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母親、三者三様 (2)

少し前になりますが、25年の刑で服役中のNamuuの母親に再度面会に行ったときのことです。

 前回 からはおよそ1ヶ月の期間を経ての面会で、その分母娘とも落ち着いて話している様子に、私の出る幕はなく、ただ最後に前回は見かけた母親の姉の刑期は決まったのか、と聞きました。 すると思いがけない答えが返って来ました。

「刑期はまだ決まっていないけど、つい数日前無事女児を出産し、いまは刑務所にまた戻ってきている」。

「赤ん坊!?」

前回は座っていたので妊娠中であったことさえ気がつかず、この話は寝耳に水で心底驚きました。いま四十歳の姉はたかだか6ヶ月間の『娑婆暮らし』の間に妊娠し、再び舞い戻った刑務所で子どもを生み育てようとしているのです。

面会が終わり刑務所を出たあと、Namuuが「お母さんがチェンライの姉妹の兄に連絡して早急に面会に来て欲しいと言っている。赤ん坊の件もあるし、母親自身も履いていたスリッパを盗まれ、いまは裸足で過ごしている。お金も全然ないのでそのことも相談したいから」と言い出しました。

前にも書きましたが、刑務所では食事と囚人服は支給されますが、それ以外の日用雑貨は本人が調達せねばなりません。でも、それでなくても寄宿先の夫婦に遠慮して暮らしている12歳の少女が、夫婦の姉と義兄にあたるそのおじ夫婦にそのようなことを切り出せないのは目に見えています。

お手伝いさんのような生活でも我慢に我慢を重ねているNamuuに更に気持の負担を強いようとしている母親。彼女の心情を慮ると、定期的に会いに連れていくのが果たして良いことなのかどうか、迷いがでてきます。
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by karihaha | 2013-09-29 17:55 | ブログ | Comments(0)

DNA?

しばらくブログを休んでいた間に色々また出会いや進展があったのですが、今日は常日頃から感心していることを。それはタイ人の記憶の良さです。

名前に限定してはいるのですが、タイ人は何年振りに再会しようが必ず名前で呼びかけてくれます。私などは寄る年波(?)で名詞、特に固有名詞がなかなか出てこないのですが、タイ人のその『才能』とも『特技』とも呼べる‘技’に接するたびに、何か暖かいものが胸の奥をながれます。私が外国人であることも加味しているのかもしれませんが、覚えていてくれた、それも固有名詞まで、という感触はとても嬉しいものです。

『タイには認知症患者が少ない、それはそこまで長生きできないから』というタイ人のブラックジョークはさておいて、私の経験上からはDNA的に何かの作用があるのでは、と思いたくもなります。


こんなことも『微笑みの国タイランド』と言われる一因かもしれませんね。
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by karihaha | 2013-09-27 17:08 | ブログ | Comments(0)

母親、三者三様 (1)

最近とみに頻繁に会う機会のある母親3人。三者三様の印象を持っています。三人に共通しているのは本来は協力して家庭を築くべき夫が不在ということです。一人は死別、一人は行方不明、そしてもう一人は保護者責任を全うしきれていないのが実情です。

残念ながらそのようなケースはここタイ社会では全く珍しいことではありません。おのずと私が会ったり、話したりするのは母親に限られるため、このブログでの母親への表現が非難めいて聞こえる嫌いがあるかもしれませんが、その実『影』に隠れた父親への不信感・絶望感は根強いものがあります。


Booの父親はHIV感染の末亡くなりました。先週になりますが母親に会いに再び村を訪れました。彼女とはおよそ3年ぶりの再会になります。Booの末の妹Buaの通う小学校へ寄り、奨学金を預けてきたと言うと、心底嬉しそうな顔をしました。彼女は体調不良をおして今も家の近所の観光客向けの喫茶店で働いて月四千バーツ(1万2千円)の収入を得ています。すべて学齢期の娘3人との生活にはとても足りない額ですが、これがないと生命線が断たれます。 

彼女自身も養護施設で育ち、国籍もないため医療費は実費負担で、月一度の通院時に払う6百バーツの薬代が重くのしかかっています。医者から手術を勧められていますが、その費用の数万バーツが捻出できないため、この先どのぐらい生きられるのかという不安感と戦っている毎日です。

ですから支援をしてBooの学業継続をさせることを切り出すのは少し躊躇いがありました。学費負担が重いのは勿論ですが、母親はBooの収入を頼りにしているのでは、という危惧があったからです。

でも「出来るだけの学歴をつけておけば、将来が開ける」という私の言葉に即座に同意してくれました。「自分は全く教育を受けず、満足に字も書けない。その分子どもにはちゃんと勉強して欲しい」と。


娘3人にとっては大事な、世界でたった一人の母親です。彼女の病気がどのようなものなのか。次の検診に同行してその辺の事情を探ってみようと思っています。
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by karihaha | 2013-09-21 22:40 | ブログ | Comments(0)

ガンバレ!

最近の投稿はBuuの話題に集中していますが、色々と気にかかる展開があり、その分心が晴れない日々が続いています。

昨日もBuuの転院先、というよりはもともとの登録病院のチェンダオ病院に行ってきました。Buuを児童養護施設に預ける場合を想定して、社会福祉局から指示された書類の一部を依頼するためです。

顔見知りのケースワーカーに現在の推移を説明し、一緒にリハビリ室へ。そして今度はリハビリ室の担当者と一緒に病棟の医師に会いに行きました。

そこで言われたことは『本人が非常に弱っており、今後回復が望めるかどうか分からない。N病院の医師ももうこれ以上手のうちようがないので、この病院に戻ってくる処置となった。いまは点滴と酸素マスクでどこまで彼女が持ちこたえるか見守っているところだ。すなわちいまの状態で動かすのは危険と言える』

同じような内容のことはN病院・集中治療室でも言われていました。しかし私としてはもし万一回復するようなことがあれば、再び家族のもとに返すという選択肢だけではなく、養護施設で引き取るという可能性も探ってみたいのだ、それが可能かどうかは現時点では何とも言えなくても、扶養義務を半ば放棄しているような家族であれば、また同じことが繰り返されるのは目に見えている。家族には知らせずに手続きをスタートしたい、と説明しました。


病床のBuuは酸素マスクのお陰もあり、安らかに眠っていました。先週一ヶ月ぶりに会った時は膠着した身体を反らして泣いていたときと比べると、随分楽そうに見えます。身体が異様に細いのを除いてはこのまま回復するのでは、という一縷の望みさえ抱きたくなります。


母親も集中治療室の前の椅子で仮眠していたときと違い、子どものベッドに横たわれる分余裕が出てきたように見えます。

「付き添い時の食費等は心配しなくていいから、しっかり面倒を看てね」と言うと、こっくり頷いた彼女。N病院で『もうイヤだ』と泣いたのは、心身の疲れがそう言わせたのだと信じたい気持になります。
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by karihaha | 2013-09-19 21:14 | ブログ | Comments(0)

光明?

ひとまずチェンダオ病院に転院したBuuですが、遅かれ早かれまた自宅に帰ることになります。しかし両親共に扶養を半ば放棄しているいまの現状では、彼女の今後の運命に大いに不安を感じます。

というわけで、昨日は早速県庁の中にある児童福祉の担当者に会いに行ってきました。そこは『社会開発と人間の保障省』という役所の下部機関で、国内・国際養子縁組を扱う『Child  Adoption Center』もこの役所の傘下にあります。

まず担当者にいままでの経緯を説明する中で驚いたのは、この担当者が私のことを覚えていたことです。実はおよそ9年前にHIV感染しているセームという同じくビルマ人の子どもの保護をお願いしたことがあり、彼は現在Agape HomeというHIV感染者の施設で元気に暮らしています。

諦め半分で持ち込んだ話ですが、結論としては障がい者施設に受け入れが可能かどうかは現時点ではわからないが、病歴などの必要書類を揃えて保護者と一緒に出頭して欲しいとのことでした。 これまでも国立児童養護施設Vホームには何度となく足を運んではいても一向にらちがあかなかったのですが、このスピーディな展開はうれしい誤算でした。

とにかく現状で出来うることはすべてしてみる。自己満足かもしれないとは十分承知の上で、Buuにとってベストと思える道を模索中です。


                     何はなくても無邪気な子どもたち↓
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by karihaha | 2013-09-17 19:24 | ブログ | Comments(0)

一般病棟

一昨日の午後、出先にBuuの居る集中治療室の看護師から電話。すぐに来てくれないかと言うのですが、出先に居る旨を伝え要件を聞くと、「医師の意見としては、心臓も弱っているしこれ以上の治療をすると大掛かりなことになるので。いまは酸素吸入と点滴にとどめている。その方針を待機している母親に伝えたが要領を得ないので来て欲しい」とのこと。

用事をすませ夕刻病院にかけつけると、母親と、付き添ってきたBuuの小学生の姉が部屋の前でポツネンと座っていました。彼女は入院当日から『通訳』として母親に付き添っています。しかし小学校3年生のタイ語力では病院がらみの話は難しいのでしょう。周りに毛布等の寝具があるのは2人でここで夜明かしをしたのでしょう。

部屋に入ると看護師の言葉通りBuuはさしたる手当てもされていませんでした。確かに栄養失調では時間をかけて体力の回復を待つしかないのでしょう。一応の説明を受けたあと、この状況でやっぱり私が言えることは医師に任せるということだけです。親族が決められないからと言って、いや親族は出来るだけ早く安らかに逝って欲しいと思っている状況で、他人の私が決済できる問題ではありません。


そして昨日夕刻再び様子を見に行ってみると、彼女はすでに一般病棟に移動していました。集中治療室の看護師が「週末はここに居て、月曜日にはチェンダオ病院に移動する」と母親に伝えると、泣いたそうです。「もうイヤだ」と。

病棟に上がるとBuuは安らかに眠っていました。体温も上昇したようで、こころなしか身体全体がふっくらしたような気がします。爪もピンク色を取り戻しました。 しかし母親は相変わらず感情をあらわさず、黙りこくっていました。父親が来たのかと尋ねると、近所の友達を伴って7人で来たと言います。小学生の娘の姿が見えないところをみると、父親と一緒に帰宅したのでしょう。


立ちつくす母親に座ってもらい、「夫婦関係が悪い上に生活が苦しいのは分かるが、やっぱり子どもとして生まれた限りは最後まで扶養義務がある。事情が分かるから私も出来るだけ協力しているし、これからもそうするつもり」と話しました。

たった2・3日のこの入院で目に見える回復をしているBuuは、やっぱり生きる権利があると思うし、その彼女の気持を代弁し、守ってやらねばと強く思っています。 
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by karihaha | 2013-09-15 14:35 | ブログ | Comments(0)

栄養失調

久しぶりに会ったBuuの様子は、やはり見過ごしにはできず病院に連れて行くことにしました。

昨日、午後一番にヌット先生と待ち合わせた上Buuを登録しているチェンダオ病院に連れてきてもらいました。午後のこの時間帯になったのは、先生の働く保育園の園児たちのお昼寝の時間をぬって車を出してもらったためです。

いつものことながら病院は患者とその家族で満杯状態です。地域がら山岳少数民族が殆どですが、皆一様に自分の順番がくるのを辛抱強く待っています。私たちはまず最近になって支援を始めたリハビリ室に足を向けました。ヌット先生の持ち時間に限りがあるため、スムースに診察してもらえるのでは思ってのことです。

期待にたがわず、すぐ救急室に通されました。しかし看護師の質問に答えるのも母親の片言のタイ語ではらちがあかず、館内放送でパロン語とタイ語を解する人を呼び出すと、一人の若いお母さんがきてくれました。その間ヌット先生が母親の持ってきたバッグの中にあった書類を調べていると、前回入院したN病院の検診票を見つけました。 結果退院後2週間目のこの検診に連れて行っていないことが分かったのです。つまり薬も5日前に切れていることになります。

「何で行かなかったの?」と聞くと、「行きかたが分からない」と言うのですが、Buuは過去に何度かN病院にかかったことがあります。交通費がないと言っては私がヌット先生に預けているお金を取りにきています。百歩譲って検診票はタイ語で書いてあるので理解できなかったにしても、薬が切れれば何とかしなければと思うのが普通では、と思うのですが。。 こんなところにも極貧の家族のもとに、不幸にして身体障害者として生まれた子どもの、家庭内での存在の過酷さを知ります。


結局この日チェンダオ病院では設備面で十分な手当てができないということで、N病院への紹介状をもらいました。この病院は私が長年ボランティアをしたところで、住まいからも足の便の良いところにあります。

そして今朝、Buuたちは役所から車をだしてもらい、私は乗り合いバスでN病院にかけつけると、彼女はすでに集中治療室(ICU)での手当てが始まっていました。顔見知りの看護師は「極端な栄養失調」と断言しました。 母親に問診する中で、ここでも「あなたは健康そうなのに、なぜこの子はこんなにやせ細っているのか」と詰問口調で問い詰めています。

それは私にとっても謎です。これもヌット先生に預けている粉ミルクや栄養補助食は以前と変わらぬペースで取りに来ています。その頻度に異変があればもっと早くBuuの事態が分かっていた筈なのですが。。


いずれにしろひとまずは医師の手に預けることが出来て一安心ですが、今後Buuをどうしてあげるのが彼女にとってベストなのか、タイ人ではないということで一度はたち消えになった施設への可能性も視野に動かなければと思っています。
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by karihaha | 2013-09-12 16:47 | ブログ | Comments(0)

Buu!!

今年は雨季のスタートが遅く、雨量の心配をしていたのも束の間。やっと降りだした7月以降、一旦降り出すと大雨という事態が続いています。

市内を流れるピン川も茶色の水が川幅一杯に流れ、川沿いに設けられたレストランの特設席も水没しています。


そんな雨をぬって1ヶ月ぶりにチェンダオの村へ行ってみました。ここも昨夜来の雨で田や畑が水没しており、農作物が気になりますが、水は半日ではけるので「マイペンライ(問題ない)」と村人は言うのですが。。

まずパロン族で身体障害者のBuuに会いにいきました。彼女は来月で3歳になりますが、脳性小児麻痺ということもあり、栄養源としての粉ミルクが欠かせません。ビルマからの経済難民の両親には高すぎる、それゆえその大事なミルクさえ断ってしまわないようにと、支援を続けています。他に保険以外でかかる病院関係の費用等々、もうかれこれ2年余り支援をし続けてきました。

昨日竹で出来た家に入ってみてビックリしました。Buuが別人のようにやせ衰えていたのです。例えが悪いですが、昔ソマリア等の国々の食糧危機時に映像で見た赤ん坊のような姿になっているのです。これには同行した保育園のヌット先生ともども絶句してしまいました。

この1ヶ月間に2度入院したというのは聞いていました。その都度母親が付き添い、医師も適切(?)な治療をし無事退院したと聞いて安心していたのですが、それにしたらいまのBuuの姿は一体どうしたことでしょう。母親に聞くと、ミルクは少量ながら飲んでいるし、補助食も与えていると言うのですが、いかんせん肝心のこととなると要領を得ません。退院時の状態がいまのようなものであれば、医師の判断を疑わざるを得ないし、いずれにしろ早急に病院側と話し合ってみるつもりです。


この家族にはヌット先生が個人的に資金を貸し、とうもろこし栽培をさせています。Buuを看ることによって母親が働けなくても、その分の一部でも現金収入をカバーできるようにとの配慮からです。それもこれもBuuを思う気持からなのは間違いありません。その想いをこの家族も共有していると信じたいのですが。。
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by karihaha | 2013-09-10 19:07 | ブログ | Comments(2)

2020 オリンピック

海外在住が長くなると『祖国』に対する想いも特別なものになるようです。外国語でニュースを聞き流していても、日本という単語には耳がそばだちます。

特に最近は安部新政権のニュースをよく耳にします。昨日から始まったG20を伝えるテレビニュースでも、首相のサンクトペテルブルグ到着や、会議中の首相の様子が映し出されていました。こんなことからも去年までとは違う『風』を感じるのは、在留邦人共通の認識だと思います。


さて、9月7日〈日本時間8日未明〉には2020年オリンピック開催地が決まります。ライバル都市はマドリッドと言われていますね。

スペイン紙『EL PAIS』によるとアンケート結果ではスペイン人の91%がオリンピック招致に賛成しているとか。まあ2千人のみの抽出ですが、2ヶ月前には81%、それ以前はどちらかと言うと私の友人を含めて、ブラジルと同じように「そんなお金があるなら失業率(27.6%)改善や、経済危機対策をすべき」とネガティブな意見が多かったのに、やはり直近になっての盛り上がりでしょう。 私のスペイン滞在中もそうでしたが、いまや16歳から25歳までの若年層失業率が57%超えにもなる現状では、若者だけではなく、『脛をかじられる』親世代からも政府への不満が募っています。


何はともあれオリンピックに関してはスペイン王室もフル稼働で、ブエノスアイレスには皇太子夫妻も駆けつけています。この点も日本の皇族が同時期にアルゼンチンに行くことに‘苦言’を呈している宮内庁とは大違い。でもIOC委員たちは「ここは王室の方々の顔を立てて」などとくれぐれも勘違い投票しないようにね。


安部首相も間もなくブエノスアイレス到着し、プレゼンテーションをするとか。9月7日〈8日〉には朗報が聞けると信じていますよ。 がんばれー!!
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by karihaha | 2013-09-06 16:34 | ブログ | Comments(0)

周りの友達のように

先週末のBoo宅への突然の訪問のあと、やるべき課題の第一はBooの退学を阻止することです。そのため今週始め、早速彼女の通う学校へ行きました。

授業が終わる午後3時にBooと待ち合わせ、時間通りに着くと生徒たちが思い思いにグループを作り木陰で寛いでいました。 この学校はメーテン郡では一応名の通った中高一貫校です。公立であるため、際立ったお金持ちの師弟が大半を占めるというような学校ではありませんが、年5千バーツの授業料を払えるとなると、やはりある程度の家庭環境にはあるのでしょう。

Booは自宅での様子とは少し違って、洗濯とアイロンがけの行き届いた制服に身を包んでいました。外見からは今Booが置かれている家庭環境は想像がつかないと思います。

早速奨学金担当の先生とお会いしました。彼女は去年まで3年間は財団からの奨学金を受け取っていたので、先生もよく事情はご存知でした。 財団が支援を打ち切ったので家族(母親)は退学させたがっているが、今後は私が財団に代わって支援をする。基本的には授業料と通学の車代を考えていると言うと、学校には授業料が払えない生徒には少人数ながら授業料免除の制度もあるので検討してみると言ってくれました。何事もアプローチしなければ事は始まらないにしても、もう少し早めにそのことを彼女に言ってくれていたら、と思うのは私だけでしょうか。

通学は乗り合いスクールバス(トラック)で月550バーツ(1,650円)。20kmの距離であればいたし方ない金額でしょう。Booはこのバスに間にあうため、毎朝6時に家をでます。問題はこの支払いで、聞くと新学期が始まってから一度も払えていないとか。一学期分の授業料はかろうじて払えたが、4ヶ月の車代合計2,200バーツは未納のままだとか。財団から奨学金を受け取るために開いた銀行口座の通帳を見せてもらうと残高も17バーツあまり。それにしても車の持ち主も親切なことです。同じ村の人ということですから、見るに見かねてということもあるのでしょう。

とりあえずは車代を清算するように現金で預け、今後の費用のための金額は口座に振り込むことを約束し面談は終わりました。 これでBooも遠慮なく車を利用できるでしょう。

この日、母親は病院に検診に行っているとか。母親は私が支援をすることでBooが勉強を継続することには同意しているとのことで、すぐにBoo退学させ働かせなければならないという事態はいまのところ避けられそうです。ただ最近になってまた仕事を辞めたらしく、また先日の訪問時に会った婦人も親戚ではなく、ただ近所の住人。唯一の村での親戚は母親の父、つまりBooたちの祖父で、いまは近隣の果樹園の番人をしているとか。そのような状態では経済的支援も望めそうもありません。


学校からの帰り、生徒たちがバレーボール(?)の観戦で歓声をあげていました。Booも彼らと同じように屈託のない笑いをあげたり、お金の心配のない学生生活をおくらせてあげたいのですが。。
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by karihaha | 2013-09-04 19:58 | ブログ | Comments(0)