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寒い!

タイは熱帯に属していますが、ここチェンマイは熱帯から想像されるジメジメと蒸し暑い酷暑からは想像がつかないほど、年間を通して時には高温ではあっても快適な気候が続きます。

しかしもう真冬が終わろうとするこの時期に、今年は異常気象とも言える雨混じりの低温が続いています。そして山間部では霜が降り、さすがに熱帯の当地ではそれが大きなニュースになります。

街に出ると日中でも13度~14度にしかならない気候に対処するためのタイ人の防寒対策はさまざまです。短パンにゴムスリッパその上にフリースの上着の男性、毛皮付きのコートで厳寒対策をする人、中にはバスタオルや毛布を巻いた人もいます。 この10年以上の滞在では見られなかった珍しい(?)光景です。

ああ、早くいつもの気温に戻って欲しい。。


さて、年末年始にかけては日本からの避寒組の友人たちがチェンマイに来ていたのはいつも通りです。

そしてこれも例年通りモン族のお正月があり、彼女たちと出かけたりしましたが、そのうちの1人を誘ってチェンダオの支援先にもいきました。いつも通りの保育園と身体障がい児、そして90歳のおじいさんとその娘・孫という家族への支援の品々を持っていくためでした。

今回は友人が車を出してくれたので、日本からの友人にはチェンダオ山の素晴らしい景色も楽しんで貰えたのではと思います。

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その日はまず保育園、その後障がい児のBuu宅と訪問し、最後に高校3年になったRaenuu宅へ着くと、平日にも関わらず彼女は母親と野菜かご編みの内職をしていました。Raenuuには高校2年まで3年以上奨学金支援をしていましたが、3年からは彼女のなかなかの不祥事で支援を打ち切った経緯があります。そうは言っても家族の困窮を見てみぬふりは出来ず、食料支援だけは続けているのです。

Raenuuはもう数ヶ月で卒業ですが、その後の進路はどうするのだろうと気にはなっていました。そこで丁度良い機会と彼女と二人だけで話すことにしたのです。

その不祥事というのは、当時彼女は韓流にはまり、バンコックへファンであった歌手のコンサートを友人と見に行くため、知的障がいのある母親を言いくるめ、自宅の土地半分を同じ村の住人に売ってしまったのです。その代金5万バーツ(16万円)はバンコックへの交通費と滞在費に消えてしまいました。

そのことが支援を打ち切るきっかけでした。

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そのことを指摘すると、「当時は金持ちの友人に誘われるままあんなことをしてしまったこと、反省しています。いまではその友人たちとは付き合っていません」といいます。

もともとは彼女の素直さを見込んだこと。そしていまの家族にとってはRaenuuだけが頼りということでスタートした支援でした。いま1年ぶりに会ってみてその状況は変わっていないし、母親と一個仕上げて5バーツの内職をしているところを見て、もう一度彼女を信じてみようと決めました。

聞くと、高校3年の授業料を全額滞納しているとか。払いこまなければ卒業証書を発行して貰えない、つまり将来の進路も閉ざされます。

まずは授業料を支払いがてら、彼女の担任の先生と話し合いに行ってみようと思っています。
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by karihaha | 2016-01-26 21:01 | ブログ | Comments(0)

Ahtitのこと

新年に入ってから20数人いる奨学生の何人かから、挨拶のメールや電話がありました。

その中で一番心に響いたのは、ジョムトン郡で闘鶏用の鶏の『お父さん』をしているAhtitでした。 何度も書いていますが、彼には学習障がいという一種のハンデがありますが、人間としてわきまえるべき常識や礼儀は感心するほど持ち合わせています。


先月から今月にかけて私を訪ねてきてくれた友人知人の1人、Shellyは財団勤務時代にとりわけ子供に人気があった英語の先生です。毎年遠いニュージーランドから会いに来てくれる彼女。今年はあまり時間が取れないとのことで、Ahtitにチェンマイまで出向いて貰うことにしました。

食事をしたり話し合ったりの数時間を過ごしたあと、Ahtitはジョムトンに戻って行きました。 そしていつもなら「着きました」という電話があるはずの数時間が経過し、少し心配になりかけたころ、電話がありました。帰ってすぐ鶏たちへ餌をあげ、落ち着いたところだというのです。

後日会ったShellyにその話をすると、驚いたことに彼女にも同様の電話があったと言うのです。会話はもちろん英語ですが、片言でも気持ちを伝えたいと思った彼を褒めてあげたいと思いました。
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そしてこの年初の電話で私が「何か欲しいものない?」と聞くと、「何もないです。ただメー(私)が健康であってくれさえすれば」。 泣かせてくれます。


奨学生の個性はさまざまです。残念ながらその素行や礼儀のなさに支援を打ち切ろうかと思う子も中にはいます。でもそんな子でも話合ったあとにはこちらの気持ちを分かってくれることが大半なのが救いと言えば救いです。

ボランティアで2年、財団で5年そして退職後はTさんのご好意で引き続き活動を続けることが出来ています。タイでのそんな活動がもう12年にもなります。

長いなーと感じないでもありませんが、Ahtitのような子供(青年)がヤル気を枯渇させないでいてくれます。
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by karihaha | 2016-01-09 18:41 | ブログ | Comments(2)

少年N

今冬のチェンマイは例年に比べ暖かく、いまのところタイル張りの床の冷たさに耐えられず、靴下を穿いて過ごすということもない日々です。でも、お正月あけの1泊2日の小旅行では存分に『寒さ』を体感してきました。


行先はチェンマイから160kmほどのメーホンソン県にある、カレン族の村。 山深くにあるこの村は、知人を通して知り合った赤色ソンテウを運転している人の生まれ故郷です。
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好奇心からの旅行でしたが、朝晩の冷え込み {早朝7度}には隙間だらけの家を恨みに感じたり、冷水しかないシャワーに怖気づき水浴をパスしたりと、このような山間民族の人々の暮らしの厳しさをあらためて痛感したりしました。
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でも何と言ってもこの旅(?)の一番の収穫は、 気になっていた少年に会うことができたことです。

彼は前職の財団で働き始めて数か月後の10年前、受け入れた子供の一期生とも言える少年でした。いわゆる『崩壊家庭』で、アルコール中毒の父親と暮らしていた彼は、食事を近所の住人にめぐんで貰いながら日々を過ごしていました。財団で受け入れたあとはそのユニークな性格からタイ人、外国人を問わず先生方から愛され、中学も県内で2番目の優秀校に合格しました。

しかし去年の3月、人づてに財団を離れたと聞きました。その後は時折り電話で話していたのですが、今回の旅の目的地が、丁度彼が暮らす寄宿学校の近くだったため、同行した知人たちに無理を行ってお願いし、帰りに寄ってもらうことにしました。


短い時間の再会でしたが、 ようやく分かった彼の近況は思ったより悲惨なものでした。私も知る家族の全員がバラバラとしか言えず、彼はこの無償の寄宿学校での生活が唯一寄って立つところです。その点では少しMemeeと似ています。

そして財団を出された理由は彼の非行が原因だったようで、いまとなっては本当に残念なことです。財団にいれば少なくとも高校3年までは安泰に過ごせたのに。 幼いとは言えバカなことをしたものです。彼のユニークな性格が悪い方に出たとも言えるのかもしれません。
生活指導の先生は、「ここに来てから良くなってきましたよ」とおっしゃいました。私も実感として、この子がそんなに悪い子とは思えないのです。

「これからはメー(私)が支援するから高校に行けるようしっかりしないとね」


帰り際車まで送ってくれた彼の手をフト見ると、急な訪問で何も用意していない中、途中の村で買ったタイ焼き鳥ともち米をふかしたもののお土産を、被っていた毛糸の帽子にくるんで大事そうに両手で持っていました。なるほどねー、それだと温かいまま食べられるね。 

本当にユニークで機転の利く子です。
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by karihaha | 2016-01-06 19:04 | ブログ | Comments(0)