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近況報告です

c0071527_1163441.jpg 取りあえず死に物狂いで働く日々が続いています。

 18人でスタートした‘私の子どもたち’がたったの2ヶ月で22人になりました。

 ヌン、6才: メーホンソンのとある寒村で生まれ育った彼はアルコール中毒の父親に殴られ続け、食事は近所の家でとる、という日々が続いていたそうです。迎えに行ったその日から違和感なく、「メー(母さん)のところに来てくれてありがとう」と思えた子です。ちなみに、私は子どもに限らず私と一緒に働いてくれているスタッフにも、「メー」と自分のことを呼んでいます。

 パオパオ 4才: 私の働いている施設はチェンマイ市の中でもいわゆるスラム地域のど真ん中にあります。このことは私にとっては願ってもないことで、「宣伝などはしなくても私たちを必要と思ってくれれば噂は伝わる」、その最初のケースが彼でした。彼の生みの親は生後1ヶ月もたたない間に別れ、その時子どもに恵まれないまま12年間たった夫婦にその子を託したそうです。

 最初はうまくいっていたその夫婦も、日が経つにつれ彼が原因で喧嘩がたえなくなったそうです。そして旦那は逃走。奥さんの手には余るということで、彼は私の‘息子’になりました。

 ニー 4才: 私の施設のユニークなところは児童擁護施設でありながら、幼稚園を併設していることかもしれません。私の子どもたちは一人を除いて全てが山岳民族です。ですから生まれ落ちてからタイ語ではなく彼ら固有の言語で育てられてきました。

 タイ語が出来ない子どもたちを、1クラス30人が平均のタイの保育園や幼稚園に送るわけにはいきません。

 ニーは、私の施設の噂を聞きつけた母親がつれてきた女の子です。「もう養いきれません」そう言って。

 身なりや物腰を見るかぎりでは、とても「養いきれない」そんな様子ではありませんでした。でも家庭的には貧しい、だから応援する。そう言った意味で、私の幼稚園の生徒になりました。

 朝7時の朝食、11時昼食、5時30分夕食。私の施設は誰であれその時間に居合わせる人に食事を提供しています。 一日3度の食事は食べられる、そのこともそんな‘迷える’母親や父親を支援する大きな要素です、多分。

 エー、3才:ニーと同じスラム地域の子どもです。祖父に連れられてやってきた彼女は、今すぐにでも引き取ってあげたい、そう思える子どもたちの一人でした。

 母は15才ぐらいで出産、それ以降何の連絡もなし、エーの祖父はまだ30代ぐらい、 エーのおじ、すなわちエーの祖父母の息子が5才。山岳民族の間では珍しくもないことですが。。。

 でもやっぱり施設には受け入れないでおこうと思います、出来る限りは。私の施設よりは祖父母や‘おじ’との生活の方が彼女にとっては自然だと思います。

 だからニーと同じくエーも、朝7時から夜8時まで開いている私の幼稚園の生徒になりました。
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by karihaha | 2006-07-19 01:22 | ブログ | Comments(3)