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前回のエントリーから早2週間近く。その間も色々な出来事がありました。その一部はここに書くのをはばかられるようなこともありましたが、その中でちょっと嬉しかったこと。

昨夜もビールを片手に夕食中電話がなりました。

「メー(お母さん)いま家にいる?」

今年の春から私が以前働いていた財団を離れ、親元に帰った高校1年になったKannikaです。

「居るよ」と言うと、いまから訪ねてくると言います。こんな時間に何事だろうと「何か問題でも?」と思わず問いかけてしまいました。 もう少しポジティブな返答をすべきなんでしょうが、やっぱり心配が先にたちます。

1時間後、Kannikaが私の住むアパートに母親と一緒にオートバイに乗ってやって来ました。手にはなにやら大きな箱を持っています。

「母の日(8月12日)に持って来れなかったので、遅くなったけど」

思いがけないプレゼントは彼女の属するモン族特有の刺繍の入った生地でした。
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「自分で刺繍したの?」と聞くと、「そんなに上手くできないから買ってきた」と恥ずかしそうに答えます。 思わずぎゅっと抱きしめてしまいました。

彼女と知り合って10年にもなろうとしています。子供だとばかり思っていたのが、もう立派にそんな嬉しい配慮をしてくれる女性になったんだな、と感慨深いものが。。


今日別の生徒の大学進学に関わる奨学金増額の面接が終わり、増額分のスポンサーになってくださる方とお茶をしながらの話の中で、その方は「なぜそれほどまでに情熱を持って出来るの?」と聞かれました。

そこで気がついたのは、子供が小さかったころは確かに「可哀想、何とかしてあげなければ」という一途な思いがあったと思います。でも成長するにつれ、その情熱’とやらは影を薄めます。思春期に入った子供たちは可愛いばかりではありません。扱いに悩む子供もいます。

でもKannikaやAhtitのように人間として大事な部分をちゃんと身につけた子供がいます。大学生のPatも前回にあったとき「メーのお正月用の服を作っているよ」と言ってくれました。モン族はお正月用に毎年長い時間をかけて刺繍の華やかな晴れ着を新調するのです。このことは半年ほど前にも言ってくれていました。「来年のメーの衣装は私が作る」と。彼女はつい先日もPayaoの大学に帰る前にもわざわざ寄って柿をことづけておいてくれました。


昔の『情熱』は薄れてきたかもしれないけれど、子供の成長に伴い生まれる『絆』を感じ、それが支えになる時期になってきたんだと思います。
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by karihaha | 2015-08-29 05:35 | ブログ | Comments(0)

7月8月のいろいろ

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昨日の終戦記念日、当地でも戦没者慰霊の式典がありました。チェンマイ郊外のバンカート中・高校の敷地内の一角にあの無謀な印パール作戦で尊い命を落とされた兵士の方々の内、1万8千柱を慰霊するための塔と鐘楼があります。

私自身は今年で3年連続で参列させていただいていますが、行くたびに異国の地で亡くなられた方々の胸中いかばかりだったかという想いで、胸をしめつけられるような気がします。 在チェンマイ総領事のご挨拶も今年の安倍談話を反映したものか、今までのように、『反省』、過去の行いが故の『痛恨の念』という言葉はなく、胸にストンと落ちる内容でした。

印パール作戦時に、豪雨や食糧不足で苦しめられたご英霊ですが、現地での苦境が容易に想像できる場所に身を置いている者としては、さまざまなイデオロギーや見解の相違があるのは承知しながらも、あの時代に生きた人々が歴史の大きな流れの場面、その渦中で命を落とされた、そのことを重く深く考える義務が後世の私たちにはあるのだと思います。


さてさて、前回のブログを書いた7月末から今日にかけて溜まった写真を見ていると色々なことをしたなー、と気づかされます。

奨学生たちは中間試験を経て、一学期の後半に入りましたが元気に登校しています。 今月は国王妃のお誕生日が8月12日ということもあり、その日は『母の日』に設定され、勿論国民の祝日です。今年は水曜日だったので、官公庁は一日だけの休みでしたが、これが木曜日だったら確実に次の金曜日も休みになっていたでしょうね。残念でしたねー(笑)。
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日本と違い、主だった国民の祝日の前には必ずと言っていいほどそれに関連する行事がありますから、母の日も勿論例外ではありません。8月11日には支援先の保育園や小学校でも開催され、母親たちが招待された上、子供たちからの感謝の儀式があります。

ずらっと並んだ母親の前で子供たちがワイをする姿は印象的ですが、母親がどうしても出席できない子供は先生たちが代理になります。私も何人かの子供のために駆り出されたりもしましたが、やっぱり寂しそうな顔をしているのを見ると、「何とかできなかったのかなー」と思ってしまいます。

支援をしている脳性マヒのBuuの母親も彼女の姉のため小学校に来ていました。「あとで(自宅へ)行くよー」と声をかけるとニッコリ笑ってくれる。夫がらみで色々あるけど、最近は落ち着いているのかな?
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保育園・小学校と式典に参加したあと、約束どおり集落へ行き、粉ミルクや僅かばかりの現金を届けます。私の姿を見るとワーッと集まってくる子供たちのお目当てはお菓子です。

今回は初めてお隣の家(?)の中を見る機会がありました。 母親の妹一家が暮らしているのだそうだけど、驚いたことに一部屋だけのバラック作りを間仕切りを挟んで2家族・9人が暮らしているのだとか。これだけ見ると、お隣のBuuの自宅が贅沢に見えてくる。。。 

去年は一時期薬物で服役していた父親ですが、今回会ったときははシラフのようで、日雇い仕事や農作物の話が聞けたのはなによりでした。だから母親の表情が明るかったのかな?




7月末にはカオパンサー(入安居)の帰宅許可が出たMemeeを送りがてら、村のおじ宅へ行ったのですが、たまたま実の母親と出くわしました。おばによるとこうして毎日のように食べ物を求めてやってくるそうです。

母親の姿を見たMemmeは一瞬で顔を曇らせ、母親に話しかけようともしません。母親もぼんやりと彼女や私たちをみるばかりで一言も発しません。 以前にも書きましたが、母親は知的障がい者で、いままでも彼女の扶養を果たしたことはないのです。それゆえにこの親子には情愛を育てるという日々もなかったのでしょう。
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Memeeには他に3人の兄たちがいますが、ことごとく問題を抱えていて、3人ともこのおじ夫妻に世話になっています。 つまりMemeeがこの一家にとり唯一『まとも』とも言える道を歩んでいることになります。

久しぶりに話ができたおばは「早くMemeeが成長して家族を養って欲しい」と言います、私もその場では話を合わせてはいたのですが、帰りの車中友人には「学校を終え独立したら出来るだけ遠くに行って彼女自身の人生を切り開いて欲しい」と思わず本心を明かしていました。

8月4日はMemeeの15才の誕生日でした。こころばかりのプレゼントと小さなケーキを携えて学校へ行きました。平日ですから教員室で少ししか会えなかったのですが、居合わせた先生方は口を揃えて「いい子になった」と言ってくれます。大勢の大人たちの間でいかにも恥ずかしそうな彼女です。
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ジョムトンの養鶏場で働き始めたAhtitからは何度となく電話があります。「いつか暇を見て会いに行くね」といい続けて1ヶ月後、やっと実行してきました。

ジョムトンの郡役場からほんの数分のところに彼の職場兼下宿がありました。下宿は家具もないがらんとした部屋に僅かばかりの身の回の品が床にそのまま置いてあるというわびしさですが、挨拶に来てくれた雇い主が恐縮したように、「これから序々に整えていきますから」とおっしゃいます。いえいえ、Ahtitの実家を知る私にとってはこの部屋は立派なものですよ、と思わず言いそうになりました。

余談ですが、最近結婚した彼の姉と夫はAhtitの実家で暮らし始めたと言うので、「エッ、あそこで!?」と言うと、「うちの方が旦那さんところよりマシだから」と。 Buu宅と言い、Ahtit宅と言い上には上があるものです。。。

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行ってみて分かったのは彼の仕事は食用の養鶏ではなく、闘鶏用の鶏を育てていることでした。雇い主によると、以前は自分が役所仕事のかたわら細々とやっていたのを、Ahtitが来てから大幅に拡張したとか。見せてもらった孵化器にもたくさんの卵が並んでいました。

「ヒナが結構死んでしまうので、この餌とこの薬を混ぜて」とか「これが一番強いオスなんだよ」と一生懸命説明してくれる彼に、「責任重大だね」と言うと、本当に嬉しそうな顔をしました。

この春にやめてしまったお寺の中学校では「仏教経典を読むためのパリ語がまったく読めず、書けず、下級生にも追い越されてしまった」といまでは明るく言いますが、あの時涙ながらに「学校を辞めたい」と言ってきた時は、よほどつらく悔しかったのだろうと思います。

「また休みができたらチェンマイに出ておいでよ」と言うと、「休みはない。居ないと鶏たちが飢えるよ」と言います。

心優しく、でも学習障がいというハンデを抱える彼にとってはいい職場だとは思うのですが、1人っきりで、相手と言えば鶏だけという生活にいまは満足していても、たまには息抜きをして欲しいと思います。



ジョムトンからチェンマイへの帰りは、10年以上前に出会ったHIV感染していた孤児セームをジョムトン病院に入院させたため、週2から3回のペースで見舞うのに利用していたのと同じバスに乗り合わせました。もともとジョムトンに行く機会があまりないため、このバスに乗るのも本当に10年以上ぶりです。

最終的にHIV感染児のための施設Aホームでお世話になることができましたが、6才で出会った彼もいまでは16~17才の青年です。「長い間会ってないなー、久しぶりに会いに行ってみようかなー」と感慨めいたものを感じながらの帰り道でした。
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by karihaha | 2015-08-16 16:27 | ブログ | Comments(0)