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小児病棟から(41) だっこ

 「ワーすごい」。病棟に入った途端にその白い訪問者の数にビックリする。この地域の公立病院の看護師さんたちの研修が行われているそうだ。その数19名。プラス病棟つき看護師が7人と看護助手3人。そのときたまたま来ていたジョンと私。さらにさらに医学部志望の高校生の見学組が5人。対する本日の入院患者数29名。Vホームと較べると夢のような陣容だ。

 しかし、この研修中の看護師さんたちや学生たちからの質問攻め、時間を取られて却って煩わしかったというのはここだけの話。

 午後、Vホームの保母がノックを抱いて上がってきた。「やっぱり」。実は昨日Vホームに行った時、彼女が「病人の家」にいたが、先週見かけたときより随分痩せていたのが気になっていた。

 「肺炎」との診断だが、40度を超える高熱と下痢。2日前よりまた一段と痩せている。処置室でまず体重を量ると、3.4kgこれで生後9ヶ月である。ガーンといい、ノックといい、未熟児で生まれたということが、彼女たちにこれほどまでに影響を残している。

 一方私はと言えば、ノックの面倒を看ることには経験があるので、「大丈夫だよ」とある程度は自信をもって彼女に対してあげられる。彼女の茹で上がってしまったような身体を温水摩擦で冷やし、ミルクや水で水分補給する。しばらくすると泣き止み寝入ってしまった。

 テンは昨日から発熱、下痢で酸素チューブと点滴に逆戻り。今日も昏々と眠り続けている。騒がしい訪問者たちにも関わらず一度も起きない。まさか眠り薬を‘一服盛られた’わけでもないだろうに。昨日ICU(集中治療室)から上がってきた男児も、親が来ないので‘私の子’。モンを含め、あっという間に5人になってしまった。

 テンの横のベッドのルン3才も今日は40度の発熱。父親がかいがいしく世話をしているが、いかにもつらそうな目でこちらを見やる。それでも「サワッディーカー(今日は)」と言うと、律儀に小さな手を合わせてくれる。

 見学者と、熱と不調にあえぐ子どもたちの間でことさら疲れる一日である。

 さらにもっと不愉快に思うことがあった。ジョンと私が子どもを抱きすぎる、と言うことが最近、看護師や助手たちの間で小さな問題になっているようだ。そういった空気はこの1週間程前から感じていたが、今日は2度ほどその空気が噴出したような小さな出来事があった。

 まず最初は、一人の看護助手がテンを抱いている私を見ながら、

 「この子夜中に泣いて、泣いて困る」。

 「いいじゃない。感情の表現が出来るということなんだから」。

 「感情の表現をし過ぎ」。

 その時はタイ語でお伝えできないのが残念と思うくらい、「上手いことを言う」、と大笑いをし、このブログのネタにさせてもらおうと思ったりしたのだが、次の‘噴火’は、夕方、看護師が、私の腕で寝入ったばかりのテンを抱いているとき、「寝たなら下ろしたらは」、と言いに来たこと。さすがにこれにはムッとした。

 そのことに関して、今も鮮明に思い出す出来事がある。去年1月5日の子どもの日、Vホームで子どもたちを対象に催し物があった時のこと。その1週間前ぐらい前にHIV感染児の家に住んでいた女の子が感染していないことが確認できたので、健常児の家に移された。感染児の家でボランティアをしていた私に非常になつき、どこに行くのもついて廻っていた。

 一旦家を移されると、新しい環境に慣れなければならない。しかし、彼女は、散歩に出た私の後ろを泣きながら追いかけてきては、しがみつく、可哀想とは思っても「新しい家の子たちと遊ばないといけないよ」、と諭しながら押しやってもそんな理屈を3才児が分かるはずもない。

 子どもの日の当日、感染児の家の友達や私を追いかけてヒステリー状態になった彼女を、保母さんたちが、無理やり引き離そうとしていた。その光景を見ながら、

 「あなたは子どもを抱きすぎなのよ」、と言った人がいた。

 例えば、Vホームの子どもたちが、毎日毎日いやと言うほど抱かれ続けているのであれば、その言葉も納得できる。しかし、現実にはそうではない。私が一日の内、泣く子を代わる代わるあやして抱くことがあるとすれば、一人につき一日10分もあるかないか、それを抱きすぎるという人がいる。それもこのような施設で働いている人が。

 では、タイでは子どもを抱く習慣がないのか?私の見る限りでは、日本と同じように普通に抱いてあやしたり、寝かせつけたりしている。クワンが来ると、看護師は取り合いのように代わる代わる抱き上げている。

 結局、仕事がらみで子どもの面倒を見ている人たちには、子どもは出来るだけ大人しく、人形のようにしていてもらうのが理想の姿なのだ、と思わせられる。私が病棟に詰めていない間のVホームの子どもたちは、哺乳瓶の乳首を頬に貼り付けた伴奏膏で固定したものを口に含ませられているのが常である。

 「この子たちには抱かれる権利がある」。

 そうは思っても、親のようなことは出来ないのは明らかで、ジレンマを感じる日々だ。そのほんのお情けのような行為を、迷惑と思う人がいる。
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by karihaha | 2005-03-29 00:20 | 小児病棟から | Comments(1)

小児病棟から(40) テン、目が見えます!

 病院の仕事を中断して午後から一週間ぶりに再びVホームに行ってみた。先週久しぶりに行ったあと、これからは病院だけではなく出来るだけVホームにも顔を出そうと思ったからだ。
 
 「Vホームの子どもは、少なくとも世話を看る人が側にいるし、健康だから」、という理由で、今までは病院ばかりで詰めていた。ホームに戻った子どもたちのことも当然気になっていたが、たまには覗きに行くぐらいで、なかなか足を向けるチャンスがなかった。

 先週ほぼ2ヶ月ぶりに行ってみて、子どもたちの変化に心底びっくりした。Vホームでボランティアをしたのは2003年12月から1月の間の1ヶ月間だったが、そのときは新生児であった子どもたちが、ほぼ全員歩けるようになっていた。

 今日もコムクアンに行き、まず安全を考慮して閉められているプレイルームのドアをガラス越しにそっと覗きながら、トントンと叩いた。すると気がついた子ども全員がよちよちとドアのそばに集まってくる。今まで遊んでいたおもちゃや人形を手に手にぶら下げ、「ポッカーン」と口を開けて見上げている姿が言葉で表せないぐらい可愛い。「あの人誰?」とでも言いたげな顔。そのあとすぐに、「知ってる知ってる」とばかりニコニコする子もいる。

 部屋に入っていくと、われ先にまとわりつく子もいれば、離れて様子をうかがっている子もいる。そうかと思えば、我関せずとばかりにもとの遊びに戻る子。もう、一人一人個性が出ている。

 ボランティアをしていた時、爪を切ってあげるつもりが、指の皮まで切ってしまって泣かせたワンダーもいる。「傷ものにしたんだから一生面倒を看てあげてよ」、と冗談を言われたが、それ以来今に至るまでどうしても子どもの爪を切れない。

 気がつくと、彼らのうち70%ぐらいの子どもたちが入院経験をもっている。しかしそれも新生児から6ヶ月ぐらいまでで、今ではみな元気そうだ。

 彼らの大半が近い将来養子縁組や他のNGO施設に預けられ、いずれVホームを去るだろうが、それまでは少しだけ面倒を看た‘仮母’として一番可愛くなるこれからの時期を楽しませてもらおうと思う。 

 そんなことを考えながら病院に戻り、再び子どもたちの世話。モンは熱がすっかりひき、ミルクもしっかり飲めるようになった。あとは下痢が治れば今回の入院はそれほど長くならないだろう。ビクタージュニアNo.1は相変わらず酸素に繋がれているものの、前回ほどむずからず、大人しく眠っている時間が多くなった。彼女も7ヶ月目に入り、少しずつ病抜けする頃なのかもしれない。

 テン、もう酸素チューブや点滴もはずれ、親族が迎えにくるのを待つばかりの状態なので移動がさせやすい。空きベッドを利用して、オシメをたたむときも、一人でポツンと寝かせておくよりは、とベッドの隅に‘置いて’作業をしたりする。

 病棟は今日も患者が少なく、手の空いた看護師が手伝ってくれていた。テンは起きているが、私たちの話し声に聞き入っているかのように大人しい。抱いていなくてもいつもの声が聞こえるので、安心しているのかもしれない。

 看護師に、「この子、目が見えないんじゃない」と、心配している事を聞いてみた。
 
 彼女は私と同じように目の前で手をかざしたり、瞳のすぐ近くまで指を持っていったりしたが、瞬きをしないのを確認して、そのとき丁度帰宅間際の女医を呼んでくれた。

 「何か赤い物がない?」と言った女医に、私のペンケースを渡すと、目の横でそれを捉えられるような位置から、ゆっくり横へ移動させた。

 何回か繰り返すと、テンの瞳がそれを追う動きを見せた。

 「ヨカッター」。

 思わず女医の肩をたたき、「ありがとう!」という言葉が自然に出た。女医も「心配していたの?」と言いながら笑顔。その場にたまたま居合わせた者全員が喜んでいる。

 本当によかった。彼女の人生はこれで随分と違ってくる。

 夕方また一人集中治療室から男児が上がって来た。この子はついさっきまでICUにいたとは思えないぐらい丸々と太った健康そうな赤ん坊だ。ベッドの足元のプレートを確認してみると5ヶ月。

 「親は?」

 「わからない」
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by karihaha | 2005-03-28 00:15 | 小児病棟から | Comments(0)

漁夫の利?

 NHKの国際放送でようやく「フジテレビ+ニッポン放送」V「ライブドア」の新株発行や株買占めに関わる顛末を大筋で理解できるぐらい、ゆっくり見ることが出来た。

 「マネーゲーム」。 

 私は古いほうの世代に属する日本人。「シャンシャン手打ち」世代、この言葉は、今回の乗っ取りゲームに驚愕しているニッポン放送やフジテレビの経営陣を批判して、みのもんたさんが使ったものだが、私は、「そこのところは穏便に」世代だと思う。

 ソフトバンクインベストメントの元気の良い最高経営責任者は「他人の家に土足で入ってきたんだから、もう一度玄関から入り直さなければ」とおっしゃっていたが、「ウーン、さすが、上手いことを言う」。

 堀江さんの急進的行動が、「インターネット業界+放送業界の融合で、次世代の日本のマスメディアを革新的に変えうる云々」という彼の後付けのような言い分に代表されるのであっても、彼が乗っかろうとしているものを築き上げた人々や社会のルールにもう少し配慮するのが仁義ではないかと思う。

 時間外取り引きでの株式取得という盲点をつかなくても、彼が表現したかったことは出来たはず。ではなぜあえてやり、それを押し通そうとしているのか?

 「マネーゲーム」。それも彼個人の。

 もし堀江さんが6月の株主総会も無事乗り切り、一攫千金を実現したら、土足で入った家の拭き掃除という意味で、私のこのブログや北タイの施設をご紹介し、「あとはビル ゲーツ氏のように、寄付でなんとか世間をなだめるしかないですよ」と言ってみようか。
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by karihaha | 2005-03-27 13:03 | ブログ | Comments(1)

小児病棟から(39) テンの親たち

 テン、シャント術のおかげで目に見えて頭部の髄液が抜けてきて、彼女本来の可愛さが際立ってくる。目が見えるのかどうかまだ分からないが、プクプクとわっかの入った手足をさすったり、子守唄を歌うと目をきょろきょろさせて探すそぶりをする。

 彼女はVホームの子どもではない。では親は一体どうしているのか?今日、看護師からもう少し詳しい話が聞けた。

 父母は、‘山の人’(山岳民族)ではなく、ランプーンに住む‘都会人’。私は出会っていないが、父親はそれでも今まで1度だけ訪ねてきたことがあるそうだ。両親としてはVホームに預けたいらしいが、病院側の判断で、条件面でその必要なしとして両親に引き取りを促しているとの話だった。

 母親はテンの兄弟がいるので病院に来られないと聞いたが、同じ北タイ在住であれば充分来られるはずと思っていたら、今日はイサーン地方の実家にテンの兄弟を連れて行っているためと別の言い訳を聞いた。テンの引き取りに関しては母親が特に強く拒否しているようだ。
 
 普通の感覚であれば、母性本能の方が父性本能(?)より強いと思うのだが、そのようなケースは今回初めてではなく、その辺のところを、まえに友人Nに聞いてみたことがある。

 「特に障害児の場合、母親が引き取りたくないというケースが多いけど、なぜかな?」。

 「むりやり妊娠させられたのではない?」。

 彼女も同じタイ人ながら理解出来ない、と前置きした上でそう言った。

 「どうしてそんなことが出来るのか人間として理解の範囲を超えるよね」、というのが二人の共通した思いだった。

 しかし、いくら望まぬ子どもでも、9ヶ月以上お腹のなかにいた魂をそんな理由だけで拒否できるものなのか?やはり一番大きな理由は彼女が障害児であることのように思う。

 「やっぱり引き取りたくないと言ったらどうなるの?」、と看護師に聞いてみた。

 「引き取らなかったら警察に捕まるから、そうせざるを得ないでしょ」。

 警察が怖いから引き取るかもしれない親ならば、別の意味で心配になる。 

 真相は藪の中だが、テン自身は「食っちゃうぞー」と言いたくなるほど可愛い赤ん坊だ。
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by karihaha | 2005-03-27 02:04 | 小児病棟から | Comments(0)

小児病棟から(38) ビクタージュニアNo.1 再び

 ビクタージュニアNo.1、やっぱり戻ってきた。

 下の外来からの連絡を受けた看護助手が、苦笑いのような表情で「やっぱり来たよ」、と言っただけで、ジュニアだとピンと来た。ジュニアを抱いて病棟に上がってきたVホームの保母に、「息、し忘れた?」と聞くと、「ウン」。

 今回も詰め所に一番近いベッドで、彼女のこれからの‘仮の棲家’が用意された。看護師が、前と同じように、色々な医療器具をセッティングする。

 「もう慣れてるよね」、と私。

 「そう」。

 彼女が‘不在’のあいだ、看護師や助手に何度安否を尋ねられたか分からない。その都度「元気。たぶん」と答えてきた。今日の一種歓迎ムードはそんなスタッフたちが、「やれやれ、戻って来てやっと安心した」という意図せぬ善意の気持ちから出たものだと思う。

 ジュニアのシャバ体験はどうであれ、納まるべきところに納まった、という感があり、私もこの数日来の心配事から開放されたような気がしている。

 そして水頭症のテンも病棟に上がって来た。これだけ早くICU(集中治療室)を出ることが出来たのは術後の合併症もなかったためだろう。小さな身体を大人用のベッドに横たえているが、そのアンバランスさ加減が哀れというか、ユーモラスというか。

 頭部を見てみると、シャント術が上手くいっているようで、もうすでに頭蓋骨の形がハッキリと見える。この病気の外的な特徴の一つは、新生児や乳児に特徴的な頭蓋骨の裂け目(子どもをお持ちの方々はご存知だと思う)が、過多な髄液の影響で普通よりさらに大きくなることで、彼女の場合も頭頂部の骨が廻っていない部分が陥没したようになり、脳が拍動しているのが頭皮を通して見える。

 いまも薄氷をふむような症状ながら、手術の甲斐があって哺乳瓶を少し吸えるようになっている。シャント術は何回可能なのか分からないが、今回は出来るだけ長く問題なく過ごせるように祈るのみ。

 ベンは目出度く退院、寂しくなった。ガーンもたぶん明日退院になるだろう。 
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by karihaha | 2005-03-26 11:22 | 小児病棟から | Comments(0)

小児病棟から(37) グッドニュース!!

 あの頭部狭窄症の女児についてビッグニュースを聞いた。来週ファーング郡へ戻ることになったのだという。

 最初Vホームを去ると聞いた時は、親が引き取ることになったのかと思っていたが、詳しく話を聞くと、「小児病棟(31)ジレンマ」にも書いた看護師の方が養育することを決心されたようで、今週正式にその旨を伝えにVホームに来られたそうだ。

「よかった!」。

 まず最初にその言葉が出た。親が見捨てた結果そうなったのだから、手ばなしで「幸運」という言葉を使うのも差し障りがあるかもしれないが、バンコックのP施設に行かなくてもよくなったというだけでも、彼女の人生の質に大きな違いがある。

 Vホームに引取りに相談に来られた、あの看護師の方はやはり蚊に食われた跡のことを言っておられたそうだ。それが最終的に養育を決心するきっかけになったのであれば、何が幸いするかわからない。

 私にとっても久しぶりに胸のつかえが下りるような話で、その方の勇気と寛大さに心から尊敬の思いが湧く。

 あの幸運な女児とはほんの僅かの出会いでしかなかったが、頭部の手術はいずれにしろN県立病院で行われるだろうから、また会えるだろう。

 「本当に、本当に良かったね」。

 それにしても、テンのご両親、もし育児放棄をされるつもりでしたら、気持ちを決める前に一度P施設に行ってみられたらどうですか、と言ってみたい。
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by karihaha | 2005-03-25 23:30 | 小児病棟から | Comments(1)

小児病棟から(36) 集中治療室

 久しぶりに入った集中治療室(ICU)、もう何ヶ月ぶりだろう。この数ヶ月はVホームに移される前のビクタージュニアNo.1が入っていただけで、幸いにもその他のVホームの子どもでICUに入っている子はいなかった。

 兄が手術をしたときに経験があるのだが、日本であれば入室者は帽子、上着、履物すべて厳重に殺菌をしたものを着け、面会時間も10分そこそこであったように記憶しているのだが、こちらはスリッパに履き替え、、、それで終わり。面会時間も一日2回、午後12時から1時、午後3時から6時と、病棟と同じ時間帯となる。

 午後の時間帯を利用して、今日2度目の‘シャント術’を受けたテンの様子を見に行った。部屋に入り顔見知りの医者や看護婦に挨拶していると、思いがけず、病棟で知り合ったルンの父母が部屋にいるのを見た。

 「もう、だいぶ良くなりました」。

 2ヶ月近く毎日病棟で見かけていたが、そういえばこの2.3日親子の姿を見なくなっていた。もう退院したのだとばかり思っていたが、そんなに容態が悪化していたとは。

 一人の看護婦が、「今日は誰に会いに来たの?」

 私が答える前に、もう一人の看護師が入り口近くの小部屋を指し示してくれた。

 テン、左側頭部に大きなガーゼが貼られているのを除いては異常がなさそうだ。心電図や血圧計がつけられているのは術後の経過観察だろう。プラスチックの酸素吸入用の箱に頭だけ突っ込んだ彼女を覗き込んでみると、目をパッチリあけ、口をしきりと動かしていた。

 「よく頑張ったね。お腹がすいているの?」。

 声をかけてみると、瞳がきょろきょろと動いた。彼女も水頭症の障害の一つである視力障害があるのかもしれない。指を目の前で動かしたが、反応しない。でも脳圧が下がったら、見える可能性もある。それに期待しよう。

 色々なコードにつながれた彼女、それでもなんとか‘あいている’足の部分をさすりながら考えた。

 「今日も親が来なかった」。
 
 生後1ヶ月のわが子が手術を受ける。それを知ってか知らずか姿を見せない。私が一番怒りを感じるのはそんな親たちだ。もう何人も何十人もそのようなケースを見てきているので、諦めのようなものはあっても、やっぱり「ひょっとして」、という期待感を持ってしまう。

 きょう、テンの親もそんな人たちと分かり、怒り、失望と同時に、「それじゃ、あまりにもこの子が可哀想でしょ」という義侠心がムクムクと頭をもたげる。

 彼女の顔を見ながら思った。「中途半端なことしか出来ないかもしれないが、しっかり面倒を見てあげよう」。
 
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by karihaha | 2005-03-25 00:12 | 小児病棟から | Comments(0)

小児病棟から(35) 不思議な偶然

 ガーンの4回目の入院から4日目、Vホームからの患者は彼女とモン、それとボーイズホームのベン君。いつも病棟につくとすぐに様子を見に行くが、日によってムードが変わり、昨日は話しかけてもうなずくだけだった。手術をした大腿部の傷口の消毒のときもグスグス泣いているので、看護師に「怖がり!」とカツを入れられていた。

 そんな彼も今日は気分が良いようで、ガーンのベッドの側でずっと一緒に過ごした。

 彼はガーンがいたくお気に入りで、「ナーラックディ(可愛い)」と言いながら上手にあやしてくれる。

 それともう一人、水頭症の女児テン、生後1ヶ月。彼女も入院後4日になるがまだ一度も親の姿を見かけたことがない。

 水頭症とは、過剰な脳脊髄液が脳室にたまった結果、脳を圧迫し障害をひき起こす病気で、外見上も身体に比して大きな頭部で、一目でその病気と分かる。

 この病気の治療法としては、シャントと呼ばれる細い管を脳室から腹部に通し、たまった髄液を尿として排泄するためのバイパス手術を行うのが普通である。日本の専門家のあいだでは、「シャントを通してシャントする」といわれているらしく、その語呂合わせのお陰で、私も一度で名前を憶えられた。

 医者が側に来たので、「シャントをしないんですか?」と聞いてみた。「明日、もう一度手術をします」。

 そういえば、右耳のうしろにシャントの手術跡がある。上手くいかなかったのだ。これも受け売りだが、細菌を原因とする炎症で髄液の流れが確保できなくなると、新しい管を通さなければならない。

 「親は?」

 「面倒をみなければいけない他のこどももいるらしくって。でも手術が終わっても引き取るかどうか定かじゃないわ」。

 ベン、ガーン、モン、水頭症の女児テン、そして私。この、不思議な偶然で出会った私たち5人が一緒に過ごす静かな午後の時間。
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by karihaha | 2005-03-24 01:22 | 小児病棟から | Comments(0)

小児病棟から(34) ところかわれば

 モン、10日ぶりの入院。臓器に先天的欠陥があるため生後5ヶ月目に手術を受けた。 今回の入院理由は高熱。手術はしてもその箇所が常に細菌にさらさるので、炎症を起こしやすい。

 彼女の小さな身体が火照り、顔を真っ赤にしている。

 「ハー、ハー、ハー」。

 解熱剤を飲んだあとの検温で39度。まだ、話せない彼女だが、私を見上げる目が不調を訴えている。

 私ができることは、頭を冷やし、身体を冷やすことだけ。そう、こちらでは熱がでると、濡れタオルで身体をマッサージするのが習い。

 ところ変われば、と感じることはまだある。日本では発熱していれば寒気を感じて体をくるむものだが、こちらでは上掛けをはぐように、と言われる。赤ん坊が話せればどちらが良いか聞けるのだが、今のところは郷に入れば郷に従え。

 彼女の隣のベッドの8才ぐらいの少年には2人付き添いがいた。彼女のその手術した部分が付き添いの人たちの好奇の目に触れるのが嫌で、この子だけは日本式でくるむ。
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by karihaha | 2005-03-24 01:07 | 小児病棟から | Comments(0)

「 ティンナポップ」

 バンコック近郊ノンタブリ県に、タイ全土からの脳障害を持つ孤児の受け皿になっている社会福祉省管轄のP施設がある。

 私がこの施設を知ったのはVホームにいた一人の孤児を通じてである。彼、ティンナポップを初めて見たのは一年あまり前、彼がまだ1ヶ月足らずの時であった。一見して障害を持っているのが分かった。病名は水頭症。病因は脳室内で過剰に溜まった髄液である。脳圧を下げるためのシャント術をしたが、症状は一進一退を繰り返していた。

 いま振り返っても、この児とは何かの縁があったとしか思えない。正直言ってティンナポップに子どもの価値、いとしさを教えられたと思う。その彼が、N県立病院から一県立病院の責任の範囲では最善を尽くした、と結論づけられた日が来た。Vホームには病院に準ずる設備も人員もなく、当然の帰結の如く、そのような障害を持つ子どものための受け皿としてのP施設に送るという結論が出た。

 出発の日、6ヶ月にもならない彼が自分の運命を知る筈もなく、「Vホームの職員に大人しく抱かれていた」、と見送りに行ったジョンが言った。私はどうしても行けなかった。

 それから2ヵ月後の昨年9月初旬、彼を訪ねていこうと面会申請の手続きをしたとき、ティンナポップの死を知った。チェンマイを出て1ヶ月。享年7ヶ月であった。

 彼が短い人生の最後をすごした場所を見ておきたくて、施設を訪ねてみた。一つの町といってもいいほどの広大な敷地に、児童養護施設や障害の種類に別れた建物が点在している。私の目指す施設には0才から7才までの脳障害を持つ孤児が500人前後暮らしていると聞いた。

 ティンナポップのいた建物には一番重度の子どもたちが収容されているようであった。50畳ほどの部屋、入り口を除いて3面の壁沿いに大人用のベッドが間隔を置かずに並べられ、通路用の僅かなスペースを除いて真ん中にもベービーベッドが何台か置かれていた。

 大人用のベッドには一台につき6-7人の幼児、あるいは少年といってもいいような子どもたちが、頭を壁側、足を通路側にし、まるで缶詰のサーディンのように寝かされていた。真ん中のベービーベッドには乳児が一台につき3人ぐらい、総勢70人ほどの小さな魂がただ、生きていた。

 私が訪問した時は、たまたま清拭と着替えの最中であった。70人に対し、たった2人の保母がこなしていたその仕事、まずポンポンとシャツを身体の上に置いていき、次に順番にそれを着せていく。手伝いを申し出てはみたものの、部屋の光景に胸をつかれ手も鈍りがちであった。水頭症の子どもも、脳性まひの子どもも寝たっきりのまま24時間過ごすのであろう、身体が膠着しきって、無理にシャツに腕を通させたら骨を折ってしまうのではないかと恐る恐るすすめた。しかし一人一人に声をかけながらしたその作業のあいだ中、子どもたちは全員反応してくれた。「どっこい俺らは生きている」とばかりに。

 施設を出て帰る道すがら、「ティンナポップは早く死んでくれて良かった」とさえ思えた。

 バンコックの喧騒、タイのホスピタリティーからは想像も出来ないような現実がそこにはあった。ブラックホールのようなそんな場所で今も生きる障害児たち、私たちはその存在を知る義務があると思う。
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by karihaha | 2005-03-23 01:36 | ブログ | Comments(0)