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おかげさまでうちの子どもたち現在24人は‘親’の欲目としても、素直に育っている良い子たちだと思っています。 子ども特有の聞き分けのなさや、一人一人の個性がちょっと違った方向に行くのはまあ大目に見るとしてのことですが。 

その上学校の成績や絵や歌の才能も期待以上となると、この子たちの親は『磨けば光る珠』の我が子を手放したり、成長過程を見れないことをきっと悔しがっているだろうなと思っています。 まあ中にはずっと見せてあげるから引きとって!と思わせられる子もいますが、、、


平均月一度の保護者面会を許可していますが、毎月来る親・親戚たちがいるかと思えば、年に1・2度というケースや、訪問者なしという子どももいます。訪問者がある子どもはおおむね有頂天ですが、私たちにとっては他の子どもたちの感情に配慮してあげなければいけないという意味では微妙に気を使う時でもあります。


昨日出勤すると、スタッフからのレポートに『MとKの母親が帰ったあと、二人が落ち込んでいました。理由を聞くと、高校を出たら働きなさいと言われたかららしいです』とありました。

MとKの母親は山岳民族のモン族。 2回の結婚で3人の娘があります。当時は病弱の身ながら一人で3人の幼い娘を育てていました。まずMを引き取った当時、Kはチェンマイ郊外のNGO関連の寄宿舎で暮らしながら近くの学校に通っていました。

母親は、『Mはこれで幸せになったが、Kは毎日泣いている。でも私にはどうすることも出来ない』と言うのです。3年前の当時はまだ今ほど受け入れ基準を厳しくしていなかったので、母親は少なくとも1人の子どもの扶養をするようにということでKも受け入れました。

後日談として、その後その3人目も他の財団に預け晴れて自由の身になった母親が3度目の結婚をしたのは返す返すも悔しい思いですが、たまたまMとKが素晴らしい素質を持つ子どもたちで、『子育ての喜び』を感じさせてくれるているのは天の采配かなと思っています。


昨日二人の母親が高校を卒業したらと言ったのは、それまではいまの場所に居れるが18歳以降は受け入れ先がないのでという意味でしょう。「お母さんにはお金がないので、あんた達は自立しなさい」と言ったそうです。貧しさとはこれほどに人間を利己的にさせるのです。母親自身がいとも簡単に3度目の結婚に踏み切ったのも、自分自身が生き延びるためでした。この母親だけではありません。うちには亡くなった前夫との間の5人娘を前夫の祖父母に預けて、さっさと再婚してしまった母親という例もあります。

学校から帰ってきたMとKを呼び、昨日何かあったの?と聞くとレポートにあったとおりのことを言ったあと「悲しい」と顔を伏せました。


私は教育熱心だと思っています。うちの子たちのような家庭環境出身者が将来社会に出たときの『武器』は教育だと思うからです。でも、絶対に一番になれとか負けるなとかいうことは言っていません。「勉強の機会と環境はあるのだから、それを生かすのはあなた達次第」と言っています。

昨日はMとKに同じことを繰り返しました。「将来大学に行きたいのであれば支援する。それはあなた達次第」。すると2人の顔がパッと明るくなりました。

本音としては2人の母親のような人には出来るだけ来て欲しくないのですが、MとKにとってはそれでも愛しい母親なのでしょう。

私たちなりに手塩にかけて大事に育てている子どもたちですが、実の親の思いとの温度差をこんなことでも感じます。まあその分『親の喜び』を独り占めできるのですが、、、
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by karihaha | 2009-09-22 11:24 | ブログ | Comments(0)

奨学金

友人Tさんの支援で始まったチェンマイ女性刑務所の受刑者の子女への奨学金授与も来年で4期目になります。 ここ数日は受給者の選考のため応募してきたその母親たちをインタビューするため刑務所に出向いていました。


刑務所に任せていた年間20人の受給者選考に直接関与するのは今年が初めてです。それまでは授与の段階で子どもたちや保護者に会って母親たちの様子を聞くにとどまっていたのです。いままでも何度も刑務所を訪れていますが、施設で預かっている子どもの母親たちと話すのを除いては受刑者と直接接する機会はありませんでした。


そして今回のように合計で40人以上の応募してきた人たちの家庭の事情や、逮捕に至ったいきさつを聞くことはとても平常心でいられることではないというのに気づきました。事務所に帰って少し落ち着いてみると、いつもの疲れ方ではない脱力感のような疲れを感じるのです。エネルギーを奪いとられると言えばいいのでしょうか。

このブログでは何度も書いていますがタイの薬物所持や使用にはそれはそれは重い刑が科せられます。今日会った母親の一人は覚醒剤3,000錠の運び屋をしているところをつかまり、50年の刑に服しています。

想像もつかない本人のそんな人生の過ごし方や、親と突然離れ離れになってしまった子ども達のことに思いをめぐらせることがその疲れの原因であるのは分かっています。


だからと言っていままでもその現実に手をこまねいてきたわけではありません。受刑者のための識字教育、子弟への奨学金授与や事情によっては施設でその子ども達を預かるということで救済を図ってきました。でも増え続ける絶対多数と負の連鎖の前ではなすすべもないと思わせられてしまうのです。
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by karihaha | 2009-09-16 07:03 | ブログ | Comments(0)

隣人 【続】

私の職場では、合計で26人のスタッフが働いています。

その国別内訳はタイ人が19人、私のような外国人が4人そして外国人に含めてもいいのでしょうが、ビルマからのタイヤイ族が3人です。

タイヤイ族のスタッフはハウスキーパーやお手伝いさんというような下働き担当ですが、彼らは一様に非常に勤勉です。正式な身分証明書がない状態でタイ政府から許された範囲の仕事、つまりタイ人が余りしたがらない職種を担って黙々と働いてくれています。


今日たまたまそのうちの一人の父親が亡くなったという報告を受けました。彼女はタイに移住してかなりの年数になりますが、実家の両親や親戚はまだシャン州で暮らしているのだそうです。葬儀に帰りたいのだが、そんなに簡単には帰れないと泣いていたそうです。

それがきっかけでもう一人のタイヤイ人のハウスキーパーに、彼女自身の経験を聞いてみました。 彼女はいま21歳。タイに入国して4年になるそうです。タウンギーというシャン州の州都出身で子どもの頃から学校にも行けず、ずっと両親を手伝って農業をしていたのだが、いくら働いても生活は楽にならず、その上にビルマ軍の駐留兵に理不尽な搾取の被害を被っていたそうです。


17歳のとき誘われてタイに来る決心をしたのですが、不法出国ですから人目につかない夜のみ行動し、徒歩で12日間かかってタイの国境までたどり着いたそうです。いまでも実家の両親とは連絡が取れ、人を介しての送金等で経済的支援をしているとのこと。

父親を亡くしたスタッフのこともあり、帰ろうと思えば帰れるのかと問うと、「帰るのは簡単だけど、また出国するのが難しい。それに帰っても食べていけないし、、、」とのことでした。

政治的な理由での亡命者とは違い、彼女たちのような経済難民は帰国しても特に罪は問われないようですが、一旦帰ってしまうと再出国にはビルマ側の厳しい監視の目をくぐらなければならないのでしょう。
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by karihaha | 2009-09-02 17:39 | ブログ | Comments(0)

隣人

ここチェンマイはタイの北部に位置しています。さらに北へ250kmほど行くとビルマとの国境メーサイに到着します。

メーサイはいまの仕事に就く前に何度となく『ビザラン』をしたところです。チェンマイから日帰りで1ヶ月のビザを更新しに行くこのメーサイ詣ではいまでもほろ苦い思い出です。このブログのその当時の記事には『デンをしに行く』と書いていました。

タイ側で出国のスタンプをもらったあとは、国境の川に架かる橋を渡ってビルマ側に行き、入出国のスタンプを押してもらうと、その足でタイ側に戻り入国スタンプを貰う。これで1ヶ月の滞在が許可されるのです。ただそれだけのためにバスに片道5時間近く揺られての往復です。

おかげさまでいまの仕事を始めてからは『メーサイ詣で』の必要はなくなりました。財団がビザと労働許可書の手配をしてくれるからです。まさしく雲泥の違いです。

もう一生分行ったと思えるメーサイ。でも最近また行きたくなってきました。橋を越えすぐこちらに戻ってくるのではなく、もっと遠くに足を伸ばしてみたい。


そう思わせたのは最近出会ったシャン州からのタイヤイ族の子ども達です。チェンマイにはビルマからの移住者(一部は難民と呼ばれています)が大勢暮らしています。国境を接しているということで往来が自由だった昔からの移民を含めタイ全土では100万人とも言われるこの人たちの殆どが正式なペーパーを持たない滞在者で、いくら労働条件・居住環境が悪くても「こちらの方が良い」と、タイを終の棲家にしようとしています。

さて、メーサイと国境を接するビルマ側のタチレクはそのシャン州というビルマで一番大きな旧藩主国です。歴史的には現在の専制族であるビルマ族との長い闘いがあり、現在もビルマ語とは違う独自の言語と文化を守っています。


シャン州ではタイヤイ族を始めとする様々な民族が住んでいますが、そのタイヤイ族の移住者の多くが地の利のあるここチェンマイに住み、そのうち学齢期の子弟の数は1万人とも言われています。

そんな子ども達のために近年になって政府管掌の幼稚園が設立されました。そこでは最近移住してきたばかりの3歳から12歳ぐらいまでの子ども100人あまりがタイ語の基本教育を受ける機会を得ています。それまではこの部門は数あるNGOの独壇場でしたから、政府が本腰を入れて難民教育に取り組みだしたのは画期的なことと言えるでしょう。

タイもUNICEF加盟国ですから、どのような理由で滞在していようと、教育を受ける自由と権利は認めらるということを政府ベースで実践し出した訳です。

彼らは故郷を離れ親に連れられて来たここチェンマイで、新しい言葉を覚え文化を学び好むと好まざるとにかかわらずタイに同化しようとしている子ども達です。国籍は勿論のこと社会福祉を始め何の保証も無い国でこれから生きようとしている子ども達。 そんな彼らをもっと知ってみたい気持ちになります。


例えばFの母親もタイヤイ族です。いまはイサン地方の刑務所にいる彼女がどんな場所から来たのか、なぜ故郷を捨てねばならなかったのか、どんな大きな力がそこに働いたのか。そしてなぜ罪を犯すようなことになってしまったのか。それを知るのは国境の街を通り抜け、内陸部の彼らの故郷を訪ねるのが最短距離のような気がします。
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by karihaha | 2009-09-01 23:49 | ブログ | Comments(0)