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エッ! 呉れるの?

下のエントリーを見たの? まさかね。タイ人だもんね。


同じ支援の受益者でも、母の日に連絡してくる子と、なしのつぶての子が居て、奨学生には「魚心あれば。。」で、評価を変えるかも、と冗談のように書きましたが、一昨日奨学生の一人、高校2年生のMimから連絡があり、訪ねて来たいとのこと。

そして昨日、遅ればせながらの母の日のプレゼントを持って来てくれました。 遅くなったのは道路の真ん中で倒れたあと学校を休んでいた(結局デング熱だったようです)のと、学校行事が重なったからとのことでした。
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何よりそんな気遣いをしてくれるのが嬉しい。

結局一緒に来た母親そっちのけで、1時間半も話こんでしまいました。 その内容は主に彼女の高校卒業後の進路です。 私からは以前から成績の良いモン族の彼女には医者になって欲しいと思っていたのですが、理科系は嫌いと、文系を専攻しているので、その選択肢もありません。

「メー(お母さん=私)は私が何を専攻したら良いと思う?」と聞くので、まずはチェンマイ大学にチャレンジして、出来れば食いっぱぐれのないであろう経済・会計がいいのではと言いました。

その間、実の母親は黙っています。 彼女はずっと民族服や、今日持って来てくれたバッグのような縫製で細々と生計を立てています。

       ↓ S生徒寮の子どもたちからの母の日カード
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Mimとの話が一段落すると、突如母親がトンでもないことを言い出しました。

「メーがいなかったら私はこの娘をここまで教育をつけさせることは絶対に出来なかった。 そこで、もしメーがずっとタイにいるのであれば、この娘を上げます」と。

彼女には3人の娘がおり、経済的に養育不能ということで、いずれも幼少のころから旧職を含む財団に預けました。 そして2人の娘はまだ財団に留まっています」

「私にはあと2人の娘がいるので大丈夫(!!??)です。メーが年をとって介護が必要になったときにはMimが面倒を見れます」

一方Mimも「私もそうしたい」と言います。 

「ウーン。 ありがたい話だし、嬉しいけど、なるべく介護が必要な状態にならないように注意するね」と言うのが精いっぱいでした。

子どもたちには冗談で、「私の将来は面倒見てや」とは言っているけれど、まさか本当にそんなオファーがあるなんて。。

彼らが帰ったあとも心がほのぼのとし、昼間あった日本人がらみの『イヤなこと』に悶悶としていた気持を洗い流してくれるようでした。

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by karihaha | 2016-08-31 19:36 | ブログ | Comments(0)

雨をぬってのチェンダオ詣で

月一度と心がけているチェンダオ周辺の支援をしている個人や団体への訪問ですが、今月はいつも進んで車を提供してくれている方が一時帰国中ということもあり、止めておこうとは思ったのですが、やっぱり気になる。 

そこで一計を案じて、これも支援先のS生徒寮の寮長に協力してもらうことにしました。 チェンダオまでは路線バスで行き、そこからは寮長の車で物資の調達や訪問をします。今回はS生徒寮がらみで知り会ったYさんも一緒でした。
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行ってみるとやっぱり色々な変化がみられることがあります。

高校3年まで奨学金を上げていたRaenuuがまたチェンマイに働きに行ったというのです。前回は卒業後3か月でギブアップしたあと、一旦帰ってきていたのですが、また仕事を見つけたのでしょう。

彼女には93才の祖父と軽い知的障がいのある母親がいて、経済的には本当に困窮しています。しかし、今回初めて知ったのは、隣の比較的立派な家は、母親の姉のものだということです。 それまでは親戚としか聞いていなかったので、それなら何らかの支援があってしかるべきだと思うのですが、全くないといいます。

私も彼らを5年ぐらい知っていますが、家の造作と言い、冷蔵庫の中身と言い、私以外の誰かがコンスタントにサポートしている風には見えません。 一時期奨学金をストップしたために、Raenuuの卒業証書をもらえない事態になり、慌てて授業料を払い込んだこともあります。

同行していたYさんが、「タイは家族の絆が強いと言うけれど、こんな家庭もあるんだね」と言ったこと、私も同感です。


ちょっと心が温まることもあります。

保育園の先生が、「Tさんの誕生日だよね。去年はケーキを買ってきてくれて、みんなでお祝いしたよね」と言いました。 

そんなことを覚えていてくれたんだ、と驚くと同時に、ちょっと焦りが。慌てて「何か欲しいものある?」と聞いた次第。 デング熱防止のために、子どもたちの昼寝用にカヤが欲しいそうです。 

ハイ、次回必ず持ってきます。

93才のおじいさん宅では冷えたパイナップルを一個もらいました。 庭でとれたそうです。

そして最後に寄った生徒寮では8月12日の母の日用に、子どもたち全員からカードが用意されていたらしく、それを受け取りました。

当日は数人の奨学生から電話やメールもありました。


連絡してこなかった他の奨学生たちよ、こんなことも君たちの評価につながることがあるんだよwww.

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by karihaha | 2016-08-28 17:43 | ブログ | Comments(0)

色々変わってあたりまえ

突如美味しいパンを食べたくなって、ホントーに久しぶりに、当地では美味しいパン屋さんとして知られている、タイ人と日本人カップルの経営するベーカリーに行くことにしました。

何故久しぶりかと言うと、パン派ではない上、どうしてもの時は、日本から苦労して持ってきたおもちもつけるホームベーカリーで、ナンチャッテパンを作っていたからです。

思い立ったが吉日。 不定期に盲人の生徒たちに教えている日本語の授業の帰りにくだんのパン屋さんに行ってみることにしました。


着いてみるとシャッターが閉まっています。 確か定休日は日曜日のはず。臨時休業なのか、それとも移転したのか? それなら何か貼ってあってもいいよな??


ガッカリしながら来た道を引き返していると、見覚えのある僧衣の青年と出くわしました。 日本語を教えているクラスの、健常者の青年です。

ダメもとで聞いてみると、『移転したよ』と、近くの新しい店舗に案内してくれました。


閉店間際、たった一つ残っていたパンを買ったあと、日本人の奥さんと思わず長話をしてしまいました。その中で話に出たこのベーカリーや、気になっていた日本人の方々の消息は、『そうだよな、やっぱり時代は変わっていくんだよな』と思わせられることばかり。今日の話の中ではタイ人をスタッフとして使う難しさも共有しました。

私も、5年半前に旧職を退いたときは事情を知らない日本人コミュニティーにかなりの衝撃を与えてしまったのではとの想像に難くありません。 でも何か神がかりのような形で知り会った支援者のTさんのおかげで、継続して活動を続けてこれています。


「今後は夫婦2人で細々やっていきます」とおっしゃった奥さん。

そうですよ。かく言う私も以前のマネージャー業より、いまの方がどれだけやっていることに充足感を感じられていることか。

お互い肩の力を抜いてがんばりましょうね。

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by karihaha | 2016-08-24 00:53 | ブログ | Comments(0)

8月15日

今年も8月15日がめぐってきました。

当地でも戦没者への慰霊祭が例年通り行われました。特にチェンマイはあのインパール作戦に従軍した兵士の方々の野戦病院が置かれ、無謀な作戦で貴い命を落とした方々の慰霊碑もあります。

そして8月15日には当地の有志による慰霊祭が3か所で執り行われています。

https://www.facebook.com/chiangmai.memorial/

例年であれば車の便もあり、郊外のバーンガトー高校敷地内での慰霊祭に出席していたのですが、今年は市内のムーンサン寺へ行くことにしました。 それも8月15日ではなく、前日の14日夕刻、人の居ない、静かな時間帯に行くことにしました。
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着いてみると、翌日のための準備がすっかり整っていました。 誰も居ないのではと思っていたのですが、準備委員会の方でしょう、2人の日本人がいらっしゃいました。


まず持参したお花やお供えを捧げます。 今回は朝作ったおにぎりもお供えしました。 

『白骨街道』と呼ばれた、兵士の死体が累々と横たわったインパールからタイへのルートです。さぞかし故郷の食べ物を渇望されていたでしょう。
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拝礼が終わっての帰り道、「今年もお参りできた」という小さな安堵感と共に、こんなに身近な場所にある慰霊碑に、これからはもっと頻繁に足を運ぼうとも思いました。

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by karihaha | 2016-08-17 17:11 | ブログ | Comments(0)

母の日

王妃様のお誕生日に合わせた当地の母の日。 タイ全土で祝われていますが、その中でも鉄板は学校での母の日でしょう。


Memeeの学校の母の日行事に参加してきました。 

8時半に着いてみると、父兄の数がチラホラと言う感じで、「あれ? 時間を間違ったかな」と思いつつも、マイクの声が聞こえる方向に進むと、講堂では全校生徒が集まっていました。


こちらには先生と生徒の姿しかありません。Memeeの姿を探すも1,000人からの制服軍団の中からは不可能。 丁度顔見知りの先生が入ってきたので聞いてみると、まず先生と全校生の儀式があり、10時ぐらいから中3と高3の父兄と生徒を対象の第2弾の儀式があるとか。

「またやられた―」

Memeeが連絡してくるときは校内の公衆電話や、友だちの携帯を使うのですが、電話代を気にしているのか、常に言葉が足らず、説明不足なのです。こちらは額面通りに受け取って行動すると、待ちぼうけということがしばしばあります。

今回も最初は8時と言っていたのが、早すぎると言うと、8時半でもいいよ言ってきた上のことです。


こうなったら仕方ないと、先生方に混ざって式に参加しました。 

大きな王妃さまの写真の前で拝礼し、代表がささげ持つお供えが次々並びます。 そして型どおりの献辞、国歌斉唱と続く生徒たちの舞踊のあたりで、他の母親たちが遠慮がちに集まってきました。
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生徒たちは100%山岳少数民族ですから、父兄の大半がそれぞれの民族衣装に身を包んでいます。

そして第2部はこの行事ではハイライトとも言える、母親たちへの感謝の儀式です。親たちは椅子に座り、子どもはその前にぬかづき、拝礼します。 その間、親たちは子どもの背中や頭をなでながら言葉をかけるのです。
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この頃になると大半の親子が泣いています。 

最後に用意してあった桶と水を使って、子どもが親の足を洗います。 これにはどういう意味があるのか? 深いことはわかりませんが、とにかく感謝の意をあらわすということは間違いないようです。


さてさて、このように淡々と書いていますが、今回ちょっとびっくりしたこと。それはMemeeが儀式のあいだ中、ずっと泣いていたことです。

回りに影響されたというのもあるのでしょうが、ちょっとでも思ってくれていたのなら嬉しいな。

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by karihaha | 2016-08-14 15:56 | ブログ | Comments(0)

電話

この間の日曜日に行われた国民投票は、軍政側に軍配が上がったようですね。 結果的に61%強の得票率だったようです。そこで前のブログのエントリーを少し訂正させていただきます。

タイは選挙権の行使は義務なのですが、今回の国民投票はこの限りではないらしく、任意だったようです。 そして北タイの投票率がダントツに高かったようで、それが反対派の票を押し上げたのかもしれません。


さて、その投票日の日曜日の夕刻、電話が鳴りました。相手は奨学生の1人、Mimの母親でした。

涙ながらに話す母親の話を聞くと、MimがN県立病院の救急で手当てを受けていると言います。 電話ではラチがあかないので、病院に行くことにしました。 とは言っても郊外型のソンテウはもう時間的に運行しておらず、通りに出て市内用の赤ソンテウをタクシー代わりに病院に急ぎました。

そこはつい前日Ahtitの甥の見舞いに行ったばかりです。

たまたま行った時間帯にはCT撮影に入っているとのことで、母親からゆっくり事情を聞くことができました。

「夕刻文房具を買いに大通りへ出たとき、車道で突然気を失い倒れた。 たまたま知り合いの人がそれを見て、母親に連絡してきてくれた。 あごを切っていて、先生によると頭部損傷の疑いもあるので、CTを撮ると言われた」

いつもは気丈な母親が何とも心細げに、「あの娘に何かあったら生きていけない」と涙声です。

しばらくすると、救急室に戻って点滴中のMimと話すことができました。 あごのけがは痛々しいし熱があるけど、ちゃんと話ができるので大丈夫でしょう。念のためということで、その夜は処置入院となりました。

本人は丁度女の子の日だったので、と言います。その上最近気づいたのはとても痩せていることです。想像ですが、無理なダイエットでもしているのでは?

しかしあの車の往来の激しい大通りで、無傷に近かったのは奇跡的でした。 それとちょっと印象的だったのは母親の取り乱しよう(人のことは言えませんが)。Mimとその妹のMaliを旧職の財団に預かって以来、10年以上この人を知っていますが、常にクールな印象しかなかったのに。。

翌朝7時前の母親からの電話は、脳にも問題がなく、10時ぐらいには退院出来るとのことでした。とりあえず大事に至らなくてヨカッタ!



そして今日8時前の電話はAhtitからでした。 それは電話を取る前にピンときた内容通りの話でした。

N県立病院のICUに入院していた彼の甥が息をひきとったと言うのです。

享年2才。

あまりに短く突然の命の終焉でした。

合掌

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by karihaha | 2016-08-10 15:54 | ブログ | Comments(3)

国民投票

日本では参議院に続く都知事選挙も終わり、まずはひと段落という感じですが、ここタイでは今日、軍事政権が起草した憲法改正法案に対する国民投票が実施されています(その内容は:
http://www.sankei.com/world/news/160330/wor1603300041-n1.html)。

さてさて、この結果次第では2014年5月以来の軍事政権が、来年の総選挙を経て民政に移管するとも言われていますが、どうなるのでしょう。


昨日、土曜日ともありグダグダと惰眠をむさぼっていると、Ahtitから電話がありました。 いまからチェンマイ経由で実家に帰ると言うのです。

いつものように最寄りのバス停で会いませんか?ということなのだろうけど、「もっと早く言ってよ!」。

でもこのような形(ドタキャンも含めて)で振り回されるのも慣れっこと言えば慣れっこなので、OKを出し、支度をしながら「なぜ今日?」とつらつら考え、「あ! 選挙!!」と思い至りました。


タイの選挙は住居登録簿 (タビアンバーン)に基づいた地域で投票するので、居住地に登録していなければその所在地までわざわざ出向いて投票します。 つまりちょっとした民族大移動が繰り広げられるのです。

大変だなーと私などは思うのですが、選挙権行使が義務であることとは別に、一般的に家族大好きなタイ人にとっては親・兄弟と会える絶好の機会なのでしょう。


結局、彼の甥がいまもICUに居るN県立病院で会うことにしました。ちなみに彼の甥はいまも意識がなく、子どもの両親(Ahtitの兄夫婦)は、昼間はICUの前、そして夜は病院の待合室でこの10日間を過ごしています。小児病棟であれば子どもに添い寝する形で、ベッドを共有出来るのですが。。

このような形で寝泊まりしている遠方からの親・親戚たちも多いのは、もちろんゲストハウス等の宿泊費をねん出できないからです。見たところ5日ほど前に比べ、母親は少し痩せた印象があります。


話は戻って、Ahtitはやはり投票のための帰省でした。仕事が休めないので、月曜日にはトンボ帰りしなくてはなりません。

ちなみに彼は確か今年の11月で18歳のはず? いいのか? 例えば年末までに18歳の人に参政権は与えられる制度なのかな?


「エー! 18歳!!」。

そうすると彼との付き合いももう11年になるんだなー。

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by karihaha | 2016-08-07 14:14 | ブログ | Comments(2)

15才

8月4日はMemeeの誕生日でした。

放課後をめざして学校に着いてみると、校門の守衛さんにストーップされ、訪問は週末のみと言われてしまいました。

「きょうは子どもの誕生日、そこを何とか」と泣き落とし戦術を使うも功を奏さないとなれば、Memeeの生活指導の先生に連絡してみると電話するも繋がらず。 持参したプレゼントの数々は置いていけば本人に渡すから、と宣告されてしまいました。

少額とはいえこの学校の生徒5人に奨学金を授与しているスポンサーにあんまりな仕打ち、と内心思いながら、最近とみに厳しくなった校則に思いをいたしたのでした。


保護者に対しては、面会は月1回。学校発行の身分証明書所持の保護者のみ。お菓子等の加工品の差し入れは禁止。食品の差し入れは当日調理したものに限る。


保護者にさえこれですから生徒たちにはもっと厳しい規律が求められ始めたのでしょう。そのことが原因かどうか分からないのですが、生徒たちの退学も相次いでいると聞きます。


結局粘り勝ちで、校門付近の守衛さんの目が届くところで待つようにと言われました。そしてほどなくしてMemeeが現れました。 本人はもちろん規則を知っていますからこの訪問は嬉しいサプライズだったのでしょう。
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まずは「ハッピーバースデイ」。彼女が6歳のときからですから、もう9年ものつきあいです。最初のころ、いや数年前までは本当に手に負えない子でした。実母が中度の知的障がいですから、その影響があるのかと心配したものです。 でも最近は見違えるように落ち着き、聞き分けがよくなってきました。

さて、本題の私立学校への転入希望の件です。結論から言うと、費用面からとても支援できない。高校3年までのあと3年、この無償の学校で頑張るべきだと言い渡しました。

彼女の本心は計りしれませんが、一応は納得したようです。


さて、帰途につく途中、先生から電話がありました。 その私立学校への編入担当をしている方のようです。生憎ソンテウの中で、騒音で話が出来ないからと言うと、ではまた後程という話になったのですが、「いやいや、その私立学校には授業料半額以外にさまざまな公的支援もありますよ」ということなのでしょう。

しかしその後は連絡がありませんでしたが、その件、Baanとの経験で十分知っているつもりです。授業料半額以外に、授業料と生活費の一部を返還義務のある奨学金として授与されるのですよね。

でもいまの学校では私の知る限りでは盗難は頻発しこそすれ、いじめ等はないはずです。Memeeには『我慢』ということを覚えて欲しいと思います。

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by karihaha | 2016-08-05 14:34 | ブログ | Comments(1)

子どもたち

Ahtitのおい
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昨日、出かける支度をしていると、Ahtitの姉から電話がありました。 

Ahtitとは頻繁に連絡を取り合っているけれど、姉からの電話は珍しく、何事かと取ってみると、「いまチェンマイに来ていて、おいが入院している病院に向かっているところ」と言います。姉によると、Ahtitの兄の子ども(2才)が危険な状態だと言うのです。

あいにく出かけるところだから会えない、と電話を切ったのですが、たまたまその後約束がドタキャンになり(タイあるあるです)、それならと病院に向かいました。

病院は懐かしいとも言えるN県立病院。ここでは10年以上前まで2年近くボランティアをしていたので、『勝手知ったる』です。

危険な状態と聞いていたので、小児病棟ではなく、ICUに直接向かうと、やはり一家が部屋の前で待機していました。

部屋に入ると、顔見知りの看護師が来て、詳しく病状を説明してくれました。簡単に言うと、脳死状態で今は人工呼吸器で息をつないでいるばかりで、もう手の打ちようがないとのことです。

7月28日にひきつけを起こし、最寄りのチェンダオ病院では手の打ちようがないということでN病院に搬送されてきたのです。 当日、朝両親が気づいたときから病院につくまで6時間が経過していたそうです。その間になすすべもなく、容態が悪化していったのでしょう。


Ahtitの実家には何度か行ったことがありますが、チェンマイーファンをつなぐ幹線道路から折れて一歩田舎道を入ると、あとは公共交通機関もなく、雨季には走行不能の道が続く、文字通り人里はなれたラフ族の寒村です。

チェンマイの田舎は数多く知っていますが、この村は僻地中の僻地の一つと言っても過言ではないでしょう。

『もし彼がチェンマイに住んでいたら、もし雨季でなかったら、もし日本のようにドクターヘリのようなシステムがあれば。。』

さまざまな『もし』が頭を駆け巡ります。



Buu
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先月末にチェンダオ詣でをした際、いつものようにBuuの様子も見に行ってきました。

家に入ると、これまたいつものように母親が彼女を抱いて座っているのが目に入りました。まるで彫像のような2人の姿。毎回変わることがありません。

Buuはもうすぐ6歳、知り合った最初のころ、まだ2・3か月の頃は両親共とまどいと困惑の渦中にありました。

ミャンマーから経済難民として流れてきて、それでなくても困窮している家計に生まれたBuuに困り果てていたのです。

その後も何度も何度も入退院を繰り返し、さすがの私も「もうだめか」と思ったことが何度となくありました。

でも6年近くたった今、Buuは家族の一員として、ふつうに両親や家族に愛される子どもの一人として暮らしています。

障がいがあろうがなかろうが、いくら経済的に困窮していようが、親にとっては変わらず愛しい子どもであることは、この家族が証明しています。

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by karihaha | 2016-08-03 21:25 | ブログ | Comments(0)

9年!!

写真のATMスリップは、先月末に振り込んだ奨学生の1人への後期分、最後の奨学金です。

Patと出会ったのは9年前、彼女が中学2年のときでした。 旧財団で小学生への奨学金選考のため家庭訪問したとき、彼女の腹違いの妹ではなく、中学生の彼女に奨学金を授与すると決めたのです。

モン族の7人家族の一家は父親を亡くしたばかりで、当時の住居と言えば建てかけで放置されたタウンハウスの一隅を不法占拠し、水もなく、トイレと言えば近所の公設市場付属のトイレをその都度お金を払って用を足すという生活でした。
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とは言っても財団の奨学金は小学生対象だったので、まずは中学までは個人的に支援、その後は財団に寄宿させ、財団内の仕事をしながら得る、少額のアルバイト代と私からの支援で高校生活を送りました。そして大学は再度個人的支援と償還義務のある政府系の奨学金と, つごう9年間の奨学生としての生活でした。

その間、成績こそ『素晴らしい』とは言えないまでも、生活態度や性格はまさに理想的な奨学生でした。

いまは大学卒業前の研修で、3か月間病院で実践的な訓練をし、その後は再び大学に戻り国家試験に備えます。すべてうまくいけば今年の12月には大学を卒業する予定です。


そして私からの奨学金も今回で終わり、あとは8月末に振り込む、友人から預かっている月2,000バーツの生活費支援4か月分のみになります。

長かったこの9年間。でも初心を貫き頑張ったPat(そして支援者のTさんと私自身)。 その日々を想うと感慨深いものがあります。

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by karihaha | 2016-08-01 15:20 | ブログ | Comments(0)