拝礼し、代表がささげ持つお供えが次々並びます。 そして型どおりの献辞、国歌斉唱と続く生徒たちの舞踊のあたりで、他の母親たちが遠慮がちに集まってきました。
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生徒たちは100%山岳少数民族ですから、父兄の大半がそれぞれの民族衣装に身を包んでいます。

そして第2部はこの行事ではハイライトとも言える、母親たちへの感謝の儀式です。親たちは椅子に座り、子どもはその前にぬかづき、拝礼します。 その間、親たちは子どもの背中や頭をなでながら言葉をかけるのです。
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この頃になると大半の親子が泣いています。 

最後に用意してあった桶と水を使って、子どもが親の足を洗います。 これにはどういう意味があるのか? 深いことはわかりませんが、とにかく感謝の意をあらわすということは間違いないようです。


さてさて、このように淡々と書いていますが、今回ちょっとびっくりしたこと。それはMemeeが儀式のあいだ中、ずっと泣いていたことです。

回りに影響されたというのもあるのでしょうが、ちょっとでも思ってくれていたのなら嬉しいな。

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by karihaha | 2016-08-14 15:56 | ブログ | Comments(0)

電話

この間の日曜日に行われた国民投票は、軍政側に軍配が上がったようですね。 結果的に61%強の得票率だったようです。そこで前のブログのエントリーを少し訂正させていただきます。

タイは選挙権の行使は義務なのですが、今回の国民投票はこの限りではないらしく、任意だったようです。 そして北タイの投票率がダントツに高かったようで、それが反対派の票を押し上げたのかもしれません。


さて、その投票日の日曜日の夕刻、電話が鳴りました。相手は奨学生の1人、Mimの母親でした。

涙ながらに話す母親の話を聞くと、MimがN県立病院の救急で手当てを受けていると言います。 電話ではラチがあかないので、病院に行くことにしました。 とは言っても郊外型のソンテウはもう時間的に運行しておらず、通りに出て市内用の赤ソンテウをタクシー代わりに病院に急ぎました。

そこはつい前日Ahtitの甥の見舞いに行ったばかりです。

たまたま行った時間帯にはCT撮影に入っているとのことで、母親からゆっくり事情を聞くことができました。

「夕刻文房具を買いに大通りへ出たとき、車道で突然気を失い倒れた。 たまたま知り合いの人がそれを見て、母親に連絡してきてくれた。 あごを切っていて、先生によると頭部損傷の疑いもあるので、CTを撮ると言われた」

いつもは気丈な母親が何とも心細げに、「あの娘に何かあったら生きていけない」と涙声です。

しばらくすると、救急室に戻って点滴中のMimと話すことができました。 あごのけがは痛々しいし熱があるけど、ちゃんと話ができるので大丈夫でしょう。念のためということで、その夜は処置入院となりました。

本人は丁度女の子の日だったので、と言います。その上最近気づいたのはとても痩せていることです。想像ですが、無理なダイエットでもしているのでは?

しかしあの車の往来の激しい大通りで、無傷に近かったのは奇跡的でした。 それとちょっと印象的だったのは母親の取り乱しよう(人のことは言えませんが)。Mimとその妹のMaliを旧職の財団に預かって以来、10年以上この人を知っていますが、常にクールな印象しかなかったのに。。

翌朝7時前の母親からの電話は、脳にも問題がなく、10時ぐらいには退院出来るとのことでした。とりあえず大事に至らなくてヨカッタ!



そして今日8時前の電話はAhtitからでした。 それは電話を取る前にピンときた内容通りの話でした。

N県立病院のICUに入院していた彼の甥が息をひきとったと言うのです。

享年2才。

あまりに短く突然の命の終焉でした。

合掌

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by karihaha | 2016-08-10 15:54 | ブログ | Comments(3)