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ビルマにデン、デン

きょうは「メーサイ詣で」の日。そこで、世界一短い(?)海外旅行、名付けて、「ビルマにデン、デン」に皆さまをご案内いたします。
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                    タイ側の出国手続き風景

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イミグレーションを通り抜けるとすぐにタイとビルマを結ぶ橋がある。向こうに見えるブルーの門がすでにビルマ。行きかう人々もビルマ風。


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ビルマ側のイミグレーション。250バーツ、あるいは米ドル5ドルを支払い、出入国のスタンプをもらいましょう。普段はここで「デン」しただけで、Uターンしてタイ側に戻ってしまうんだけど…


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きょうは、久しぶりにビルマカレーを食べに、タチレクの町に「デン」。右端のフィッシュカレーを注文すると、もれなくこれだけの副菜とご飯がついてくる。これで、30バーツ(80円)です。でもこの副菜が1人でも2人でも同じ量しかでないのは、何か損したような気がするんですよね。そういう人は、「お代わり!」と勇気を持って(?)言いましょう。


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この店はイミグレを出てすぐの、左の階段を下りてトゥクトゥクの運転手さんたちがたむろしているのが目印のご飯やさんです。



タイ側出国手続き、ビルマ側出入国、食事、タイ入国手続き、その全てをこなして、45分間でした。


「アーア、楽しかった??(涙)」
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by karihaha | 2005-07-31 00:29 | ブログ | Comments(0)

小児病棟から(104) 薄情な母親

 ICU(集中治療室)のゲームの様子を見に行くと、ベッドの傍に思いがけぬ人の姿があった。もう2ヶ月近く来ていなかった、ゲームの母親だった。

 彼女はゲームのやせ細った、別人のような姿に心底驚いたと言った。その言葉を聞いていたそばにいた看護師が、「ゲームにはこれと言って病因がないんだけど、この子は常に誰かが傍にいて面倒を見ていないとだめな子で、いまの寂しさがそうさせているのよ」と言った。

 母親の言い訳は、いつもと同じ「お金がないから来れない」というものだった。

 でも…、彼女よりずっと身なりが貧しくて、ずっと生活に困窮しているように見える人でも3ヶ月、4ヶ月という単位で、病院で泊まりこみをしているのを知っている。

 「子どもの病気」。その事態は親にとっては、何をさし置いても対処すべき最優先課題ではないのだろうか。

 ゲームの父親の親戚はチェンマイに住んでいるという。一緒に来ていたゲームのおばに「チェンマイで住んでいるなら、母親のサポートが出来るでしょ?」と言ってみたが、曖昧な笑みを浮かべたまま答えない。

 母親が前回、2.3日帰ってくると言って、置いていったままの私物を保管してあった。こちらからそのことを切り出すより前に、本人がそのことに触れた。それを受け取った彼女は、そそくさと帰っていった。

 ゲームの両親に対して感じる怒りは、姿の見えない、圧倒的多数の無責任な親に対する、日ごろの鬱憤が、たまたま固有名詞化した類のものだと思う。それにしても…


 Vホームの保母に会うたびにセームの様子を聞いていたが、日中の担当の保母は、「やっと友達が出来て、遊びだしたよ」と嬉しいニュースを聞かせてくれた。

 しかし、夕方交代で来た保母は、「メーファラング(外国人の母さん)はどこ?」と言って、ずっと泣いていると言った。泣き疲れて眠るという日々だと言う。保母たちの間でも「外国人の母さん」って誰だろうと話題になっているらしい。

 「だから、セームの退院時には付き添わせて欲しいと言ったのに…」、といまさらながらに思う。

 セームには「メーファラン」もゲームの母親と同じように、「薄情な母親」と映っているのだろうか。
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by karihaha | 2005-07-30 02:46 | 小児病棟から | Comments(0)

小児病棟から(103) ブッパー

 セームを思い心が晴れない。その上、今週始めから翻訳を少しして、小遣い銭を稼がせていただいたので、睡眠時間が短かったせいもあり身体が重く感じる。

 ブッパーは昨日に引き続き、泣き暮らしている。部屋を何度覗きに言っても、持ってきた布を目にあて、しゃくりあげている。

 話しかけても答えないが、彼女なりの「座持ち(?)」なのか、腕に余るような長さのその布を広げ始めたと思ったら、きっちり畳んで、そしてまた目にあてる。

 思いがけないところで、彼女の「几帳面さ」に触れ、可笑しくなる。買ってきたお菓子を差し出し、「食べる?」と聞いたが、やっぱり首を横に振る。「これ、美味しそうだからちょっと味見だけしてみたらは」と言うと、コックリと頷いた。

 これで、少しこちらの術中に嵌ってきた手ごたえを感じる。そして少し席を外したあと部屋に戻ると、30バーツ分以上のお菓子を一気に食べてしまっていた。

 「それは、やりすぎでしょう」

 と思ったが、昨日から何も食べていないのだからと、大目に見ることにする。


 今度は添い寝作戦をすることにした。これは私にとっては一石二鳥。彼女のそばに横たわり、背中をぽんぽんと叩いたり、ほっぺをつねったり。気持ちの中には500m先のセームにそうしているような部分もある。

 すると、硬かった表情がとけ笑顔を見せた。1日半の間、泣き顔か、むっつりと押し黙った顔しか見なかった目には、その笑顔はとびっきり可愛く映った。


 帰りがけ、「メー(母さん)は帰るけど、また明日ね」、と言うと、起き上がってコックリと頷いてくれた。

 見知らぬ場所で、一人部屋で長い夜を過ごす幼い彼女を思うと、夜中に目が覚めませんようにと祈るのみ。
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by karihaha | 2005-07-29 02:55 | 小児病棟から | Comments(0)

小児病棟から(102) ガーン

ガーン、再び掟破りの写真掲載 ↓
c0071527_2435136.jpg ガーンは最初の一日は高熱で苦しんでいたものの、その後は熱も下がり、でもいったんスタートした肺炎治療の注射を継続せねばという状況で、すっかり、「元気な患者さん」になった。

 もうつかまり立ちが出来るし、泣かずに座ることも出来る。ミルクも哺乳瓶をしっかり握って飲めるようになった。

 いったん成長の軌道に乗り出したこの頃の赤ん坊の行動の変化は、目を見張るものがあるとつくづく思う。たった1週間前に出来なかったことが、いまは出来る。脳内シナプスがすごいスピードで、連係しあっているのだろうな。

 
 今日の彼女の‘初めて’は、「おいで(日本語で言ってしまいます)」と言うと両手を大きく前にだして、抱っこをせがむこと。

 一つ、一つ出来るようになった行動を確認するたびに、去年の暮れからの4ヶ月間の日々がフラッシュバックのように蘇る。

 肺炎・嘔吐・呼吸不全を繰り返し、もう一人の未熟児出生のノックとともに、命を危ぶまれたことが何回もあった。

 後ろ髪を引かれるような思いで帰宅し、朝はつんのめるような気持ちで病院に向かった日々。

 
 きょう、苦労を分かち合った(?)理学療法士に、「ガーンはもう充分養子縁組が出来る健康状態になったのでは?」と聞いてみた。

 「大丈夫」

 力強く言ってくれたその言葉は、寂しさと引き換え。

 「一期一会」。こういう出会いもある。
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by karihaha | 2005-07-29 02:50 | 小児病棟から | Comments(4)

小児病棟から(101) セームとブッパー

 午前中にVホームから新たに2人の入院患者が来た。一人は2ヶ月の乳児で、もう一人は5才の女児。

 乳児は蓄膿症が原因と思われる呼吸困難で、ミルクも吸えないような症状だった。

 職員の後ろに隠れるように立っていた、もう一人の女児ブッパーは布を握り締め、ずっと泣きじゃくっている。結核の疑いがあるとのことで、一人部屋に入ることになった。

 プッバーの両親はすでになく、七才の兄と共に、つい最近Vホームに引き取られたとのことだった。新しい環境に慣れていない上に、一番頼りにしている兄とも離れ、気が動転しているのだろう。

 何を聞いても、泣きじゃくりながら出てくる言葉は、「兄ちゃんのところに帰る」。見ている私も胸が締め付けられるような思いがする。

 結核の疑いがある。そして両親が亡くなっているということは、HIV感染の可能性も高い。結核の検査期間中の隔離は仕方のないことではあるが、この5才児の不安感に追い討ちをかけるような状況に追い込んでしまうことも意味する。

 食事も拒否し、ベッドに突っ伏してただ泣きじゃくる小さな魂を目の当たりにして、物心つきだしたこの年齢の子どもには過酷過ぎる運命の重さに言葉もない。


 ガーンを含め、Vホームの子どもが4人になったということで、保母さんが来た。

 早速気になっていた、セームのことを聞いてみる。まさかとは思うが、もうすでにVホームに行ったのではないかという疑念も持ち始めている。

 すると、驚いたことに、セームという名前の男の子がプッバーと同じ、HIV感染児の家にいると教えてくれた。つい2日前に来たばかりだと。

 セームがVホームに到着したのは、私がホームの職員とソンテウに偶然乗り合わせ、彼のことを聞いた日だった…


 病院の医師や看護師には、何度も退院のときには教えてくれと言っておいたのに。出来ればジョムトンから付き添ってやりたかったから。

 これがVホームだけのことであれば、「さもありなん」と諦めとともに思えるが、あれほど友好的だった、ジョムトン病院にしてこのありさま。


 保母は、到着以来、セームがずっと泣き続けていると言った。到着した日は、「感染児」の家に入ることを拒否し、事務所で半日過ごしたという。

 他の子どもたちも同じような経験を経て、じょじょにホームに同化していくのを見てきたので、ブッパーもセームもきっと間もなく慣れるだろうとは思うが、やはりセームのその涙はつらい。


 ジョムトン病院では、看護師を始め、セームが出会う大人たちが皆、「メーファラン(外国人の母さん)のところに行くんだよ」とことあるごとに言っていた。

 『児童養護施設に行く』と言うよりは口に載せやすい言葉かもしれないが、現実とは違うその発言を何度訂正したか分からない。

 もし、病院から付き添えていたら、セームにもちゃんと説明するつもりだったのに…

 もう、「政府の子ども」になった彼を自由に訪問する権利はない。今までのように、こっそりと出かけても、それが果たして彼のためになるのかどうか、と思い悩む。

 たった500mほどしか離れていない病院とVホームの距離が、60kmの道を通ったジョムトンより、ずっと遠く感じられる。
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by karihaha | 2005-07-28 12:32 | 小児病棟から | Comments(2)

小児病棟から(100) 嘔吐

 昨夜再び、テンのおばから電話があった。テンの嘔吐が止まらず、熱もあるとのこと。

 嘔吐は脳圧が上がると出る典型的症状。もうそれが出たのかと絶望的な気持ちになる。

 心配気な声のおばに私が言えることは一つ。「病院に連れてきて」。


 粉ミルクやベビーフードを用意してきたということは、入院を想定していたのだろう。

 今日の外来の担当医は、今まであまり話をする機会がなかった人だが、テンを取り巻く事情も了解してくれたようだった。ありがたいことだと思う。そのためだろう、おばの意を汲んで(?)かなりごり押し気味ながら入院となった。

 
 病棟で入院手続きが終わるやいなやおばは帰っていった。内職が山積みで、気が気ではないといった風情。

 おばがテンを可愛がっているのは確かだが、生活費との板ばさみでジレンマを感じているのが手にとるように分かる。

 
 昨日、以前一度テンを診察してくれた外科医と話す機会があった。これ以上手術をしないという決断を伝え、いまの彼女の症状も説明した。そして、テンのような症状の子どもは、あとどのくらい生きられるのかと聞いてみた。

 あくまで一般論だが、と前置きして医師が言ったのは、長くて1年、短ければ2・3ヶ月だろうとのことだった。

 でも、私が以前訪れた施設では、頭が扇形にひろがってしまった10才以上と思しき水頭症児たちが、植物人間状態で生きながらえていたのを見た。もちろん個人差があるのだろうが。

 入院して測った頭囲は、前回の外来検診の時に比べると2cmも大きくなっていた。点滴が始まると、青白かった顔にじょじょに赤みがさしてくる。

 いつもの小さな移動式のベビーベッドに身を横たえたテンは、薬が効いてきたのかウトウトしだした。

 結局この透明プラスティック製のベッドが、彼女が一番落ち着ける場所ではないのだろうか、そう思うと哀れさと愛しさがこみ上げてくる。
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by karihaha | 2005-07-28 12:19 | 小児病棟から | Comments(0)

小児病棟から(99) 生へのチャレンジ

 午後12時からのICUの面会時間に合わせゲームに会いに行った。

 昨日は、12時からと3時からの2回の面会時間とも、折悪しく(?)睡眠中で、起こさぬように帰ってきた。今日のゲームは起きてはいたが、やっぱり泣いていた。

 人工呼吸器や、色んな管につながれている彼の頭をゆっくりなでながら、小声で話しかけると、泣きやみ、大きな目でじっと私を見ている。

 看護師が、「Mが来たら急に数値が良くなった」と驚いたように言った。私でなくても、誰でもいいのだと思う。そばにさえいてくれる人であれば。


 小さな声で、「ねんねんころり」と子守唄を歌っていると、目のふちが真っ赤になりだし、でも、一生懸命眠気と戦っているかのように目を閉じては開け、私の姿を確認するとまた安心したように目を閉じる、を繰り返す。

 「ここにいるから、安心してネンネしなさい」

 
 そんな彼を見ながら、思わず涙がこぼれてきた。昨日のテンのことが尾を引き、器械につながれたゲームと重なる。

 再手術を望み続けたおばの意向を汲んで交渉し、それに成功したと思っていたら、予期せぬ彼女のためらいが私を混乱させた。

 でも、少しは冷静になったいま、やはり今回の決定に対する忸怩たる気持が心を暗くしている。


 30%~40%の成功率であれば、手術を選択するべきではなかったのか…

 「今度こそは」と思っていた、その反面、諦めるための楔が必要だとも思っていた。それが「最後のチャンス」に賭けてみることだった。

 「もう一回だけお願いします。それでもダメなら諦めます」、そう医者に言った。

 その「もう一回」のところで、法的保護者でもない私は、思わぬ伏兵に折れざるを得なかった。

 手術をすれば、テンを苦しめたかもしれない。でも、それは「希望への試練」であり、「生へのチャレンジ」ではなかったのだろうか。

 手術をとりやめたいま、テンが外科的痛みをこらえることはもうない。その痛みは、私が、心の傷として受け取ったのかもしれない。


 「もう、これ以上痛い目にあわせるのは、見るに忍びないから、自然に任せます」

 そう言いながら、おばも泣いていた。


 子どものようになりふりかまわず泣いてみたいような気がする。テンとゲーム。この絶望的な二人の子どもの運命と冷静に向き合うための気力は理屈ではなく、恐らく理不尽で、根源的なそんな行為のあとでしか湧いてこないように感じている。
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by karihaha | 2005-07-27 00:08 | 小児病棟から | Comments(0)

小児病棟から(98) 日々の現実

 そして、ガーンも戻ってきた。将来は、「ミス・タイランド」と、元気な彼女の姿に喜んだばかりだったのに。

 発熱で真っ赤な顔をした彼女への診断は、再び「肺炎」。

 その他にもICUから上がってきた女児。母親は盲人の義母の世話があり、手が離せないという。

 ゲームと言い、この女児と言い、「優先順位が違うのではないですか?」と言いたくもなる。


 それに加えて、今日は月に一度の腎臓病患者への輸血の日。定員40人に対し、50人の患者でひしめいている病棟。児童養護施設からもおなじみの顔が来ている。

 その一人、センはひしゃげた鼻と、虫歯がご愛嬌の8才の少年。いつもは、「5バーツ頂戴」と どこからともなく現れるが、今日はことのほか調子が悪そうで、ガーンの隣のベッドに横たわったまま、身じろぎもせず眠っている。

 やっと順番がきて、輸血が始まったと思ったら、見る見るうちに元気になってきた。短時間のうちに、2回尿を排泄したが、その度に驚くほどの量が尿瓶を満たしていく。

 輸血が終わるころ、次々と訪れる入院患者に対応しきれず、腎臓病グループが一つのベッドに二人押し込まれだした。いずれにしろ、輸血が終われば帰宅するのだけれど…


 センのベッドには、彼と同年輩ぐらいの少年が母親と共に移ってきた。

 「アッ! いやだな」と直感的に思う。

 案の定、母親が自分の息子をかいがいしく世話をしだした。それをジッと見ているセン。彼はもう慣れっこかもしれないが、私は痛々しくて見ていられない。

 そのお母さんも、センの事情など知る由もないのだから仕方がない。それがセンたちが直面する日々の現実というものなのだろう。

 輸血が終わり、彼が期待感でジッと私を見ている。

 「今日は10バーツあげる。20バーツ紙幣しかないけど、チャンと10バーツ返すんだよ。10バーツだけだよ」

 なんてささやかな…
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by karihaha | 2005-07-26 23:36 | 小児病棟から | Comments(0)

 セームのことが気になる。Vホームに行く日が正式に決まれば、連絡をくれるようにと言ってはあるが、念のため先週末ジョムトンの病院に電話を入れてみると、まだ病院にいるとのことだった。

 医者を始め、セームのいた村の村長や村の役員との最終の話し合いからもう2週間近く経つ。

 Vホームが書類を作成するのに手間取っているのだろうが、あの「密室」で行われていることを推し量るすべはない。

 
 病院からの帰りに乗ったソンテウの車内で、偶然、Vホームのスタッフと出会った。セームの件を最初に相談に言ったときに話し合った人物だ。

 その後の事情を説明し、今の手続きはどのような段階にあるのかを聞いてみた。すると、彼女の答えは、「私は直接の担当者ではないから、何も分からない」。プチンと音がしそうに会話が途切れる。

 「マイペンライ(もういいです)」と言いつつ、「やっぱり」という失望と怒りを感じる。

 
 一人の子どもが、確実に一生を左右する事態に身を置いている。そして一方では一人の外国人が少なからぬ尽力で、何とか子どものためになるようにと努力している。

 そんな状況に何の興味を示そうともしないその人物は、『児童養護施設』という組織の職員である。本来なら、子どもに関わる全ての事象に関心を払うべき立場にいる人の筈なのに…

 
 セームの手を引き、「動かぬ人々」の間を突破する。そんないまの心境。
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by karihaha | 2005-07-26 06:11 | ブログ | Comments(0)

小児病棟から(97) 諦め

 「脳神経外科・9番」の診察室の前に、一人の少年が順番を待っていた。シャント術をした跡がくっきりと見える。

 おばが、早速その子の母親に話しかけている。そしてシャントには問題はないが知的障害があり、学校に行けていないそうだ、と肩を落として帰ってきた。


 8時の診察開始に遅れること2時間半、やっと現れた担当医との会話は、「テンの運命の審判」という内容に比して、あっけないほど短かった。

 「何度手術をしても、彼女の場合は炎症を引き起こすでしょう。例え手術をしても、しなくても存命期間は同じです。それと彼女の脳自体が正常より小さく(!)知的障害者であることは明らかです」

 どうしますか? と問いかけるような医師の目に、おばは答えない。

 以前は再手術一点張りだったおばの態度の変化に戸惑いながら、医師に今までの経緯と、出来れば最後のチャンスにかけてみたい、と手術を希望する旨を伝える。

 「調べたのですが、日本ではシャント術の他に、内視鏡を使った手術もあるようなんですが、それは無理ですか?」

 私の質問に、図を描いて説明してくれた医師の答えは「ノー」だった。


 医師がおばに手術の是非についての最終の決断を問うが、「M(私)はどう思うか」の一点張り。「保護者はあなたなのだから、あなたが決断しなくてはいけないんだよ」と私。

 そのやり取りを静かに見守る医師。
 
 逡巡する彼女だったが、最後に、「やってもらいましょう」と言った。


 驚いたことにテンにとっての5度目の手術は明日ということになった。即、入院手続きがとられ、入院病棟に案内する男性看護助手が迎えに来る。しかし診察室を出たあとのおばはまだ迷っていた。では、一度おじに電話をしてみては、と私の携帯を貸す。

 おじの答えも同じ。「Mはどう言っているのか」


 「もう一度チャンスを与える」、それが私たちの一致した思いだと思っていた。だから実現するように医者と交渉した。30バーツ保険を使っての再手術は、医者にとっては費用の無駄と映っていたかもしれないが…

 今日はじめて知った脳性障害、30%から40%の手術の成功率、うまくいっても延命効果も期待できないという現実を見据えて、迷うおばの気持ちも分かる。

 「これ以上苦しめたくない」

 自然な気持ちだろう。私もそう思う部分がある。ただ、今は痛くても、つらくても、チャンスがあるのならば、それに賭けてみたい。

 テンが私の手許からいなくなるのはイヤ。テンの頭がどんどん大きくなっていくのを見るのはイヤ。私にはその2つの将来の現実に向き合う勇気がないのかもしれない…


 病棟前の待合室での話し合いが続く。私のスタンスを率直に繰り返す。「最後のチャンス」それだけだ、あきらめる材料が欲しいのかもしれない。

 「頭の問題さえなければ、シャントの無い今のほうが元気なんだから」と言うおばに、いずれ症状が進めば、嘔吐・発熱・呼吸困難という症状が発生すると説く。

 病棟で入院手続きをすませたものの、まだ迷っている風のおばに、「辞めるのなら今のうちだよ。いずれにしろ決断できるのは、私ではなくあなたたちなんだから」と促してみる。
 
 看護師や、通りがかりの人にまで意見を聞いたおばが出した結論は、「止めておく」だった。


 二人の帰宅を見送り戻った病棟に、ゲームの姿は無かった。昨夜、ICUに移されたとのことだった。危うく命を落とすところだったらしい。

 私たちが下したテンの運命の選択、ゲームの両親が軽減できるはずの彼の苦しみ。泣けばいいのか、怒るべきか、気持ちの落ち着きどころがないまま、思いが同心円を駆け巡る。
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by karihaha | 2005-07-25 23:38 | 小児病棟から | Comments(2)