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台風18号 'Damrey'

 チェンマイ市内は三度目の洪水に襲われています。南部のサンカンペーン付近での洪水を入れると、8月・9月に何と4回もの洪水が発生してしまいました。

 今回は‘ダムレイ’と名を変えた台風18号が、中国・ベトナムに大きな被害を残したあと、熱帯低気圧となったまま、ここタイ北部の山間部にも豪雨をもたらしたのです。

 写真は本日、9月30日正午ごろのワローロット市場付近からのピン川と、その周辺の様子です。前回の洪水時の写真と比べても、今回の方が水位が高いような気がします。

 チェンマイ・田舎・新明天庵さんのブログによると、中国付近にある台風が、またタイに接近する可能性があるとのことなのですが、もー本当にいい加減にして欲しいものです。

                      ナコーンピン橋
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                   ワローロット市場近くの歩道橋    
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                    土嚢を積み上げてはあるが…
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                      ピン川沿いの道路
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                      ワローロット市場
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by karihaha | 2005-09-30 23:22 | ブログ | Comments(6)

小児病棟から(125) 高熱

 一日置いてでかけた、「孤独な子どもたちの部屋」にパクの姿はなかった。高熱が続いているので部屋を移されたとのことだった。ゲームの母親の姿は、もちろんもうすでに無かった。

 早速いまの病棟とは、ホールを挟んで直角に位置する病棟に向かう。部屋の隅に横たわっているパクに、「メー(母さん)が来たよ」と声をかける。

 眠ってはいなかったのだろう、その声を聞いてすぐ、大声で泣き出した。何度も部屋を換えられ、その上一人で高熱に耐えていた。その緊張が一瞬で解けたのだろう。

 暑く火照ったパクの身体を抱きながら、なんとも言えない哀れさ、可愛さを感じる。


 身体を冷やすために、チェットトゥア(身体を拭く)をするが、なかなか熱が下がらない。 医者の回診があり、おそらく病棟で何かのウイルスに感染したのでは、と言う。

 前の病室で、パクの隣にいた乳児には母親がついていた。その母親はパクの発熱を知ると、部屋換えを要求し、それが叶えられた。付き添いの有無はこういうところでも違いが出てくる。

 
 帰宅時には腹部が大きく腫れだし、もう一度医者を呼ぶ。薬を飲んで様子を見ようということになったが、その時点で体温計は39.5度を指していた。
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by karihaha | 2005-09-30 12:54 | 小児病棟から | Comments(0)

小さな父さん

c0071527_1239562.jpg 恋しいテンとの1週間ぶりのご対面。いつものように内職を広げた部屋の片隅に、テンは寝かされていた。

 この1週間でまた太ったみたい、頭だけではなく、身体もずっしりと重みを感じる。とにかくよく飲み、よく食べるらしい。いや、飲み・食べさせられるのを、快く受けているらしい。

 「食べられるうちに食べておけばいい」というのがおばの言だが、もう肥満児街道まっしぐらという感じ。

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 おばには2人の息子、ジェームとジェーがいる。9歳と8歳の年子のその子たちは、容姿もさることながら、性格も面白いほど違う。上のジェームはどちらかというと父親似の神経質。テンを可愛がってはいるが、頭頂部の割れ目ゆえに、怖がってもいるらしい。

 反対にジェーは、顔に似ず(?)優しい性格で、テンにぞっこん。放っておけば一日中でも相手にし、翌日、「なんでこんなに腕が痛いのかと思っていたけど、昨日テンをずっと抱いていたからだった」、なーんて言っているらしい。


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 今日持っていったメリーゴーランド型のオルゴールの台座作りに、家具職人のおじが腕をふるい、学校から帰ったばかりの兄弟が、手を洗うが早いかテンの相手をする。

 この家にはテンの居場所がある。
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by karihaha | 2005-09-29 12:43 | ブログ | Comments(2)

小児病棟から(124) 『ゲームの母』

 ゲームは、またN県立病院に戻ることになったと聞いた。このS病院の看護体制と暖かい雰囲気があれば、回復も早いのではと期待する気持をふくらませていたばかりなのに。

 でも、いまではミルクも自分で吸える。帰ったら私も、発育教室で見覚えた運動やマッサージをしてあげなければ。

 そう思いながら、なにか視線を感じて後ろを見ると、ゲームの母親が立っていた。3ヶ月ぶりに見る彼女は、今まで顔を合わしたときに比べると、気のせいか少し硬い表情に思える。

 先日ゲームのいとこに話した、ゲームの両親に対するわたしの反発心が伝わっているのだろう。


 今回の付き添い期間を聞くと、一晩だけという。「働いているし、お金がないから」。たまたまその言葉を耳にした、看護師が、「この病院では原則的に親や親類が付き添うことになっています。みんななんとか都合して来ていますよ」

 言ってやってください。それに彼女の服装を見る限りでは、とても今日食べるものにも事欠くという風には見えないですよね。


 手術はどうなったのだろう。看護師に聞いてもはっきりしない。このままN県立病院に帰るなら、今後も酸素チューブが必要なことには変わりはない。もう少し体力がつくまで持ち越しということなのだろうか。

 そうだったらN県立病院から地元のメーアイ病院に転院し、待機と言うことも考えられる。

 「メーアイだったら、看病できるよね?」。不快感を押し隠しながら聞いてみた。

 「大丈夫です。病院は家から1kmも離れていませんから」

 「(ホンマやな?)」


 ゲームはこの母親と、ゲームに全く関心を払わない父親の子。しかし、これほどの病弱では養子縁組も考えられない。頼りない両親だが全てを彼らに託し、親としての自覚の芽生えを期待するしかない。


 事情を知っている周りの母親たちが、「まあ、来ただけでもマシか」と言っている。

 ここでもタイ人の「マイペンライ」気質を感じる。他人の言動には大いに関心があるが、双方不愉快になりそうな話題には、直接言及しない、その代わり行動も起こさない。

 意地悪な日本人のわたしはそうはいかない。次いつ会えるか分からない、と名前・住所・電話番号を書いてもらうことにした。

 (チェックするぞー)

 戻ってきたノートには、住所と名前の下に、『ゲームの母』と書かれてあった。
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by karihaha | 2005-09-28 04:07 | 小児病棟から | Comments(0)

「ガッカリ」

 「うーん、ガッカリ」。 これがいまの正直な気持。

 なぜ落ち込んでいるのか? 実は1,000バーツ盗まれてしまった。場所はとあるNGOの事務所内で。

 その事務所は学校にも行かず、物乞いをしたり、一日中何をするでもないストリートチュルドレンが立ち寄る場所である。そんな子どもたちのシェルターとして、生活支援として、食事を提供したり、相談に乗ったりしているボランティアや職員が頑張っている、子どもにとっての‘オアシス’のような場所。

 今日は恒例のメーサイ行きで、無事滞在許可を延長したあと、その事務所を訪ねた。ボランティアの女性と話しながら、子どもたちの活動を見ることしばし。

 お手洗いに立ち、ふと見ると、私のハンドバッグのジッパーが開いたまま、人気のない事務所の一角にあるテーブルの上に放り出されていた。

 「アッ!」と思いながら、急いで財布の中身を確認する。中には、イミグレーションへの「見せ金」1万バーツが入っている。財布の中には1,000バーツ札がおさまっていたが、一枚づつ数えてみると、1枚足りない。

 うっかりしてハンドバッグを置いたまま、別室に入った間の出来事だった。病院でも一度盗まれたことがあり、それ以来お札は必ず身につけるようにしている。しかし、訪問先でのこの思いもよらない出来事。うかつだった。


 たかだか1千バーツ(約3千円)というなかれ、一食が20バーツでも食べられる国である。額的に痛いのは勿論だが、それよりもっとやるせない気持にさせられるのは、「裏切られた」という感が強いから。

 親や周りの大人の身勝手や都合で物売りをさせられたり、買春に巻き込まれたりする子どもたち。どの子どもを見ても、その後ろにいる大人たちだけが、私にとっては怒りを向ける対象だった。子どもはあくまで犠牲者だった。

 その思いが自然と、子どもたちの本質に目を向けることを忘れさせていた。「環境を変えさせ、将来の指針を示してあげさえすれば万事OK」と。

 しかしそうではないのだ。そんな経験をした子どもの大半には、社会人としてのリハビリが必要なのだ。そうでないと、やはり警戒して付き合わなければいけない子たちなのだと思わせられた今回の一件の後味の悪さ…

 いままでの自分の‘甘い’考え方をあざ笑うような今回の行為や、「蟻のいるところに砂糖をばら撒いたようなものだから」と自嘲的に口にしたことが、「ガッカリ」に拍車をかけた。


 普段の私なら5日分の食費・交通費がまかなえるその額で、盗んだ子は何を買ったのだろうか? シンナー? ガンジャ?

 そのNGOを支援したいと思っている、その気持を萎えさせるような出来事。

 「だからこそ、そんな子たちを更正させるために、支援の手を!」

 世間や、信念を持って活動している人はそう言うだろうな。
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by karihaha | 2005-09-27 00:43 | ブログ | Comments(0)

小児病棟から(123) パク

c0071527_9311580.jpg 「あれ!」

 ゲームの横のベッドに、「後頭部脱毛幼児」が。パクだった。またまた移動させられて、今度は、「孤独な子どもの部屋」に。

 この子に気づくのはいつもあの特徴のある脱毛部。後ろ向きに横たわっていても、一目瞭然で、「私はここだよー」とでもいっているようだと、少しおかしくなる。

 
 時間がたつにつれ、この子は知的障害者などではなく、周りの状況をすべて把握していると確信が持ててきた。ただ、表現手段を持たないだけだと。

 自分の意思を表現する、行動するという精神機能が未発達なのだろう。こんな症状を児童心理学ではなんというのだろう。きっと治療手段もあるだろうに。

 素人考えながら、少しでも刺激をと思い。小さなオルガンを与える。指を取って、ドレミを押させる。そして、私が唯一覚えている、「チューリップの花」を一緒に引いてみる。じっと耳を傾けているが、まだ自分から手を出そうとはしない。
 
 私のいる時間の殆どは、座位を取らせているが、座ったら座ったまま、2時間でも3時間でも同じ姿勢を保っている。

 
 エレベーターホールの玩具で少し遊ばせようと連れ出す。揺れる木馬やブランコ。身体で動きを感じて欲しい。抱っこをするとき、「おいで」と言うと、ゆっくりだが両手を広げて寄りかかってくる。

 木馬にまたがったパク、いやがらず揺られている。このまま放っておけばまた何時間も揺られているだろう。


 私もちょっと一休みと、パクを抱いてブランコに腰掛ける。安定した姿勢に安心したのか、今度は全身をもたせかけてくる。まるでテナガザルの小猿のように、手を肩にしっかりとかけて。

 そのまま無言の私たち。夕刻から出だしたパクの微熱を感じながら、彼女の気持を推し量りかねている。
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by karihaha | 2005-09-25 09:34 | 小児病棟から | Comments(0)

テンの生命力

c0071527_13382441.jpg  昨日現在では、N県立病院の小さな患者たちは、「ビクタージュニア」を除いて全て退院。私にも久しぶりにヒマな時間が訪れた。

 この身体的ヒマさは、いままでも何度かあったが、精神的な安定感は久しぶりのこと。

 テンと出会って7ヶ月。ずっと心配を重ねた日々だった。会わない日も心のどこかに必ずテンのことがあり、時限爆弾を抱えたような気持で時を過ごした。

 行き着く先は、「別れ」。

 彼女の症状を見れば、「看取ってあげる」ことを納得しなければいけなかったのだが、テンのミルクの匂い、あくびの仕方、泣き方、そんな一つ一つのしぐさを思い出すと、‘諦める’にはほど遠い執着を彼女に感じているのが分かっていた。


 もう、彼女の生命力を信じても良いのだと、いまもどこか半信半疑な自分に言い聞かせ始めている。


そして… 

 「さあ、やっぱり行こか!」と、背伸びをする。これから出かける支度をして、病院に着くのは多分1時ごろ(現在12時前)。「休もうと思っていたんやけどなー」。この時間になると自然に身体と心が出動態勢になってしまう。

 結局、私のやっていることは、「一ボランティアの、子どもたちへの思い入れ」とかいう高尚なものではなく、ただ単にあそこしか行くとこないんとちゃう?という日ごろの思いを再確認する朝。
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by karihaha | 2005-09-24 13:41 | ブログ | Comments(0)

『熱低一過』

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                     ピン川付近の、『ビジネス アズ ユージュアル』 ↓
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 チェンマイはこの雨季、三度洪水に襲われました。私の知人の中にも、その度に床上浸水に見舞われている人が何人もいます。

 「もうエエ加減にしてや!」

 日本だったら、治水行政の不備を糾弾する声があがっているでしょう。実際、不法な森林伐採や埋め立てがこの洪水の一因であることは確かなんですから、住民が怒っても当然です。

 「チェンマイ市民からは怒りの声が巻き起こっているでしょう」とアメリカの友人からのメール。

 それが…

 聞こえてこない。少なくともここまでは。 冠水した道路で魚釣りの網をかけている人や、「故障したラジオを修理に出したら、音が変でねー、クッキャ、クッキャとか言って」と笑っている友人はいるけど…

 タイ人の「マイペンライ」気質は少しは知っているつもりでも、ことここに及んでも!とビックリしたり、その大人(?)ぶりにうなったり。

 「まあ、起こったことはしゃあない、そんなことより生活せんと」
 
 
 『台風一過」』ならぬ、『熱低一過』。 でもチェンマイっ子にとってはいつもと変わらぬ一日    
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by karihaha | 2005-09-23 10:22 | ブログ | Comments(0)

小児病棟から(122) 発育教室

c0071527_1505945.jpg  S病院のゲームは発育教室に行っていた。子ども病棟の一角に備えられたその教室では、発育不全や、脳に障害を持った乳児が毎日数時間、発育を助けるための運動をしている。
 
 マットを敷いた上で、数人の乳児が寝かされ、同じような数の看護師が運動機能を促進させるような、遊びを一人一人にさせている。

 ゲームを担当していた看護師は、ゲームの細さを嘆き、「ここに1年もいれば歩いて帰れるよ」、と言った。

 「1年も居れるの!?」と驚く私。


 テンが入院していたときにも感じたことだが、この病院の質はN県立病院より格段上だと思っている。医師や看護師の質は当然かもしれないが、システムも、私たちが普通に考えて良いと思う方法が取られている。

 例えばこの発育教室。N県立病院にもあるが、それは外来患者に限られ、入院中の子どもたちには、理学療法士が一日数分間訪れるだけの訓練だった。その他の時間は寝かされっぱなし。

 それがこのS病院では、「病気以外は普通の児」と、可能な範囲で、子どもの自然な回復力を伸ばしてくれる。

 ゲームが入院以来、2週間足らずで哺乳瓶からミルクを飲めるようになったのも、そのおかげだろう。

c0071527_20207.jpg                                              
 看護師が見せてくれたファイルには、やせ細った女児が写っていた。その児がどんどん肉付きがよくなり、退院時には丸々と太って笑っていた。

 「栄養失調で運び込まれ、1年2ヶ月の間にこれだけの変化を遂げた、ゲームもこれぐらいになるよ」、と太鼓判を押してくれる。


 この女児は家族のもとに戻ったそうだが、それはそれでまたもとの木阿弥になるのではと心配になったのはさておいて、そう言えば、「孤独な子どもの部屋」には長期入院患者が多い。「焼き鳥」4才を始めとして、3人の乳児が生まれてすぐに人工肛門を装着し、そのまま入院生活を続けている。

 ある程度の年齢になれば、再手術が行われるそうなのだが、それまではミルクは器械コントロールされたチューブ食で、そのために退院が出来ないそうだ。

 
 ゲームの症状はこれとは全く違うが、長期に亘ってこの病院にいれるのであれば、先の看護師の言葉も実現するかもしれない。

 『ゲームが歩く』

 そうなれば両親も考え直すかもしれない。いやダメでも、養子という手もあるかもしれない。テンのことも含め、このところ明るいニュースが続いているのが嬉しい。

 

 
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by karihaha | 2005-09-22 01:55 | 小児病棟から | Comments(0)

小児病棟から(121) パクとゲーム

c0071527_12233017.jpg  S病院9階の眼科病棟にいるはずの、栄養失調(だった)パクを訪ねていってみた。

 パクは、廊下に出された子供用ベッドで、看護助手に相手してもらっていた。食後のおやつをもらい、でもお腹が一杯なのか、すねているのか、それを放り投げているところだった。


 手術はまだ行われておらず、いまも固く目をつぶったまま横たわっている。

 「どう、元気?」と声をかけてみるが答えはない。

 ただ、いままでとは違うのは、持っていたお菓子の袋を、冗談で取り上げようとすると、いやがって抵抗したことだ。取られまいと、しっかり握りなおして、私の手を払おうとする。

 意地悪な私は何度も、「頂戴」と繰り返し、そのたびに同じ反応をされ、最後には、「ウーン」と声まであげた。

 目を開けたり、立ったりはしないが、完全に周りの状況が分かっているのだと確信が持てた。

 これで、本当に手術が行われ、目が見えるようになったら、彼女はいまの頑なな心を開くのではないだろうか。


 そして次は、ゲームのいる6階の、「孤独な子どもの部屋」へ。ベッドが10床あるその幾分小さめの部屋は、人でごった返していた。ゲームとその隣りの、2つのベッドを除き、親が来ていたからだった。

 テン、パクに続き、ゲームにも嬉しいことがあった。よく見ると、鼻に、ミルク用のチューブが通っていない。

 まさか、と思ったが、ミルクの時間になると、看護助手がゲームのベッドサイドテーブルに、当然のようにミルク瓶を置いていった。

 ものは試しと口にあててみると、驚いたことに、しっかりと飲めている。ゲームが吸い付くたびに、哺乳瓶の中のミルクに規則的に細かい泡がたつ。

 N県立病院でも試してみたがうまく吸えず、最後には疲れるからという理由で、哺乳瓶を諦めた経緯がある。

 ふと、酸素ボンベの数値を見ると、2リットルを指している。これはN県立病院での数値よりまだ低いぐらいだ。


 たった2週間でなぜこんな変化が? 予定していた肺の手術は、「細すぎる」という理由でまだ行われていない今、条件はN県立病院と同じはずなのに?

 一つだけ考えられるとしたら、この病室のスタッフの多さかもしれない。8-10人の子どもに、看護師2人、看護助手2人。その上、医師、インターン、他の病室の担当者がひっきりなしに出入りする。

 そんな、「人のいる気配」にゲームの心と身体が素直に反応しているのではないか?

 これはN県立病院でも言っていたことだが、『ゲームに母親がついてさえいれば、きっと病状も違うだろうに』ということ。この病室の担当看護師も同じことを言った。


 ゲームがミルクをしっかり飲めるようになった。それは、彼が生きるための一つ大きな前進だと思う。

 肺の手術が成功すれば、酸素チューブを外すことが出来る。そうすれば、彼も‘普通’の子どもとしての、スタートラインに立てるのだ。

 はやる気持をなだめながら、でも哺乳瓶の泡の力強さに、そう信じ始めた私。
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by karihaha | 2005-09-21 12:26 | 小児病棟から | Comments(0)