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セーム

c0071527_2317064.jpg Mさん

 突然ブログを更新してしまって済みません(笑)。

 嬉しいことがありました。セームが今日付けでAgapeホームに行きました。


 実は新しい養護施設の立ち上げで忙殺されています。でも5月15日からは確かセームや『少年の家』の子どもたちも小学校に行くはず。学校に登録してしまってはもっと話がややこしくなる。 

 前もってお願いしてはあってもそこはやっぱり‘交渉’の世界です。あまりpushしてもAgapeのマネージャーの気分を損ねるのではとか思いながら様子をみていました。

 でもやっぱりセームのためにも頑張ろうと、きょうApageのマネージャーに意を決して(?)電話してみたところ、「セームが『少年の家』に行ってから何度電話してうちで引取るといっても色よい返事がもらえない。それはきっと去年の経緯があるからでは」と言われました。


 でもその30分後電話があり、やっとセームを今日中に引取りに行くことで話がまとまったと言ってくれました。

 本当に嬉しいです。そのあとはやっぱりN県立病院に足が向き、一人で勝利感を味わっていました。

 セームはもう安心です。テンも大丈夫です。Mさんのお気持とおばの頑張り、そして少しだけ私がサポートします。クワンとは今日会いました。彼女はジョンが今頑張っています。私もできるだけサポートします。あと私の‘子どもたち’で心配なのはアームなのですが、あの母親はどうしようもない。だから今度の私のポジションで考えていることがあります(実現できるかどうかはわかりませんが)。

 ご心配をおかけしました。セームのことは安心してください。そして彼の今後を見守ってやってくださいね。

 添付の写真は私の新しい子どもたちです。今日からピカピカの一年生です。今月末からスタートのプロジェクトでもっと年下の子どもを含めていっきに18人の子持ちなってしまいます。
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by karihaha | 2006-05-16 23:22 | ブログ | Comments(4)

セームと『少年の家』 (2)

 風が出てきた。すぐ雨になるだろう。 それをきっかけに、「セームを寮まで送ってきます」と、有無を言わさぬやり方で事務所をあとにする。

 外部の人間が許可なしに、寮まで行くのは本当はダメかもしれない。でもセームがどんな部屋で暮らしだしたのか見ておきたかった。


 平屋建てのその白い建物には感染児だけが住んでいる。総勢7人。大きな部屋には大人用のベッドが横並びに7つ並べられてあった。セームのベッドは部屋に入ってすぐのもの。そばのテーブルにはぬいぐるみやおもちゃが置いてあった。Vホームの保母さんの心づくしかもしれない。

 部屋の中央で、新学期に着る制服にアイロンをあてていたのは、顔見知りのB。私の視線に気づき、ニコッと笑い返してくれた。確か彼は10才ぐらいのはず。

 ここ『少年の家』では、掃除洗濯などの身の回りのことはすべて自分でするようになっている。それ自体はいいことなのだが、それまで保母さんが担っていたことを、幼いこどもたちがいきなり満足にできるわけがない。多分『習うより慣れろ』のスパルタ教育なのだろう。

 もう一つ聞いて驚いたのは、感染者たちの抗HIV薬までも本人が管理して服用するということだった。

 時間どおりに飲まなかったら、服用を中止したら。非常に危険なそんな管理を子どもたちに任せている。

 
 セームがアガペホームに行けることになっても、達成感はないだろう。年齢がいきすぎ、NGOに引取られるには‘トウ’がたってしまったあの6人の少年たちのことを思い出すと。
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by karihaha | 2006-05-12 11:29 | ブログ | Comments(0)

セームと『少年の家』 (1)

 「ひとまずお休みします」と言った舌の根も乾かぬうちに、、、。


 

 「セームが『少年の家』に行ったよ」

 4日ぶりに訪れたN県立病院、当番に来ていた保母さんが顔を合わせるなりそう言った。 15日と聞かされていた6歳以上の男子孤児の施設への移籍が10日行われたそうだ。

 いよいよM女史の‘呪縛’が解けた彼。数日前にアガペホームのマネージャーに再度お願いをしてはあるが、まだ具体的にどう動いていただいているのか連絡が来ていない。

 しばらく病院にいたが、セームは慣れない場所でどうしているのかと気が気ではない。 「やっぱり『少年の家』に行ってみる」、そういい残し病院をあとにした。


 アガペホームがダメなら仕方がない。少なくとも『少年の家』はVホームより出入りがしやすそうだから、毎週でも会いに行ってやれる。

 敷地を入ってすぐの事務所には、祝日にも関わらず3人の職員がいた。案内を乞うと、すぐにセームのいる寮に連絡してくれた。「座って待っていてください」という言葉に素直に従って腰を下ろそうとすると、「セームなら昨日アガペホームから連絡があり、身上書を欲しいと言っていましたよ」と言った。

 その言葉で胸がジーンとしてきた。思わず涙がこぼれそうになった。

 1年前の偶然の出会い、その後の福祉局との交渉、ジョムトンへ見舞いに通った日々、Bホーム、Rホームの方々の尽力。でもNGOの施設で育てていただきたい、という希望を最後に打ち砕いたVホームのM女史の仕打ちは忘れようとしても、忘れられるものではない。


 セームが数人の少年に連れられてやってきた。Vホームの『HIV感染者の家』で顔見知りになった少年もいる。

 お菓子を買ってやりたくて近くの店を聞くと、道路を隔てた向かいに並んだ小さな商店を教えてくれた、セームに「ここで待っているんだよ」と言うと、同じ職員が「連れて行って選ばせて上げたらは?」と言ってくれた。

 「いいんですかー?」

 Vホームでは考えられなかった寛容さ。手を引いて道路を渡るときも、「車が多いからチャンと右と左を見てから渡るんだよ」。そんな自分自身の言葉が新鮮に感じられる。


 一人では食べきれないほどのお菓子とアイスクリーム。今日は特別の日(?)だからまあいいや。お兄ちゃんたちの分もたんまり仕入れて、再び事務所に戻る。

 「セーム。来週もしかしたらファラン(タイ語で西洋人)が来て、その人のお家に行こうっていうかもしれないけど、心配しないでついて行ったらいいよ。その人はメーの友達で、大きな綺麗なお家があって、友達も一杯いるからね。メーもちょくちょく遊びに行けるところだからね」

 「クラーップ(はい)」

 分かっているのかいないのか。。。 チョコアイスで口の周りをベタベタにしたセームはそれでも元気に返事をした。
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by karihaha | 2006-05-12 11:01 | ブログ | Comments(1)

ひとまず

 「ボランティアINチェンマイ」を書かせていただいてから1年半、ボランティア自体に関わってからは2年半という日時が過ぎました。


 突然ですが、今日をもってこのブログをひとまずお休みさせていただきます。

 私の‘子どもたち’、テン、セーム、アーム、クワンについては私なりに彼らの身の振り方、将来に亘って責任をもっていけるような方法を考え、そのように実現できるようになったように思います。

 テンは引き続きおばに面倒をみてもらいます。そのサポートはMさんがお手伝いをしてくださる予定です。今後とも宜しくお願いします。

 セームはやっぱり今年が学齢期でした。Agape Homeに入れようと、只今交渉中です。

 クワン、最終的に養子縁組が成立しなかった場合、私の知人が引取ってくれます。彼女にとっては、経済的にも将来的にも安定した新しい可能性です。

 アーム、6ヶ月という新たな預け入れ期間中、母親が会いに来たのはたったの3度。それを越えた今日も連絡がないそうです。Vホームで養子縁組を強行するのであればそれはそれで良いと思っています。そうでなければ私が彼をサポートし続けます。


 書くことによって、自分でも思ってもいなかったアイデアが生まれたり、書いたことによって後悔や反省をし続けたこの1年半。

 次のチャレンジ、いままでの子どもたちとの関わりをさらに発展できるような機会、については落ち着きましたらまたこのような形でご報告をさせていただければと思います。

 いまはただ、お読みいただいた皆様に感謝の気持で一杯です。

 ありがとうございました。

 追伸 
 Mさん、K塾のTさん、名古屋のYさん。今後のことはまた別伸で詳細を連絡させていただきます。
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by karihaha | 2006-05-02 00:24 | ブログ | Comments(3)

追悼

 現在使用しているパスポートは、今年1月にチェンマイ領事館で新規にとったもの。Yさんの死後、その最後のページの『緊急時の連絡先』を埋めた。 ローマ字で。


 あれから色々なことを考えた。

 私はこのアパートに長期滞在する日本人の方たちとの接触を殆どしていない。私がこのアパートに入った頃は新築まもないころで入居者も少なく、日本人の数も数えるほどだった。

 それが噂が噂を呼んだのか、中老年の人が押し寄せ、どんどん日本語が飛び交いだし、いまやレセプションのPに日本語を話させるまでになった。

 『リトル・ジャパン』

 聞くところによると、日本人入居者同士のトラブルも頻発しているらしい。「くわばら、くわばら、触らぬ神にたたりなし」


 掟破りのようにYさんと接触したのは、私の友人が紹介してこのアパートに冬の間だけ滞在している、Mさんを通じてだった。

 去年の暮れも押し詰まったころ、Mさんを通じてYさんの人となりを聞く機会があった。

 『奥さんと死別後、タイで若いタイ人女性と再婚した。結局新しい奥さんも逃げてしまったが、その連れ子(?)を養子縁組し、いまも援助している』

 そういえば、まだお元気だったころ、オートバイに三輪車を積んでどこかへ出かける姿を見かけたことがある。

 Mさんは動けないYさんの面倒をよく看ていた。でもそのMさん夫妻も帰国した2月のある日、初めて私から声をかけた。

 「何かできることがあったらおっしゃってください」


 血のつながらない養子の面倒をみている。そのことが親近感を感じた一番の原因だったかもしれない。でも一番私の心を動かしたのは、「みんな冷たいよなー」と言ったというYさんの言葉だった。


 剣道家であったというYさん。ヨーロッパでの生活が長かったというYさん。病に襲われたあと発したというその言葉が、私のいままでの日本人ロングステイヤーの方たちに対する態度を、少し反省させるきっかけにもなった。


 病因も分からぬまま3月日本に帰国した際も、家族に心配をかけるのがイヤだと、連絡さえしなかったと言う。昨日チェンマイに着かれた息子さんも、突然の訃報を聞いてさぞビックリされただろう。

 手がかりを求めて入った部屋の正面の棚には、額に入れられた幼児の写真が3枚立てかけてあった。そしてドレッサーの上には、小さな額に入った若い女性の写真。。。


 Yさんのご冥福をお祈りいたします。
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by karihaha | 2006-05-01 20:36 | ブログ | Comments(0)