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Ahtitの村へ (2)

村に着き、車の置ける広場でオートバイは止まりました。そこは一段と切り開かれ、近くには真新しい教会も見えます。ふと坂道の上を見ると、誰かが転げるように走りおりてきました。Ahtitでした。見晴らしのきく場所で待っていてくれたのでしょう。

挨拶もそこそこにそこから家への道案内を頼むと、ほどなくそれ以上は車の入れない路地です。そこで持ってきた物を運ぶべく家族を呼ぶように言うと、まず最初に乳児を抱いた少女と言ってもいいぐらいの女性がやってきました。この人が彼の義姉なのでしょう。あいさつもそこそこにまず年齢を尋ねると16歳との答え。若い!と言うよりは幼い。でもそれも山岳民族の間では特に変わったことではありません。

Ahtitの家はそこから急な坂を登りきったところにありました。道は砂地ですべる上に荷物を持っているのでバランスが悪く、竹葺きの家につく頃には息が上がってしまいました。こんなところを家族は毎日往復しているのですね。でもそれも慣れなのでしょう
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囲炉裏を切った室内では義姉とAhtitが並んで座り、他の家族は外で待機するという妙な構図になりました。しかし出かけていた母親も程なく帰ってきて、これも3年ぶりの再会です。気がつくとラフ族特有の家屋形式である張り出したベランダ(?)から村人が何人も顔を覗かせています。娯楽の少ない村では外国人の訪問は珍しいアトラクションになるのでしょうか。
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さて、まずは気になっていたとうもろこしの件を聞いてみました。前回会ったときにはもうすぐ収穫で、およそ1万バーツの収入になるだろうと言っていた件です。すると、案の定という話を聞きました。今年の低価格のせいで、売り価格は2万バーツだったものの、肥料や種のための借金を返すとまったく残らなかったと言うのです。家族全員が5ヶ月間働いてのことです。

庭に子豚が居たのでその件を聞いてみると、兄と自分の家族で1頭ずつ飼っているとのこと。他は同じく庭に放し飼いにされている鶏が収入源であり、栄養源です。


帰りがけには村長宅へ寄ることにしました。家族の収入を増やすには何が一番適しているのか助言を貰うためです。養豚に関しては案の上という返事しかもらえませんでした。村長いわく、豚の飼料が限られており、家族で飼えるのはせいぜい2頭までだろう。

確かに村人自体が食料確保・栄養補給に汲々としている現状では残飯もでないでしょう。見るところ実を外したあとのとうもろこしの芯がメインのようでした。


村長宅を辞した後は行きがけに見た村の保育園を訪ねてみました。ドイツ銀行の寄付で建てられた真新しい園舎はその向かいに見える教会と並んで、村人が住む竹葺きの家との格差を際立たせていました。
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by karihaha | 2013-12-28 07:39 | ブログ | Comments(0)

Ahtitの村へ (1) 高難易度

買い込んだ毛布の配布方法に頭を悩ましていると、ことあるごとに車を出してくれるようお願いしている友人が、「寒いいまの内に」と申し出てくれ、まずは急遽Ahtit宅へ行くことにしました。


日本から毎年この時期を過ごしに来る友人を含め、総勢四人で出発。まずは途中の大型スーパーで食料品を大量に買い込みました。これも車ならでは出来ることです。しかし電気の通っていない村では冷蔵庫もなく、保存のきく乾燥食品が大半ですが、この寒さであればあと2・3日は大丈夫だろうと、肉類も少々。
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いつも通いなれたチェンダオを過ぎ、さらに幹線道路を進む道中は快適そのもの。寒気でパリッと澄んだ空気が観光気分を更に盛り上げてくれます。しかし難関になるのはその幹線道路から道を折れて山深くにある村にたどりつく方法です。

Ahtitの姉は道路沿いの大きなお寺を目印に、その地点から左折する道路を入れば良いと言っていましたが、それほど簡単にはいかないであろうとは今までの痛い(?)経験上も想像がつきます。そこでまずはその近くにあった食堂で道を聞きがてら食事をとることにしました。そうしておかないと、それ以降は食事はおろかトイレさえままならない地域に入ることは容易に想像がつくからです。


食堂で働いていた人の内、タイ語を解しそうな一番若い人に村への道を聞くと、確かに山奥にその村はあるが、道案内なしではたどりつけないと言われました。複雑に分かれた道路や獣道は初めての人間には無理だというのです。予想したこととは言え、ここでまた難関が立ちはだかりました。

結局、その村を知っている人のオートバイに先導してもらうことで話がつき、一件落着したのですが、途中ラフ族の小さな集落を過ぎ、こんなところに村があるのだろうかと不安感にかられながらもさらに進むと、急に開けた山あいにへばりつくように散在する家々があるその村にたどり着きました。
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確かに彼の道案内がなければ無理だったと確信する行程でした。同行した友人たちは口々に「こんなところは初めて」と言うのですが、いままで数えられないほどこの種の奥深い村々を訪れた私にとっても、かなり『難易度』の高い場所でした。
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by karihaha | 2013-12-26 11:27 | ブログ | Comments(0)

防寒対策

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会う人ごとに「寒いね。こんなの初めて」と声をかけあう異常低温はまだ続いています。チェンマイの天気予報では、少なくとも年内一杯はこの気温が続くようです。まあ日本と違って唯一の救いは『木枯らし』が吹かないことかもしれませんね。

昨日は寄付の毛布を買っておこうと、まず大型スーパーに行きました。すると厚手の寝具売り場の陳列棚がすかすかになっていました。予想できたこととは言え、本当にここは亜熱帯のチェンマイなのか、と改めて思わせられます。

結局チェンマイで最大の公設市場で手に入った毛布。「去年の冬は全くだったけど、この2・3日の売れ行きで息をついているよ」とはホクホク顔の店主。


いま気になっているのは奨学生の中でも、地理的に一番辺鄙な山中の村にいるAhtit。姉に電話してみると、「寒いよー」とは言っても思ったより明るい声だったのが救いと言えば救い。「2月にラフ族のお正月があるから来てね」と言ってはくれたのですが、そんな先のことよりすぐに毛布を手渡す方法を算段しないと、と頭をひねっています。
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by karihaha | 2013-12-21 23:49 | ブログ | Comments(0)

寒い!

時ならぬ雨続きの日がやっと去ったと思ったら、チェンマイに本格的な冬がやってきたようです。

今朝方など寒さで目が覚め、2枚重ねでかけていた薄手の毛布の下で震えることに。例年ならばこれで充分だった冬も、今年は勝手が違うようです。この10年間荷物を増やさないようにと、個人的な買い物は熟慮に熟慮を重ねるのですが、この寒さの前には全面降伏。 日中早速厚手の毛布を買いに行きました。普段は閑散としている店内が大盛況で、誰の思いも一緒のようです。

それでもチェンマイ市内の最低気温は10度以上はあるのでしょうが、密閉度の高いアパートに住んでいてもこれなのだから、チェンダオの村、換気抜群の竹や木製の家に住んでいる村人たちはどれほどか、と思っていたら先生のFBに寒暖計の写真がアップされていました。朝8時で10度! 15度でも村人にとっては大事件なのに。。
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一日中頭を離れないのは山間部に住む子どもたちのこと。特にBuuや奥深い山に住むAhtitのことが気になります。Ahtitには前回会ったときに寄付の品を併せて防寒着を数着渡してはあるのですが、次回は家族へ毛布を持っていこうと思っています。

余談ですが、一般的にタイの家庭ではまだ温水器があまり普及していません。村も同様で、たとえ電気が通っていても高価な温水器が買えないということもあるのでしょうが、習慣的なこともあり、シャワーあるいは貯め水で水浴するのです。何度か冬季に山岳民族宅へ泊まったことがあるのですが、貯め水を使って、日中の暖を頼りの水浴であっても、何かの修業のように思ったものでした。

でもさすがにこの寒さでは水浴びも断念しているのでは? 今度会ったときに聞いてみることにします。
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by karihaha | 2013-12-17 21:50 | ブログ | Comments(0)

雨のメーオーナイ村にて

今日、日曜日のここチェンマイは又々時ならぬ雨に見舞われています。そこでやっぱり気になるのはチェンダオ郡の村。例年この時期は気温が下がってもピーカン晴れが続き、その自然サイクルで植え付けや刈り入れが行われているのですが、村人たちは会うたびにこの異常とも言える気象を嘆いています。

でも村では雨の合間をぬっての稲の刈り入れ、脱穀風景が見られます。写真を撮っている私に気付いて仕事の手を休めてポーズをとってくれるのですが、私としてはその作業風景をカメラにおさめたい。でもこの自然現象にも関わらず笑顔を向けてくれるお百姓さんに気持が癒されます。
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村に向かう車中でヌット先生が近況を色々と報告してくれます。Buuはまた少し肉がついてきたが、今回のいつもとは違うメーカーのミルクで少しお腹をこわしているらしい。父親も少しまともになったようで、ミルクを取りにくるのは元のように父親になった。寄付待ちの新保育園舎に来年2棟目を寄付してくれる学校が決まった。丘の上の保育園の先生の父親が亡くなったが、先生に葬式費用がないので、とりあえず有志がお金を貸した等々。そしてもちろんその中には色んな噂話が散りばめられているのもいつものことです。そんな中、私が関わる内容を取捨選択するのもいつものこと。

まずBuuの家に寄ってみると、確かに家の中が整頓されている。母親の表情も明るいのに一安心。ミルクは今回持参したいつものミルクに戻すようにと言っておく。保育園に戻って先生へのお香典。欠けている文房具や備品の中から次回寄付するものを選択。12月末にバンコックへ行くあざのある少女への交通費を託す。園児のための毎年恒例の年末・年越しパーティの企画。

あざのある少女が通う小学校の校長、担任と面談。あまり変化が見れないが辛抱強く治療を続けるしかないと話し合う。ヌット先生推薦の奨学生2人を訪問し奨学金を渡す。一人は不在だったが、母親と弟たちの写真をパチリ。90歳を越えた祖父と母親と暮らす高校一年のレーヌー宅へはいつものように食料品を持参。今回は寄付で預かっていた衣類も持参する。
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村へ行くといつもこのような感じで動くのですが、それでも毎回違った光景に出くわします。今回は雨ということもあり、村人たちは軒先で野菜かごを作っていました。いつも書いていることですが、一個作っても5バーツ(15円)です。でもこれも大事な大事な現金収入です。


そして最後にヌット先生宅により、毎回用意してくれている、先生の畑や果樹園でとれた有機栽培の野菜や果物をおみやげに、行きと同じぐらい大きな荷物を持って帰りのバスに乗り込むのです。
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by karihaha | 2013-12-15 15:37 | ブログ | Comments(0)

Boo宅、そしてゾウに会いに

1ヶ月半振りにBooに会いに行ってきました。

今回も車を出してくれる人がいたので、お米、肉、ラーメン、衣類等々を積み込んでの半分ピクニック気分です。というのはBooの住む村周辺には川に沿ってゾウ園が散在しており、帰りにはそちらに廻ってみようということになっていました。


前日に連絡しておいた通り、家族全員が母親の働く喫茶店で待っていてくれました。今回は主に母親の病状を詳しく聞くための訪問です。実は四週間に一度の母親の定期健診に出向くと約束していたのですが、前回の検診には行っていません。

というのはもし万一HIV感染者であれば母親も知られたくないだろうし、という配慮の上なのですが、今回見せて貰った常備薬から判断する限りでは、その心配はなさそうです。彼女の持病は高血圧、高コレステロール、喘息と言ったところでしょうか。そのことは読み書きの出来ない母親に代わってBooがリストアップした薬名からも類推できます。

母親がタイ国籍を持っていないことは以前も書きました。カレン族である彼女自身が養護施設育ちですが、教育を受ける機会もないまま、幼い頃からずっと下働きで働き通しています。その分娘たちには同じ思いをさせたくないという気持が強く、経済的に許されるのであれば出来るだけ教育をつけさせたいと思っています。

しかし子どもたちが大きくなればなるほど、無国籍ゆえに実費で払わなければいけない医療費が重く家計にのしかかっています。病気の内容が内容だけに、一旦支援をスタートしたら長期的にならざるを得ません。あるいはBooが大学を出るまでと考えても、あと6年! それよりは何か別の収入を自立的に得る方法を支援した方がいいのでは、と頭を悩ましているところです。


そして帰りがけは計画通り川沿いのゾウ園に立ち寄りました。ゾウの数も想像以上に多く、施設への出入りも自由です。他のゾウ園だったらチェンマイからショーや昼食がついて1千バーツ(3,000円)ぐらいでツアーが出ていますが、個人的にはここのようにリラックスしているゾウを見るほうがいいですね。 決して無料だからというだけではなく。。
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by karihaha | 2013-12-11 20:28 | ブログ | Comments(0)

やっと会えた

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難航していたAhtitとの再会がやっと実現しました。前もってチェンマイに来るように言っていたのですが、前日の夜に「明日行きます」と電話がありました。

住んでいる場所が場所だけに、具体的な約束の時間が決められず、午前中という漠然とした約束でしたが、当日は朝早くから起きだし、いつ電話がかかって来てもいいように身支度を整えて待っていると、「もう少しで着きます」と電話があり、今回は本当に会えるのだと嬉しさと安堵感で一杯に。これも前回経験したガッカリ感が少なからず影響しているのでしょう。


3年ぶりに会ったAhtitは覚えていた少年のイメージを拭い去り、青年と言ってもいいくらいぐら成長していました。失敗したり、恥ずかしがったときは決まって頭をかいていた少年は、日ごろの家業の厳しさを表すように、やせて日焼けした青年の姿を見せていました。

でも一旦話し始めると、やはり昔私が知っていた純朴なAhtitの片鱗を見せてくれます。今回は四歳違いの姉も同行してきているので、2人から家庭環境やこれからのことを聞きだすことができました。


学校に関してはやはり中学1年生を再度やり直す意思があるのですが、今回も私が必要な書類に記入するように言うと、「あまり字が書けない」と言います。彼はLD(学習障がい者)なのです。いまは15歳で2年ほど同級生とは年が離れていますが、来年進学するとなると3年遅れることになります。ただこのことは山間少数民族にとっては珍しいことではないのですが、LDのハンディキャップは否定しようがありません。まあ、学校のことは来年の新年度までまだ半年ほどあるので、一度一緒に学校に行ってみようということになりました。

一方家業は農業でいまはトウモロコシ栽培をしています。その他に家族の食用に山のお米(うるち米に似た品種)を2ライ(1000坪足らず)の土地に母親、姉、本人の3人で耕しています。ただ頼みの綱のトウモロコシは今年の買い付け値段が非常に悪く、借金して買った種や肥料代を除くと、1万バーツ(3万円)になるかどうかということらしいです。これで家族3人が1年食いつながなければいけないのです。

今回チェンマイに来たのも近所の人に交通費を借りてきた。電気は通っておらず、ご飯とわずかなおかずの夕食後は寝るだけ。頼りの綱のモーターバイクは故障して、いまは畑へ徒歩1時間かけて通っている。養豚しようと子豚を飼い始めたが、大きくなる前に食べてしまった等々、都会に住む人間には恐らく一日たりとも我慢できないような生活が、あの60家族の部落では今も続けられているのですが、そのことに関しては彼らの昔ながらの伝統として尊重しなければいけないと思っています。

でも何と言っても収入が少なすぎる。一過性の現金支援ではなく、継続的に収益が期待できる支援の形を考えようと思っています。とりあえずは一度村に行って村長さんと話さなければいけないのですが、姉によると来月はLahu族のお正月があり、村人が盛大に祝うとか、それに合わせて行くのが一番かなと思っています。
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by karihaha | 2013-12-07 18:13 | ブログ | Comments(0)

自己責任

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明日12月5日はタイ国王の誕生日、そして国民にとっては『父の日』になります。王妃のお誕生日8月12日に合わせた『母の日』に較べ盛り上がりに欠ける感がありますが、本来の、王様のお誕生日を祝う気持は国民の間に浸透していて、例えばいま盛んに報道されている政変騒ぎも、予想通り休戦に入りました。反政府側は6日から活動を再開すると言ってはいますが、こんなことからも現国王がいかに崇拝されているかが分かります。

ここ数年はご病気がちで、式典での恒例のスピーチも短くなっていますが、以前のものは外国人にも分かりやすいタイ語で、時にはユーモアも交えながら語りかけられたりして、毎年楽しみにしていました。さて、今年はいまの騒動について触れられるのでしょうか。


話は変わりますが、Memeeのいる学校の生徒、5人への後期分の奨学金を届けに行きました。授与の前に個々の生徒に前期の総括をしてもらう中で気がついたことは、同じような家庭環境出身であっても、親の目が届かないがゆえに同じ制服を着ていても身支度が随分違うということです。寮の先生も気をつけてはいるのでしょうが、最低60人もの生徒の面倒を見るわけですから、なかなか思うようにはいかないのは理解できます。

そんなことからも、小学校1年生から生活習慣全般がすべて自己責任になる生徒たちの、けなげさ・いじらしさに想いを馳せずにはいられません。
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by karihaha | 2013-12-05 02:17 | ブログ | Comments(0)

何とかして来てあげて

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先週、Memeeの居る政府系寄宿学校(Suksa Songhkro)では学期ごとに開かれる父兄会がありました。

9時からの開始に少し遅れて着くと、正門にはまだたくさんの生徒たちが群がり、首を長くして父兄の到着を待っていました。会える楽しみに浮き立っているというよりは、時間も過ぎたいま、本当に来てくれるのかという不安感で一杯の表情が見てとれます。そんな子どもたち、特に低学年の生徒たちを見ると他人事ながら「早く来てあげて」と願わずにはいられません。

 
前回の父兄会でも、結局来てもらえず涙ぐんでいる生徒がいました。 親にも様々な事情があるのでしょう。畑仕事から手が離せない、交通費が捻出できない、あるいはAhtitのように村から出るための交通手段の手配ができなのかもしれません。でも、小学校1年生から親許を離れての寄宿学校暮らし、大半は貧しさゆえの選択の筈です。それを判っているからこそ子どもたちは寂しさを耐えているのです。だからこそ、来てもらえなかった子どもは、やりくりしてやってきた親との再会を喜ぶ友達を見ると、その我慢に限界があるのは当然のことです。帰りがけポツンと木の根元に座っていた7・8歳の女の子2人に「来なかった?」とMemeeが声をかけました。「うん」と頷く二人の顔を見ると、万難を排して来てあげて欲しかったと強く思わせられました。


近々生活指導の先生に会って、次回からは父兄会の時間中、親が来なかった生徒を集めてビデオ上映会が可能かどうか聞いてみることにします。許可が出たらお菓子を用意して、映画は出来るだけ楽しいものにしましょう。
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by karihaha | 2013-12-02 17:30 | ブログ | Comments(0)