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会いたかった

寄宿学校住まいだったAhtitは、中学1年生からお昼ご飯が支給されないことで学校に行かなくなってしまいました。

一度は電話連絡が取れたものの、彼の村へ行こうにも山の奥深い場所であるのは分かってはいるものの、Google Mapや市販の地図にも載っておらず、行く手段もないまま日々が過ぎました。

そんな時、ある友人の勧めでどこか中間地点で会ってはどうかと言われ、チェンダオ郡のバスターミナルで会うことにしました。しかしこの約束も簡単に出来たのではなく、何度も何度も掛けてやっとつながった電話の末でのことです。ことほどさように、彼の住む村は本当に人里離れた山奥にあるのです。

約束はバスターミナル横で定期市が開かれる日の午前中にしました。話のあと市に廻って、何か欲しいものがあれば買ってあげられると思ってのことです。その他に友人が呉れた古着や、お菓子、履物等々、Ahtitにとってはクリスマスとお正月が一度にきたようなプレゼントを携えて行きました。

バスは思ったより早く着き、約束の時間までは一時間弱ありました。でもきっと村を早朝に出なければならないだろうからと、次々と着くバスが気になり席を離れることもできませんでした。念のためと思ってかけた電話も相変わらずつながりません。チェンダオに近づいているのならある地点で電話はつながるはずです。もう帰ってしまおうか、とも思ったのですが、交通費を出してあげるからお金がないなら誰かに借りてきなさい、と言った手前そうもいきません。

約束の時間が一時間もすぎるころ、やっと姉から電話がありました。今日は村から出る車がなく、バスの走る幹線道路に行けなかったと言うのです。そのことを連絡しようにも電話がつながらなかったと。 普通では考えられないような不便な場所に住んでいるのだということも理解できますが、だからこそ一筋縄ではいかないジレンマも感じます。

結局重い荷物をもったまま、すごすごと帰ってこざるを得ませんでした。3年ぶりの再会が本当に楽しみだっただけに、がっかりしたのと徒労感で「もういいや」という気持が湧いたのも正直なところです。

でも少し落ち着いてみると、そんな村に住む彼の行く末が気になるからこそ、何か出来ないかと思ったのが今回の動機です。彼が一生村で暮らして行きたいと思うのであればそれはそれでいいのです。だったらそのための手助け、例えば養豚をするとか、何か現金収入になることでアドバイスなり支援をしてあげたいと思っていました。縁あって出会った子どもが必要とするなら、心の拠り所になってあげたいと思います。

彼が復学することを選んでも、幸いなことに来年度の新学期まではまだ間があります。村への車でのアクセスは難しくても、乾季中であればそれほどでもないでしょう。とにかく長い目で見て、辛抱強くするしかないのだと改めて思っています。
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by karihaha | 2013-11-28 18:59 | ブログ | Comments(1)

働く?

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ロイクラトンも終わり、いよいよ年末が迫った感がある今日、日曜日。 たまたま日本とチェンマイの親睦の催しがあり、Namuuを連れ出してみました。

最近は徐々に笑顔を見せることが多く、学校も楽しいというところをみると、彼女なりの居場所を見つけたということでしょうか。


前もっておばの職場である、ホテルのレストランに電話し、Namuuを数時間連れ出す旨を伝えました。その際「今日はNamuuは働いていますか?」と尋ねると、おばはすかさず、「Namuuはただ単に私たちといるだけ」と、私の『働く』という言葉に敏感に反応する。私も少しはおばの性格が分かってきたつもりなので、その言葉はスルーして、「それじゃ~時に会いに行きます」と電話を切りました。

それにしても、土・日は朝5時から夕方まで皿洗いや片付けをしたり、日によっては学校が終わってからでも店に駆り出されるのを『働く』と言ってはいけないのかなー??
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by karihaha | 2013-11-24 23:03 | ブログ | Comments(0)

喜捨?それともバス修理?

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タイ人の信仰の篤さは常日頃接して慣れてはいますが、先日少し驚いたことがありました。

Buuの誕生日にかこつけて母親に僅かばかりの現金を渡したとき、同行していたヌット先生が一番に言ったことは、「そのお金で少しでもお坊さんにタンブン(喜捨)しなさいよ」。

確かにタイ人には誕生日にはお坊さんに喜捨したり、養護施設で子どもたちに食事をご馳走したりすることはあります。でも、Buuの家族の場合は助けを必要としこそすれ、一バーツたりとも喜捨をする余裕はないと思うのですが。。こんなことを言うと、「いや、苦しいときだからこそ」と先生に言われそうですが。


街を歩いていると、封筒をかごに入れた人が道行く人に喜捨を勧めています。これは自分が檀家になっているお寺の改築や行事のための募金を募っているのです。この他に、細い枝の先に花のようにお札が挟まっている置物をよくみかけます。これも同じような意図で、誰でも、いくらでも喜捨できます。

正直に言ってしまうと、不敬ながら私はいままでそのような喜捨をしたことがありません。死後や来世の心配をする余裕がないというのがその言い訳かもしれません。お寺を金ぴかにするよりは、今生で弱者に敏感でありたいとも思っています(カッコつけすぎですね笑)。


話は変わりますがこれも先日、チェンダオに向かうバスの発車を待っているとき、車内に乗り込んできた女性の言葉に耳を疑いました。「バスの修理が必要です。寄付をお願いします」。

一瞬?となりました。それってバス会社の責任じゃないの? どうしてもなら運賃を値上げしない普通? いや、もしかしたら突発的な故障で運転手が責任をとらされているのかな?と色々妄想を逞しくさせてくれる珍現象です。

でもよく考えるとこのご時勢で四十バーツ(120円)で70km越えの距離を行ってくれる。理屈は置いといて、この寄付はちょっと面白い。 こんなことなら次にはしてもいいかな、と思っているのですが。
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by karihaha | 2013-11-22 20:23 | ブログ | Comments(0)

大雨

この2日間は夕方からの季節はずれの大雨に見舞われています。チェンマイ市内でも一部の地域では冠水したとか。

雨音を聞きながら気持はチェンダオ郡の村に向いています。 Buu家族を始めとして、家とも言えないような、雨露をしのぐのが精一杯のようなバラックに住む人々にこのような強い雨は、私のようにコンクリートの建物に住む者には計り知れない不安感があるでしょう。


その上この雨は彼らの生活さえ脅かしかねません。 

村ではとうもろこし栽培が盛んなのですが、今年は雨季入りが遅く、種付け・収穫が例年より3ヶ月近く遅れ、今が収穫真っ盛りです。しかし今年は業者の買取価格が暴落しました。小作農民が大半の山間少数民族は借地代・借りた種・肥料代を引くと3ヶ月の労賃が100バーツ(300円)というところもあります。 抗議のため農民たちが県庁におしかけたことがニュースで取り上げられたりしています。

それではと、自衛手段を講じたのがとうもろこしの粒だけを売ることでした。コーンから実だけを外し、天日干しをして売るのです。これだとコーンのまま生で売るよりキロ当たり単価が高くなるそうです。もう一手間かけなければならないことと、現金収入が入るのが遅くなりますが増収につながるならと、苦しい選択をしています。

しかしこの雨でトウモロコシが濡れてしまい刈り取りを遅らさざるを得ない、そしてすでに外した実も天日干しが出来ないままだとか。


以前は他人事でしかなかったそんな現実も、あの村の人々の顔が浮かぶいまでは、この異常とも言える気象変動が気になってしかたがありません。
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         **実を外したあとの芯は炭にして肥料として使うそうです**
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by karihaha | 2013-11-20 22:58 | ブログ | Comments(0)

治療

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小学校5年生の姉との登校風景は、バンコックへあざの治療に通っているデーング。

治療支援を始めて2年目に入っていますが、先日も夜行バスで定期健診に行きました。その時は姉の交通費も負担して、初めてのバンコック見物をしてもらいました。あとで受け取った費用清算で知ったのですが、往復とも夜行バスで、病院に検診したことを除いてはトンボ帰りです。

事前に姉には少し観光させてあげたらは、と言っていたのですがこれもタイ人特有の「遠慮していた」でしょうか。

なにはともあれ10回になろうとするこの治療の旅の成果はと言うと、素人目にはあまり見てとれません。間に入ってくれているデーングの通っていた保育園の先生も、彼女のFacebookでそのことに触れた上で、この状態で支援者の気持がどこまで続くかが鍵だと書いています。そうは言っても「乗りかけた船」から親子を残して飛び降りるわけにもいきません。


12月に一度、そして来年1月と続く治療の積み重ねでよい方向に向かっているのだと、デーングのために信じるしかありません。
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by karihaha | 2013-11-18 19:32 | ブログ | Comments(0)

もう一度

先週になりますが、チェンマイから北へ100kmほどの携帯の電波も飛ばないような学校へ出かけました。この学校は周辺の山岳少数民族ラフ族の子女が通っています。幼稚園から中学3年生まで250人あまりの児童・生徒のうち、60人余りは併設の寄宿舎で寝泊りしています。

この学校へ行くことになったのは、前職で預かっていた子どもの一人、アーティットを訪ねるためでした。彼は住む村に近い学校へ通わせたいという母親の強い希望で3年前に財団を離れ、この寄宿学校で勉強しつつ、週末には自宅に帰るという生活をしている筈でした。

当時、私たちとしては軽い学習障害のある彼の将来を考えると、それ相応の職業訓練をする機会のあるチェンマイの方が良いのではと引き止めたのですが、まだ幼かった彼は母恋しさ一心で村へ帰って行きました。


3年ぶりに会う彼はそのまま行けば中学1年生になっているはずでした。しかしやっとのことでたどり着いたその学校にはアーティットの姿はありませんでした。先生によると、小学校6年課程を終えたあと学校に来なくなったというのです。学校としてもそんな事象は日常茶飯事で、問題ではあるが有効な手を打てぬままだと言います。そんな子どもは結婚したり、親の仕事を手伝ったりしながら結局親同様に、奥深い山に囲まれた、世間からは孤立した集落で一生を過ごすのです。

半ば予想していたこととは言え、正直がっかりしました。折角出会ったのに、学習障害があるからこそ将来が心配だったのに。 アーティットの村は電話の電波も殆ど届かないところではあっても、一縷の望みを抱いて村からの生徒に私の電話番号を託しました。


すると、翌日彼から電話があったのです! 電波が悪い中ようやく分かったのは、小学校を卒業した後中学にも1週間ほど通ったが、中学部では昼食が出ず、辞めてしまったということです。

この学校の寄宿生たちは金曜日の放課後自宅へ帰り、日曜日の夕刻戻ってくるというルーティンです。そのため、往復の車代と一週間分の小遣いが必要です。中学は昼食が出ないというのはもう一度確認せねばなりませんが、いずれにしろ金銭的に困って学業を断念したようです。

「もし奨学金が出たらもう一度学校に戻ってくる?」と聞くと、力強い声で「行きたい」と言いました。そうなればもう今年度は無理でしょうが、来年度に一年生として再び受け入れて貰えるかもう一度学校に話に行かねばなりません。たとえ学習障害があるにしても、少なくとも義務教育を終了していれば彼にあった将来を模索する道も開けるでしょう。


その翌日再び彼から電話がありました。前日は話の途中で通話が切れたのを、電波がつながるのを待って掛け直して来てくれたのでしょう。こんなことからも彼の本気度が分かります。何とかしてあげねばとこちらも力が入ります。
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by karihaha | 2013-11-15 20:07 | ブログ | Comments(0)

早とちり

現在の主な支援先は奨学生の他に、チェンダオ郡メーオーナイ村の保育園2箇所と村の子ども2人への医療費支援です。

昨日はその保育園の一つ、丘の上のリス族村にある保育園に通うビルマから越境してきた女児の件で村へ行ってきました。

この女児については以前のブログにも書きましたが、両親とも亡くなったあと、先に越境してきていた祖母と共に親戚を頼って国境を越えてきたのです。

ヌット先生によると、最近になってその親戚が遠方に引っ越してしまい、残るは祖母のみで、別の親戚宅に身を寄せる筈だったのが、その親戚の男性が性的虐待の前科があるため、保育園の先生が保護しているとのことでした。

このような場合最善の方法は国立児童擁護施設で預かってもらうことですが、タイ人ではないということで、遅々として手続きが進まないであろうことはBuuの件でも経験済みです。それならば考えられる一番の可能性は同じ郡にある財団だろうという心積もりで、でも何はともあれ話を聞きに行こうと村に赴きました。

少女は園にいましたが、先生と二人だけの方が良いだろうと、園の外のテーブルにつき話を切り出すと、聞いていたのとは全く違う展開になりました。寄宿していた親戚は稲刈りの手伝いで10日間ほど村を離れているだけで、少女を心配して毎日電話がかかってくる。祖母も短期間だけビルマに残してきた土地の様子を見に帰っただけ。ただ、酒乱で、性的虐待の前科がある親戚に預けるのは不安と言うのは本当で、そのために保育園の先生が預かっているということでした。私の出現にキョトンとした顔をした園の先生の気持も分かるけど、ヌット先生も同じタイ人同士なのだからもう少しちゃんとした話を聞いてからにして欲しいと思うことしきり。

でも周りの皆に気遣われていることが分かって、少女のために嬉しいことには違いありません。園の先生は息子しかいないので、ご主人などはこのままずっと預かりたいとまで言っているとか。


先生によると、タイ語も少し話せるようになった少女はポツポツと自分の身の上を話し出した中で、母親の後で亡くなった父親の臨終の様子を、「寒い寒いと、がたがた震えていた」と言ったあと、先生が「お医者さんに行かなかったの?」と聞くと、そばにあったオートバイを指差して、「これがなかった」と言ったそうです。

あまりにも幼いころにそんなつらい経験をしてしまった少女だけど、タイに越境してきたのは結果的に良かったのだと思います。

今後の進路としては、来年の小学校入学は政府系の寄宿学校になるでしょう。微力ながらそのための手続きのお手伝いはしようと思っています。
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by karihaha | 2013-11-13 20:50 | ブログ | Comments(0)

2学期が始まりました

タイでは全国一斉に入学・卒業等のスケジュールが決められているわけではなく、大雑把な枠組みの中で、学区・学校主導で新学期や終業式等の日程も決められています。というわけで、現在25人超えを数える奨学生のための奨学金授与や、先学期の成績表は個々に尋ねるしかありません。

理想としては、そして勿論口をすっぱくして言っていることですが、そのような行事等の連絡をしてくるように、という要請もかなえられず、結局業を煮やしてこちらから連絡して情報を手に入れるというのが現実です。

それなら奨学金を継続しない、という手もあるのですが、年端もいかない子どもが大半であるということと、タイ人がこのようなときに使う「クレーンチャイ:遠慮していた」という言葉に込められたタイ人特有の考え方に、伝統的に一理あるのかという面も汲み取って多くを要求できないまま、こちらが動くことになってしまいます。


先週になって各校出そろったのを機に、奨学金授与に赴きました。先生を加えてのこの半年に一度の面接を通じて学業や生活態度、環境の変化が汲み取れる大事な機会です。成績が下がったり、態度にクレームが出た子どもには事情を聞いたうえで、厳しい言葉を発さざるを得ないときもありますが、全体的に成績と生活態度が優秀な子が多く、子どもたちにとって経済的不安感なく勉強できるということがどれだけ大きな影響を与えるのかということを実感させられています。
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by karihaha | 2013-11-11 16:15 | ブログ | Comments(0)

おじいさん

奨学生の一人、レーヌーは今年高校一年生になりました。彼女の家族は母親と90歳を超える祖父の3人です。以前にも書きましたが、母親には軽い知的障がいがあり、一家の大黒柱としての責は依然として高齢の祖父が担っています。

2学期になり、奨学金を届けに久方ぶりに家庭訪問をしました。その都度食料品や家庭雑貨を持って行くようにしているのですが、今回はつい前日ヌット先生がお米20リットルを買ってあげたということで、副食になるものにしました。

一家はヌット先生とは庭を挟んでお隣同士ですから、先生が陰になり日向になり支援しています。先日は先生のトラックの荷台に新しいマットレスが2枚あったのでその用途を尋ねると、おじいさんと母・娘のためのもので、破れたゴザに寝ているのを見るに見かねて買ってあげたそうです。

私が村の店で食料品を選んでいる時、インスタントラーメン30袋入りの箱を注文すると、先生が「前に一袋を家族3人で食べているのを見たことがある。おじいさんはスープだけで、孫に麺を食べさせていた」と教えてくれました。


そんなことからもおじいさんの筆舌に尽くしがたい困難な人生が想像できます。でも幸いなことに頭脳は明晰で、身体も時折病院にかかるぐらいで大きな病気もなく、いまも家族を守っています。

届けた食料品のお返しに、庭でなっていたキュウリやパッションフルーツをお土産にするよう母親に指示するなど、細かい心遣いもしてくれます。

たった一人の孫が無事高校・大学を卒業して家族を支えられるようになるまで元気でいて欲しいと願ってやみません。
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by karihaha | 2013-11-04 20:00 | ブログ | Comments(0)

金髪の天使、その後

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ギリシアのロマ(ジプシー)集落で保護された金髪・碧眼の少女、Mariaの親が名乗り出たということは日本でも報道されています。両親ともブルガリア出身の同じくロマで、ギリシアに出稼ぎに来たときに帰りの旅費がなく、僅かな金銭と引き換えに養親に売り渡されたとも言われています(この金銭の授受があったということは、双方とも否定してはいますが)。Mariaはその後物乞いやダンスに駆り出されていたようです。

報道ではDNA鑑定で確認されたと言われていますが、この母親からMariaのような容姿の子どもが生まれるのだろうか、と大いに疑問に感じました。写真で見るかぎりでは実親はどうみても典型的なロマですが、Mariaは北ヨーロッパ人を思わせる外見です。しかしMariaの兄弟の写真が鑑定の正確さを証明していました。

今回のことで少し調べた中で分かったことは、ロマの起源は北インドの一民族で、11世紀ぐらいから移動型民族としてヨーロッパ各地に渡ってきたこと。現在は特にギリシャ・ブルガリア・ルーマニアでの人口比率が高いことです。

そのような長い歴史を通して混血が繰り返され、Mariaやその兄弟のようなDNAの神秘とも言える現象が起きるのでしょう。


さてMariaの今後ですが、実親は引き取ることを強く希望しているようですが、ギリシャとブルガリア双方が話し合っている中でその可能性は低く、いま一番可能性があるのはブルガリアのしかるべき里親に引き取られることだそうです。そうなれば何はともあれ安心です。

実の子どもを売買(譲渡)してしまう親や養親には、今後の福祉や教育を期待できそうもありませんから。
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by karihaha | 2013-11-02 20:07 | ブログ | Comments(0)