ボランティア?

11月に入ってからは恒例の奨学生への後期奨学金授与がてら、前期の成績を聞く作業がありましたが、やっとMemeeを含む8人の政府系寄宿学校学校を残すのみとなりました。この子たちはその寄宿学校に訪問し、一括で面接できるのでこの一連の作業も一段落ついたということになります、


嬉しいことに生徒たちは本当に素晴らしい成績を残した子供たちばかり。クラスで1番というのは普通(?)、学年順位でも2番の子を最高に1人の学習障がい児を除いて学年で1割以内の順位を維持しています。


私の奨学金の授与方法・金額は本人の境遇・年齢に応じて色々です。 授業料のみの子は学校から即領収書が出るので簡単ですが、特に高学年の子たちには一括で授業料を含む額を渡し、本人が管理した会計報告書を次の奨学金授与時に提出させています。報告書にはもちろん該当の領収書を添付する必要があるため、学生にとってはちょっとした手間かもしれません。

一応領収書は300バーツ以上の物件に、と言ってあるのですが、今回の面接で渡された全員の報告書にはもっと小額のものも律儀に添付してありました。以前はそんなことも出来ない生徒がいたのも事実で、やっと時間をかけて指導した甲斐がある、と成績とともに嬉しいことでした。



話は変わりますが、私のこのサイトは『ボランティアINチェンマイ』ですが、最近になってボランティアとは? と考えさせられることがあります。

ある日本語コミュニティー紙に、軍政権による外国人不法就労者に対する刑罰が厳しくなりなったこと。それに伴い無給のボランティア活動でも規制を強化するという内容の記事が載りました。

確かに無給のボランティア活動ではあっても労働許可証が必要というのは知っていますが、どこまでが規制の対象なのか? 私の場合はどちらかと言うとスポンサーシップ(タイ語で言うタンブン)に近い活動なのですが、それも範疇に入るのか?

スポンサーシップもだめとなれば私はかりではなく、いま短期・長期滞在中の一部のおじさま方にも大いに影響があるのでは(その意味はお察しください)。


そうかと言って支援途中の子供たちを放っておくことも出来ないので、防衛措置としてまずはこのブログを閉鎖しようかなー。



日曜日の昼下がり、車の少ない路上をいかにも重そうな荷物を押している老婆(?)に出会いました。リヤカーの中はダンボールや空き瓶です。 一旦は通り過ぎたのですが引き返し、「これで今日はもう帰って休んだらは?」と現金を渡さずにはいられませんでした。 「写真撮ってもいい?」と聞くと、「いいよ」とニコッと笑ってくれた彼女。 あのあと家に帰ったのかな。 

この『タンブン』も規制の対象? まさかね。
c0071527_1894763.jpg

[PR]
# by karihaha | 2015-11-24 18:10 | ブログ | Comments(0)

Tさんへ

あっという間に2015年も終わりを告げようとする時期になってしまいました。 Tさんはきょうは沖縄にいらっしゃるのでしょうか?

私はと言えば、相変わらずの日々です。変わったことと言えば先日バンコックでの所用があった帰りに、フト思いついて14年前の9月11日という忘れられないあの日から8ヶ月間ボランティアをしたエイズホスピスに行ってみたことでしょうか。 実に13年半ぶりの再訪です。短い時間でしたが、その年月を振り返る実り多い時間を持てました。

いまは抗HIV薬が無料で配布されるタイで、いまも存在するあのような施設。155人もの人々がHIV感染者ということを前提に、生活苦からの救済を求めて救いをもとめる者、それを「売り」に寄付を募る者。そんなことは百も承知の上(多分)で弱者に寄り添おうとするボランティアたち。

13年前に経験したことが基本的には何も変わっていませんでした。


ただ私はと言えば、たった一人いたスイス人ボランティアがされていることを見て、当時は自分も平気とはいえないまでもこなしていた日常業務を「引いた」気持で見つめていたのも事実です。

チェンマイへの帰りの夜行バスの中で、「もう一度あんなことが出来る?」と自問自答し、その問いはいまも続いています。しかしあの日から2週間。「出来る」という思いが確信になりつつあります。


あのとき出会った病める人々が命の最期の輝き、ともしびを光らせるように見せてくれた明るさ、達観とも評することができる言動。『死』を恐れぬ兵士でもなんでもなく、普通に暮らしていた市井の一市民が業病に襲われた。そして彼らの最期のときにそれぞれの生き様を見せてくれた。


1人の人間として宝のようなすごい経験をさせていただいたと改めて思わせられた再訪でした。
[PR]
# by karihaha | 2015-11-16 23:36 | ブログ | Comments(0)

センチメンタルジャーニー

先週末にバンコックでの所用があった帰り、フト思いついて14年前にボランティアをしていたエイズホスピス『プラ・バートナンプー寺』へ行ってみることにしました。

当時からいままで脳裏を離れない『強烈』な経験をしたそのお寺。まだ抗エイズ薬が一般的ではなかった日々では、毎日毎日患者さんたちが命を落とし、その過酷な現実の証人として8ヶ月間ボランティアを務めました。

14年前とは言え、お寺のあるロップブリへの道は意外とはっきり覚えていました。バンコックからミニバンで3時間、そこから市内のソンテウに乗り換え寺への側道に続く箇所で客まちするオートバイに乗り換えます。
c0071527_17283040.jpg


大通りから5kmほど行くと懐かしい寺が見えて来ました。8ヶ月間毎日通った場所です。日曜日だったこともあり、見学者がひきもきらないのも以前のままです。患者とおぼしき女性がガイドのようなことをしています。

私にとっては勝手知った場所ですから、ドンドン進んでみます。新しい建物がどんどん建てられているのに気づきます。当時もすでに充分すぎるほどの設備だったのに、その後も寄付にことかくことはないのでしょう。
c0071527_17291566.jpg

敷地が尽きるあたりで忘れられない建物が目に入りました。 ボランティア初日に入り、その光景に度肝を抜かれたホスピス棟です。 広いホールに左右に振り分けられたベッドがズーツと続き、薄暗い室内で横たわる人々の気配は消され、ただその独特の匂いがそこは『死』が支配する空間だと思わせました。

その棟もいまは倉庫に変わり、その奥の新病棟も使われていないとのこと。ではもう患者さんはいないのか? 抗HIV薬が出回っている現代にはこのような施設はその目的を発展的解消をしたのかもと思っていると、まだその奥、敷地の一番突き当たりに新しい建物が建っているのに気づきました。 患者(?)と思しき人々が外のベンチでくつろいでいます。
c0071527_17295540.jpg

近づいてみるとその建物が病棟で、広いホール式の空間をナースステーションを挟んで男女に分かれた病棟があります。 

「患者さんはいま何人いるの?」

「155人」

タイでは抗HIV薬が無料で頒布されているのです。それにも関わらず155人も! 14年前は確か200人程度の患者さん数と殆ど変わらない人々が!!


このお寺では抗HIV薬を処方しています。そしてその他の生活用品は食事を含め無償で提供されます。しかしその代償とも言える、以前感じた『動物園』の動物を見るような見学者の視線にさらされるのです。


そんな私に話しかけてくれた患者さんは、「中に入って見てきたらわ?」と屈託なさげに言います。以前もそうでした。 私の複雑な思いなど、厳しい現実の前ではただのセンチメンタリズムなのでしょうか?

「実は14年前にボランティアをしていたんです」と言うと、「その頃働いていた看護師がまだいるよ」と連れて行ってくれました。確かに顔なじみの看護師です。「もう16年も働いているわ」。という彼女とあの頃の話をタイ語でしているのに一種の感慨を感じる私。
c0071527_17304949.jpg

当時はタイ語が出来ず、瀕死の患者にも英語で対応をしていた私。患者さんにとっては苦しいときにさぞ迷惑な介護士だったでしょう。


私のセンチメンタルジャーニーの締めくくりは当時暮らしていたゲストハウスのあるダウンタウンあたり。タイ国鉄のロップブリ駅周辺に広がる街ではあのときのように夕方から店開きをする屋台が並んでいました。
c0071527_17313197.jpg
c0071527_17314548.jpg

毎日ホスピスから帰るとまずゲストハウスの部屋でシャワーを浴びて、その後は当時のボランティア仲間と夕食を求めてこのあたりをうろついたなー。


その後はそれぞれに人生の道を歩んでいる彼・彼女たちだけど、共有した経験は強く印象に残り、その後の道を決定づけた人もいます。

彼らに久しぶりに連絡し、今回の写真を見てもらうことにします。
[PR]
# by karihaha | 2015-11-11 17:35 | ブログ | Comments(0)

里親

もう10年以上前の拙ブログのエントリーに珍しくも(!?)コメントをいただきました。その詳しい内容についてはここでは伏せますが、主題は『タイでの里親の可能性』についてでした。

個別にお返事しようかとも思ったのですが、長くなりそうなので、ブログにアップします。

まずご希望は日本での里親の概念と同じく、子供を引き取って、タイ国内である程度の年齢まで育てたいということだと思います。

外国人がこのような活動をする場合はやはり当地の社会福祉局で許可を得る必要があると思います。以前と法律が変わっていなければ、子供6人まではグループホームと言い、財団等の正式な資格を取得しなくても預かることが出来るのではないでしょうか? 実際に当地でクリスチャンの女性がそのようなホームを運営されているのを知っています。しかし実際に子供を引き取って預かるとなると、このブログでも何度も登場している国立児童擁護施設の『ビィアンピンホーム』とタイアップしての活動となり、厳しい審査もあるはずです。

外国人が里親になっているケースはグループホームでなければ、私が知っている限りやはりクリスチャン組織のメンバーが、各家庭1人ないしは2人という単位で、将来的に海外に養子縁組をする予定の子供たちを数年間預かるというケースです。大半が英米人ですから、言葉の面での渡航後のメリットがあるという考えがあってのことかもしれません。

ただしこの組織は、タイの社会福祉局とタイアップして海外への養子縁組を扱う、私的な4団体のタイでの出先機関の一つの傘下にあり、それだからこそ可能なのかもしれません。


もう一つの方法としては個人的なコンタクトの結果、つまりある人に頼まれて預かるということが可能かもしれませんが、個人間の場合は出来れば弁護士に相談して法律的に問題ないのか、そしてそれが可能であれば本来の保護者と正式な書類を作るとかの自衛措置が必要不可欠だと思います。寡聞にしてはっきりとは言えないのですが、滞在許可書(ビザ)の要件に抵触しないかどうか、という点も気になります。
[PR]
# by karihaha | 2015-10-12 18:28 | ブログ | Comments(1)

秋休み

10月に入って各校バラバラにスタートした秋休みですが、今週からは全国的に休みになっているようです。10月3日にはMemeeが席を置く政府系の寄宿学校(スクサソンクロ)も休みに入り、全校生徒が3週間ほどの帰宅を許可されます。

いつも通りMemeeの電話で迎えに行くことにしました。今回は車を持つ友人に頼んで村まで直接送り届けることにしています。そしてその帰りにはMemeeの村から10kmほど離れたBoo宅まで行き、来年に迫った彼女の高校卒業とその後の進路について彼女がどう考えているのかを聞きに行き、最後にチェンマイ市内の双子宅へ行き、双子のPraeとPloyの小学校卒業後の進路を相談に行く計画をたてました。

c0071527_18195715.jpg

Memeeの学校に着いてみると、彼女が急に保護者会議があると言います。「聞いてないよー」といつも通りの彼女の言葉足らずを攻めたのですが、友人を2時間も駐車場で待たせるわけにもいかず副校長に直接交渉し、保護者会への欠席を認めてもらうことになりました。こんなときにも全校生徒1000人の中でもかなり勇名を馳せた(ネガティブな意味で)彼女の保護者として、態度の改善に貢献(?)していると思われている(らしい)メリットがあったのかもしれません。

Memeeももう15才。正直言ってもう少ししっかりして欲しいのですが。。

c0071527_18203340.jpg

途中久しぶりに会うBooやその後寄る双子宅への支援品を買い込み、Memeeの村へと道を急ぎました。この辺はいつ来ても緑豊かな素晴らしい環境です。

そして村に着き寄宿するおじ宅までの道で彼女の母親がフラフラと歩いているのに出くわしました。とたんに顔が曇るMemee。 この知的障がいの母親とMemeeには親子の情愛などは存在しないのだと改めて感じさせられます。

だからこそ私にとっては気にかかる子供だし、もう少ししっかりして欲しいと苦言を呈したりするのですが、まず第一に私自身が彼女の信頼を裏切ってはいけないと思っています。
[PR]
# by karihaha | 2015-10-11 18:27 | ブログ | Comments(0)

それぞれの進路

c0071527_1659293.jpg

Ahtit
Ahtitもあの闘鶏用の鶏の『お父さん』として働きだして早いものでもう3ヶ月になるそうです。
前回の一時帰国から帰ってからは彼に連絡しなければなー、と思っていたところタイミング良く電話がありました。

まず一番に心配なのはちゃんと仕事を続けているのかどうかということです。また泣きながら「もう辞めたい」と言ってくるのではないかということが常に頭にあります。しかし今回の電話は今月末から2週間ほど休みをもらって家に帰るというものでした。その期間中彼の実家のあるラフ族の村では新米を食べる儀式が次々と行われるそうです。

養鶏場では1人で鶏の面倒をみているため、一日も休みがないとは言え、働きだして3ヶ月足らずで2週間も休みを取るのはさすがにダメだろうと、「まず経営者に休みを取りたいが、何日間休ませてもらえますか」と聞きなさいとアドバイスしました。純粋ではあっても、まだまだ世間知らずの彼にはそんな助言をすることも大事なことだと思っています。

結局1週間の休みが下りたそうで、彼の職場から実家へのバスの乗り継ぎ地点である、私の住まいからも近いバス停で待ち合わせすることになりました。

聞いてみると月給は3千バーツ(1万円)で、その他には売れたときは僅かながらコミッションが入るそうです。その他に寮や食事は供給してもらっています。タイの最低賃金が一日300バーツということを思えばお給料が少なすぎる気がしないでもありませんが、彼自身が楽しんで働けるのならよしとしなければ。


見ると何やら大きなビニール袋を持っています。中身は実家へのおみやげなのでしょう。「お母さんにお金も上げないとね」と言うと、「分かっている」と答える彼は、昔から本当に母親が大好きな孝行息子です。

学習障がいのために学業を途中で投げ出しましたが、今回会ったときは、ちゃんと自分の足で歩き出したんだ、と思わせてくれたAhtitでした。
c0071527_170418.jpg

Taew
中学2年時に出会った彼女を支援して4年あまり、彼女も来年はいよいよ大学生です。大学への編入試験ももう間もなく始まります。

彼女の進路については何度か話し合ってはいたのですが、ここに来ての一番の問題は経済的なことでした。ビルマの難民として移り住んできた彼女の母親は二人の娘をタイで生みましたが、タイ国籍を取得することなくいまに至っています。

タイで生まれて18年、当たり前と言えば当たり前かもしれませんが、いまだにタイ人が普通に与えられる権利、つまり健康保険はおろか、通行の自由(郡と郡や県と県を往来する権利)も制限されています。

このような人々は普通、本人の意思というよりは親のニーズに合わせて、早い者であれば小学校卒業をまたずに働きはじめることも稀ではありません。ですからTaewが大学の門を叩こうとしていることなどは、本当に異例中の異例です。ですから尚更何とかしてあげたいと思い続けていました。

しかしTaewには大学進学の際にタイ人であれば一般的に授与される返還義務のある奨学金を借りる道は閉ざされています。このことがそのような立場の学生たちの進学率を極端に低くする要因にもなっているようです。このように私の奨学生の中では経済的に一番難問題を抱える彼女です。つまり他の奨学生たちは皆タイ国籍があるので、上記の奨学金を借りる資格があるのです。結果的に授業料と小額(月2千バーツ)の生活費相当の奨学金が借りられる、ということは、学業と最低限の生活は保証されているということです。

そのような事情ではTaewを大学に行かせてやりたいのは山々だけど、私の手に負えないかもしれないと思っていました。


そんな中、こちらで知り合った日本人の方から「誰か支援をしてもいいので紹介して下さい」という話が飛びこんで来ました。経費の一部でも支援をして下さったら、と一も二もなくTaewを紹介することにしました。

結果的にはTaewにとってはまさしく「足長おじさん」が出現することになったのです。オファーしていただいた内容は彼女が4年間の学業を全うするだけではなく、いま放課後、生活のためにしている日本食店でのウエイトレスのアルバイトを中断できるものです。近づく入試の準備が出来るようにという配慮です。目出度く大学を卒業すれば、タイ国籍取得の道も大幅に広がります。

今回のことはいままでのタイ国籍がないということでのさまざまな不便や障害にも関わらず、まじめに勉強を続けていた結果と言えば言えるのですが、いまは『ラッキーガール』が一番ピッタリする形容のような気がします。


さあ、あとは同じく来年には大学生になるBooと中学入試を迎える双子のPraeとPloyの進路です。彼女たちはどうするのかなー?
[PR]
# by karihaha | 2015-09-28 17:05 | ブログ | Comments(0)

飽きないなー。

今回の一時帰国は帰りに台湾の高雄に寄り一週間過ごしました。2,300万人の人口のうち、300万人弱が居住している、人口的には台北よりも大都会だとか。

帰りのフライトは台北に戻って超格安フライトを利用しました。V AirというLCCはシートセレクト、飲み物を除く機内食(内容は言わぬが花)そして20kgのチェックイン荷物代金込みで、何と3,080元つまり円では12,500円弱という信じがたい値段で、正直「大丈夫か?」と思ったのも事実です。案ずるよりは生むが易しとは言っても、チェンマイの上空にアプローチがアナウンスされると正直ホッとしました。


上空からのチェンマイの夜景はそれまで過ごした大都会とは全く違うボリュームのつつましい(?)明るさ。 「アー、チェンマイは‘田舎’だったんだ」と思わされた瞬間でした。 


でも面白いですよ、ここは。この数日間だけでも私としてはかなりツボの出来事が。。

仏さまの頭
無事チェンマイ空港に到着し、イミグレへ。順番になって係官の前へすすむと一番目につくところに、『お釈迦さまの頭をおみやげにするのは禁止』というポスターが貼ってありました。写真にはお釈迦さまの頭部だけの写真が添付されています。

一瞬「は?」と、すぐには理解できなかったのですが、多分頭部だけのお釈迦さまは不敬ということなのでは?? ちなみに仏像もある程度のサイズ以上(20~30cm)の国外持ち出しは禁止らしいですね。

無賃乗車
今日。 奨学生の1人に会うためにソンテウ(乗り合いトラック)に乗り込みました。旅行中に携帯が壊れて修理中のため、緊急の連絡がつかなかった彼女に直接学校に会いに行ったのです。

乗り込んだとたん20代とおぼしき青年が「今日はタダですよ」と言いながらパンフレットをくれました。TMB(軍隊銀行)のプロモーションで普段は20バーツの料金を支払うべきところを、銀行が貸し切って、利用者にはタダの宣伝だったようです。こんなことは長い滞在でも初めて。 降りるときには勿論「ありがとー」と大きな声で挨拶し、めでたく無賃乗車を終えました。


トラブルの渦中ではありますが、こんなことが心をなごませてくれます。
[PR]
# by karihaha | 2015-09-18 23:00 | ブログ | Comments(0)

一時帰国

たったの3週間足らずでしたが、一時帰国+台湾旅行を経てチェンマイに戻ってきました。

私は関西出身ですが、今回は東京を皮切りに浜松・名古屋・大阪・神戸そして山口という主に友人と会うためのハードスケジュールをこなし、戻ってきたこの2日間も朝目覚めると『今日の予定は』とばかりに自分の居場所がさだかではなく、なおかつ楽しく充実した日々を思って寂しさも感じています。


そして帰ってみてビックリの事態がありました。これもさすがタイというべき出来事なのでしょうが、いまはその対応に追われています。

知ったことが現実であれば、つらいことですが、やはりこのブログできちんと書くべきことと思っています。

私にとって最悪の事態ではないことを祈りつつ、でもある程度の覚悟はしてことに当たろうと思っています。

思わせぶりなことを書いてごめんなさい。でも、今回はこのブログをフォローしてくださっている方に個人的な内容ではあってもブログご無沙汰の理由報告をと思いまして。
[PR]
# by karihaha | 2015-09-17 23:01 | ブログ | Comments(0)

前回のエントリーから早2週間近く。その間も色々な出来事がありました。その一部はここに書くのをはばかられるようなこともありましたが、その中でちょっと嬉しかったこと。

昨夜もビールを片手に夕食中電話がなりました。

「メー(お母さん)いま家にいる?」

今年の春から私が以前働いていた財団を離れ、親元に帰った高校1年になったKannikaです。

「居るよ」と言うと、いまから訪ねてくると言います。こんな時間に何事だろうと「何か問題でも?」と思わず問いかけてしまいました。 もう少しポジティブな返答をすべきなんでしょうが、やっぱり心配が先にたちます。

1時間後、Kannikaが私の住むアパートに母親と一緒にオートバイに乗ってやって来ました。手にはなにやら大きな箱を持っています。

「母の日(8月12日)に持って来れなかったので、遅くなったけど」

思いがけないプレゼントは彼女の属するモン族特有の刺繍の入った生地でした。
c0071527_556817.jpg

「自分で刺繍したの?」と聞くと、「そんなに上手くできないから買ってきた」と恥ずかしそうに答えます。 思わずぎゅっと抱きしめてしまいました。

彼女と知り合って10年にもなろうとしています。子供だとばかり思っていたのが、もう立派にそんな嬉しい配慮をしてくれる女性になったんだな、と感慨深いものが。。


今日別の生徒の大学進学に関わる奨学金増額の面接が終わり、増額分のスポンサーになってくださる方とお茶をしながらの話の中で、その方は「なぜそれほどまでに情熱を持って出来るの?」と聞かれました。

そこで気がついたのは、子供が小さかったころは確かに「可哀想、何とかしてあげなければ」という一途な思いがあったと思います。でも成長するにつれ、その情熱’とやらは影を薄めます。思春期に入った子供たちは可愛いばかりではありません。扱いに悩む子供もいます。

でもKannikaやAhtitのように人間として大事な部分をちゃんと身につけた子供がいます。大学生のPatも前回にあったとき「メーのお正月用の服を作っているよ」と言ってくれました。モン族はお正月用に毎年長い時間をかけて刺繍の華やかな晴れ着を新調するのです。このことは半年ほど前にも言ってくれていました。「来年のメーの衣装は私が作る」と。彼女はつい先日もPayaoの大学に帰る前にもわざわざ寄って柿をことづけておいてくれました。


昔の『情熱』は薄れてきたかもしれないけれど、子供の成長に伴い生まれる『絆』を感じ、それが支えになる時期になってきたんだと思います。
[PR]
# by karihaha | 2015-08-29 05:35 | ブログ | Comments(0)

7月8月のいろいろ

c0071527_1625917.jpg
c0071527_1631685.jpg
昨日の終戦記念日、当地でも戦没者慰霊の式典がありました。チェンマイ郊外のバンカート中・高校の敷地内の一角にあの無謀な印パール作戦で尊い命を落とされた兵士の方々の内、1万8千柱を慰霊するための塔と鐘楼があります。

私自身は今年で3年連続で参列させていただいていますが、行くたびに異国の地で亡くなられた方々の胸中いかばかりだったかという想いで、胸をしめつけられるような気がします。 在チェンマイ総領事のご挨拶も今年の安倍談話を反映したものか、今までのように、『反省』、過去の行いが故の『痛恨の念』という言葉はなく、胸にストンと落ちる内容でした。

印パール作戦時に、豪雨や食糧不足で苦しめられたご英霊ですが、現地での苦境が容易に想像できる場所に身を置いている者としては、さまざまなイデオロギーや見解の相違があるのは承知しながらも、あの時代に生きた人々が歴史の大きな流れの場面、その渦中で命を落とされた、そのことを重く深く考える義務が後世の私たちにはあるのだと思います。


さてさて、前回のブログを書いた7月末から今日にかけて溜まった写真を見ていると色々なことをしたなー、と気づかされます。

奨学生たちは中間試験を経て、一学期の後半に入りましたが元気に登校しています。 今月は国王妃のお誕生日が8月12日ということもあり、その日は『母の日』に設定され、勿論国民の祝日です。今年は水曜日だったので、官公庁は一日だけの休みでしたが、これが木曜日だったら確実に次の金曜日も休みになっていたでしょうね。残念でしたねー(笑)。
c0071527_1635515.jpg
c0071527_1641655.jpg
c0071527_1643280.jpg

日本と違い、主だった国民の祝日の前には必ずと言っていいほどそれに関連する行事がありますから、母の日も勿論例外ではありません。8月11日には支援先の保育園や小学校でも開催され、母親たちが招待された上、子供たちからの感謝の儀式があります。

ずらっと並んだ母親の前で子供たちがワイをする姿は印象的ですが、母親がどうしても出席できない子供は先生たちが代理になります。私も何人かの子供のために駆り出されたりもしましたが、やっぱり寂しそうな顔をしているのを見ると、「何とかできなかったのかなー」と思ってしまいます。

支援をしている脳性マヒのBuuの母親も彼女の姉のため小学校に来ていました。「あとで(自宅へ)行くよー」と声をかけるとニッコリ笑ってくれる。夫がらみで色々あるけど、最近は落ち着いているのかな?
c0071527_167235.jpg
c0071527_1672931.jpg
c0071527_1674260.jpg

保育園・小学校と式典に参加したあと、約束どおり集落へ行き、粉ミルクや僅かばかりの現金を届けます。私の姿を見るとワーッと集まってくる子供たちのお目当てはお菓子です。

今回は初めてお隣の家(?)の中を見る機会がありました。 母親の妹一家が暮らしているのだそうだけど、驚いたことに一部屋だけのバラック作りを間仕切りを挟んで2家族・9人が暮らしているのだとか。これだけ見ると、お隣のBuuの自宅が贅沢に見えてくる。。。 

去年は一時期薬物で服役していた父親ですが、今回会ったときははシラフのようで、日雇い仕事や農作物の話が聞けたのはなによりでした。だから母親の表情が明るかったのかな?




7月末にはカオパンサー(入安居)の帰宅許可が出たMemeeを送りがてら、村のおじ宅へ行ったのですが、たまたま実の母親と出くわしました。おばによるとこうして毎日のように食べ物を求めてやってくるそうです。

母親の姿を見たMemmeは一瞬で顔を曇らせ、母親に話しかけようともしません。母親もぼんやりと彼女や私たちをみるばかりで一言も発しません。 以前にも書きましたが、母親は知的障がい者で、いままでも彼女の扶養を果たしたことはないのです。それゆえにこの親子には情愛を育てるという日々もなかったのでしょう。
c0071527_1692574.jpg

Memeeには他に3人の兄たちがいますが、ことごとく問題を抱えていて、3人ともこのおじ夫妻に世話になっています。 つまりMemeeがこの一家にとり唯一『まとも』とも言える道を歩んでいることになります。

久しぶりに話ができたおばは「早くMemeeが成長して家族を養って欲しい」と言います、私もその場では話を合わせてはいたのですが、帰りの車中友人には「学校を終え独立したら出来るだけ遠くに行って彼女自身の人生を切り開いて欲しい」と思わず本心を明かしていました。

8月4日はMemeeの15才の誕生日でした。こころばかりのプレゼントと小さなケーキを携えて学校へ行きました。平日ですから教員室で少ししか会えなかったのですが、居合わせた先生方は口を揃えて「いい子になった」と言ってくれます。大勢の大人たちの間でいかにも恥ずかしそうな彼女です。
c0071527_1612146.jpg





ジョムトンの養鶏場で働き始めたAhtitからは何度となく電話があります。「いつか暇を見て会いに行くね」といい続けて1ヶ月後、やっと実行してきました。

ジョムトンの郡役場からほんの数分のところに彼の職場兼下宿がありました。下宿は家具もないがらんとした部屋に僅かばかりの身の回の品が床にそのまま置いてあるというわびしさですが、挨拶に来てくれた雇い主が恐縮したように、「これから序々に整えていきますから」とおっしゃいます。いえいえ、Ahtitの実家を知る私にとってはこの部屋は立派なものですよ、と思わず言いそうになりました。

余談ですが、最近結婚した彼の姉と夫はAhtitの実家で暮らし始めたと言うので、「エッ、あそこで!?」と言うと、「うちの方が旦那さんところよりマシだから」と。 Buu宅と言い、Ahtit宅と言い上には上があるものです。。。

c0071527_16131235.jpg
c0071527_16133064.jpg

行ってみて分かったのは彼の仕事は食用の養鶏ではなく、闘鶏用の鶏を育てていることでした。雇い主によると、以前は自分が役所仕事のかたわら細々とやっていたのを、Ahtitが来てから大幅に拡張したとか。見せてもらった孵化器にもたくさんの卵が並んでいました。

「ヒナが結構死んでしまうので、この餌とこの薬を混ぜて」とか「これが一番強いオスなんだよ」と一生懸命説明してくれる彼に、「責任重大だね」と言うと、本当に嬉しそうな顔をしました。

この春にやめてしまったお寺の中学校では「仏教経典を読むためのパリ語がまったく読めず、書けず、下級生にも追い越されてしまった」といまでは明るく言いますが、あの時涙ながらに「学校を辞めたい」と言ってきた時は、よほどつらく悔しかったのだろうと思います。

「また休みができたらチェンマイに出ておいでよ」と言うと、「休みはない。居ないと鶏たちが飢えるよ」と言います。

心優しく、でも学習障がいというハンデを抱える彼にとってはいい職場だとは思うのですが、1人っきりで、相手と言えば鶏だけという生活にいまは満足していても、たまには息抜きをして欲しいと思います。



ジョムトンからチェンマイへの帰りは、10年以上前に出会ったHIV感染していた孤児セームをジョムトン病院に入院させたため、週2から3回のペースで見舞うのに利用していたのと同じバスに乗り合わせました。もともとジョムトンに行く機会があまりないため、このバスに乗るのも本当に10年以上ぶりです。

最終的にHIV感染児のための施設Aホームでお世話になることができましたが、6才で出会った彼もいまでは16~17才の青年です。「長い間会ってないなー、久しぶりに会いに行ってみようかなー」と感慨めいたものを感じながらの帰り道でした。
[PR]
# by karihaha | 2015-08-16 16:27 | ブログ | Comments(0)

カオパンサー(入安吾)と4連休

遅れに遅れていた雨季らしい雨がこの10日間ほどはかなり連続的に降っています。

でも雨とは言え、雨季特有の突然のバケツをひっくり返したようなスコールではなく、一日中どんよりとした曇り空に、まさしく『しとしと雨』が降るという状況です。でもこのおかげで一時とりざたされていた『水飢饉』の心配は遠のいたようです。

一安心と思っていたら、タイ・チェンマイ郊外のメーテン郡にお住まいの人気ブロガーチェンマイ・田舎・新明天庵だよりさんによると、今度は今週一杯の天気予報では洪水・山崩れをもたらしそうな大雨に見舞われるかもしれないとのこと。これで確かに水不足が大幅に解消されるかもしれないけど、今度は水災害が心配されています。


そして今週末には仏教関係の国民の祝日が続きます。30日の木曜日は『三宝節』そして31日は『カオパンサー(入安吾)です。雨季のこの時期仏教僧が外出して芽生え始めた新芽や小動物たちを踏んでしまわないよう、およそ3ヶ月間のあいだ寺にこもり修業に励むのです。

当然官庁・学校・会社は日曜日まで4連休になります。実感として「またか!」という感じを否めません。国民の一般的な祝日以外に政府が突然「じゃついでにここも休んでしまおう」とばかりに、前後の平日が休みになることが多いのです。その恩恵を受けるのは勿論第一に公務員と学生たちで、市場や個人商店の人たちはそんな『贅沢』はゆるされないとばかりに通常営業をします。

余談ですが、個人的に祝日特に仏教関係の休みでとーっても困るのは、アルコール類の販売が禁止されることです。今週は2日連続なので、忘れないでストックしておかなければ。


今回は学校も4連休なので、いま面倒を見ている子供たちにも影響があります。自宅で親や親戚と暮らしている子たちは問題ないのですが、今年からある財団にお世話になりだした、Nok, Maai, Namuuや政府系の寄宿学校にいるMemeeたちも家に帰りたいだろうと思っていました。短い休みですから勿論それぞれの場所で過ごしてもいいのですが、周りの友達が自宅で過ごすとなると帰りたいのは当然です。

そんな時、Nokからの電話で盲腸で入院していると連絡がありました。飛んでいくと、遠いメーソットから実の父親と育ての母が来ていました。彼女の実の母はいまも刑務所で服役しています。
話の中で退院後は妹のMaaiも連れて帰り、休み明けにチェンマイに連れ戻すと言い、同じ財団にいるNamuuはチェンライのおじが迎えにくると聞き、これで3人はOKです。

残るはMemeeです。彼女はここにも何度も書いていますが、性格的に時にはどう対応すればよいのかと途方にくれさせらるような子供です。財団にいるときも色々な問題行動を起こし、最終的には他の子供のために手放さざるをえなかった事情があるのですが、この5年近くは私が1人でフォローアップをしています。

6月に訪問したときも一悶着があり、もう中学3年生にもなるのだから、何か言ってくるまで放っておこうと態度を決めました。常に気にはなっても、彼女に少し考えさせる良い機会かもしれないと思ったからです。

するとやはり昨日学校の公衆電話を使って連絡があり、今週末家(親戚の)に帰りたいのだけど、と言ってきました。彼女の学校は保護者が迎えに来ないと外出できないのです。

「水曜日の午後に迎えに行くから」と行って電話を切りましたが、さてさて本当に考えてくれたのでしょうか? 
[PR]
# by karihaha | 2015-07-26 17:20 | ブログ | Comments(0)

奨学生いろいろ (2)

今学期から支援を始めたリス族の M 。高校2年生とは言え、就学自体が2年遅れなので今年はもう19歳です。彼女からは支援を開始して以来一月に一度の割合でメールが届きます。昨日届いたのは;

『メー(お母さん)お元気ですか? 私は元気にやっています。勉強もメーの‘子供’としていつも通り変わらず頑張っています。もうすぐ中間試験ですが、前回同様クラスで一番になれるよう努力します。近々お会い出来ますよう』


いまは20数人を数える奨学生の個性は、当たり前のことですがさまざまです。中には双方の気持ちが通じ合わずジレンマを感じる子もいます。でも、MやAhtit、今年から大学3年生になるモン族のPのような子供に接すると無性に嬉しくなります。

奨学生のうち、3人姉妹の支援をシェアしてくれているlベトナムで教師をしているイギリス人の友人が、いみじくも昨日メールで「まだ小さなこどもたちは貴女のしていることをよく分かっていないのかも知れないけれど、将来はきっとその有難味に気がつくよ」と言ってくれました。

そうかも知れません。 Mのメールはもう少し頑張ってみようと思わせてくれます。
[PR]
# by karihaha | 2015-07-24 08:10 | ブログ | Comments(0)

あるボランティア活動

チェンマイでは以前に比べて少なくなったとは言え、まだ個人・団体ベースのボランティア活動が盛んです。タイでも特に北タイに活動が集中しているのは、ビルマ(ミャンマー)に隣接し山間少数民族の流入が多いということがあるのではと思っています。

c0071527_17484943.jpg

そんな中、私のシンガポール人の友人Aはちょっと変わった(?)活動をしています。彼女とは支援先のチェンダオにある保育園で知り合ったのですが、その後チェンマイに活動の拠点を移し、精神障がい者の施設の職員や中学生に英語を教えていました。そして最近になって当地のお寺に併設する中・高校生のお坊さん見習いに英語を教えていると聞き、授業を見せてもらいに行きました。

生徒たちはお坊さんとは言ってもまだ得度しているわけではなく、タイでは一般に家庭の経済的事情で勉強が続けられない少年たちの、政府系寄宿学校(主に山間少数民族)や財団が運営する学生寮と並ぶ選択史の一つです。勿論女子にはこの門戸は開かれていません。

得度していないとは言え、戒律は遵守されていて、早朝や夕刻の座禅や祈りは普通のお坊さんと一緒です。特に昼12時以降の食事の禁止(水分はOK)が子供たちにはきつい戒律でしょう。


Aの授業は規定の授業が終わったあとのクラブ活動という感じです。でもクラブ活動とは言ってもなかなかの出席率です。普通校のように授業のあとは飛んで帰り、その後は自由に過ごせるというわけでもないせいでもあるのでしょうか。 Aは年齢別の2クラスを、毎日3時間ほど教えています。聞いているとむつかしい文法ではなく、おもに簡単な会話を反復することででクラスを盛り立てる工夫をしていました。


授業後に聞いた笑い話のような生徒の逸話;

Aの友人の英国人が1人の生徒に、’Can you speak English?’と尋ねたそうです。するとその生徒は ‘Yes, I can, and you?’と答えたとか(笑)。
[PR]
# by karihaha | 2015-07-17 17:49 | ブログ | Comments(0)

雨とAhtit

昨日・今日とチェンマイ市内でもやっと雨季らしい雨が降っています。 本来ならソンクラン明けからボチボチ振り出す雨がおよそ2ヶ月遅れでやってきたのでしょうか? その間各地で危機的水不足が叫ばれ、私の支援先でもため池を水源に畑を耕している農家や、田植えが出来ず野菜やとうもろこしに切り替えざるを得ない農家が悲鳴をあげています。


そんな中、以前の奨学生のひとりAhtitから電話がありました。 彼は隣県のお寺に付属する中学で1年間学んだあと、学習障がいゆえドロップアウトし、山の奥深い実家へ帰っていきました。

久しぶりの電話はチェンマイ郊外の仕事が決まりそうだから、翌日チェンマイに出てくるというものでした。 村の位置がら電話での連絡も難しく、それでは会って話そうということにしました。。


翌日約束どおり会った彼は少しやせたような印象です。聞いてみるとやはり彼の村も水不足に苦しんでいて、予定している作物の作付けが出来ない農家からの日雇い仕事もないので、母親との暮らしを賄う収入が絶たれてしまっているとのことです。


新しい職場は養鶏場で、「大丈夫?」と問う私に、「動物が好きだから」と短く答える彼。養鶏場ならむつかしい計算とかは要求されないだろうから、大丈夫かもしれない。

前日の電話では少しお金を貸して欲しいと言っていたので、職場へと向かう彼に「いまお金はいくら持っているの?」と聞くと、「母親が200バーツ(750円)くれた」と答える。いくらなんでも給料日までの1ヶ月間をその金額では。。


出発を見送って2時間後、「いま着きました」と電話がありました。私からは指示していないのに、そんなこともちゃんと自分の判断で出来る礼儀正しくて心優しい子供です。彼のハンディはハンディとして、職場の方々にも彼のいいところを分かってもらって、根気よく助けてあげて欲しいと心から思います。
[PR]
# by karihaha | 2015-07-09 16:35 | ブログ | Comments(0)

これでいいのか?

タイ正月明けの5月初旬以降雨が降るのが普通です。それでもこの2ヶ月近く例年の豪雨がないという状況のチェンマイです。

心配が募ります。 農民が大半を占める支援先はあと3ヶ月後には予定している収入が本当に手に入るのでしょうか? 

雨雨ふれふれ。
[PR]
# by karihaha | 2015-07-05 02:58 | ブログ | Comments(0)

奨学生いろいろ

6月も中旬を過ぎ、新学期が始まって1ヶ月が過ぎました。 奨学生との面談や保護者会、家庭訪問も昨日全員が終わり、ひとまず一段落です。

                 ↓保護者会風景
c0071527_19133216.jpg

c0071527_19155490.jpg

奨学生の内、今年の新学期からチェンマイのNGO関連の養護施設に受け入れてもらった少女3人、チェンライの施設に移った少年1一人、卒業生2人、学校の勉強についていけずドロップアウトした少年1人、合計6人が奨学生のリストから外れ、逆に前職の財団を離れ母親の元に帰った少女と、以前チェンダオの中学で支援していたものの、卒業を機にリストから外れた少女Mが新たに加わりました。


この少女Mは実は高校も継続して支援するつもりだったのですが、学校側が他の財団を紹介したということで、それならといつからともなく忘れていました。それがつい最近卒業校の先生と偶然街で会ったとき、3月にあった彼女にとっては1期後輩の卒業式で私を待っていたというのです。 実はその日は参加を予定していたのですが、後になって別の用事がもちあがり、都合でキャンセルした経緯があります。


そして6月に入ってから同校を訪問したとき、思いがけずそのMが私を待っていました。 当日は高校を休んでまで面会を希望していたのです。

話を聞いてみると、確かに海外のNGO財団から奨学金を受けとっているが、それは授業料と交通費だけで、昼食代やその他の教材費や諸々の学校関連の出費は母親に頼まなければならず、母親からは学校を辞めるように言われていると訴えます。

リス族である彼女の実家は、とうもろこしや農作物の栽培で生計をたて、身体障がい者の姉を含む家族全員が小屋のような家に住む実家は、典型的な貧農と言えるでしょう。そんな家族や集落の人々にとり、公立高校に通うMは特別な存在なのです。そして彼女はクラスで一番の成績を誇るがんばり屋さんでもあります。

これからどんどん奨学生も大きくなり、将来的には支援額の増額を考えなければいけなくなる中、奨学生の人数を絞らざるを得ないと思っていたのですが、結局Mにはとりあえずはあと2年間、高校を卒業するまでの支援を約束せざるを得ない気持になりました。
c0071527_19164025.jpg
 
c0071527_19171172.jpg

私をそのような気持にさせたのは、何よりMの積極性があります。なんとしても勉強を続けたいという熱意が伝わってきたからです。生徒会長に選ばれるような素質もさもありなんと思わせられたのです。そしてその後の連絡も頻繁に取ってきて、すべてはスムーズに進んでいます。これは長年のタイ生活の中でもかなり稀有な経験です。

正直言って奨学生の中にはありがたみが分かっていない、つまりは口を開けていれば何か落としてくれると勘違いしているんではないのか、という子供もいます。しかし年齢を重ねるほどMのような生徒が増えてきて、こちらも『義を見てせざるは』という気分にもなります。

Mはその中でも傑出した素質のある、支援しがいのある生徒です。
[PR]
# by karihaha | 2015-06-18 19:27 | ブログ | Comments(0)

晴れて保険加入

新学期が始まってはや3週間。登下校時の交通渋滞は相変わらずです。その間私もやっと新年度の奨学金授与のための学校訪問と個人面談を90%ほど終えることが出来ました。 前年度の奨学生のうち、卒業や環境の変化で何人かがドロップしたり、新たに受け入れた子どもがいたりで、いつものことながらちょっとした決断を強いられる時期です。

                      ↓ 山の生徒たちからの贈り物。
c0071527_17164121.jpg
 

そんな中、今度は奨学生の保護者の支援で奮闘(?)することになりました。 保護者と言えば食料や生活用品を定期的に支援しているケースはいままでもあるのですが、この母親の場合は健康保険に関して支援の手を伸ばすことになったのです。

彼女の就学中の3人の娘のうち、2人は奨学生です。 家庭訪問の際、いつも通う病院の医師からきいた話として、タイで出生したにも関わらずなんらかの事情でタイ国籍がない人達に健康保険制度に加入する資格を与えるという法律が、4月の国会で可決されたというのです。

母親は長年喘息に苦しみ、毎月病院通いですが、カレン族として生まれてすぐに児童養護施設に引き取られたため、いまにいたるまでタイ国籍がなく、医療費のすべてが実費になり、それが原因で貧しい家計をさらに困窮させています。

私も早速ネットや医療関係の知人に問い合わせたり、県庁にある社会保険事務所に行ったりしたのですが、どうも要領を得ません。 具体的にどこで申請すればいいのか、必要書類は何なのか等がはっきりしないのです。
c0071527_17173023.jpg

タイ語の読み書きができない母親と外国人の私では心もとない限りですが、もうこれはかかりつけの医師に直接聞くしかないと、母親と共に病院に出向きました。結局思った通りここでもたらいまわしにされたあげく、やっと担当者とおぼしき人と話ができました。でもどうもこの法律がまだ発布されていないような様子で、要領を得ません。

それでもねばっていると、娘はタイ国籍かどうか、であるなら娘の戸籍謄本と身分証明書を持ってくれば保険加入ができると言います。その上「お金はあるの?」と言ったのですが、1年で2,800バーツ(1万円)は彼女の家計では苦しくても、支援することで家計からの医療費負担は限りなくゼロになります。血液検査やレントゲン検査等の手続きも終わり、彼女は晴れて健康保険に加入できました。

ひとまずはホッとしてはみたものの、こんなことならもうずっと以前から加入できていた筈なのに、と釈然としない気持も残ります。 何はともあれ当たって砕けろと出向いた成果があったのは嬉しいし、これからは母親も医療費に頭をなやますことなく治療を受けられる。 

その日の夕刻のビールがひときわ美味しかったのは言うまでもありません。
[PR]
# by karihaha | 2015-06-05 17:17 | ブログ | Comments(0)

新学期

長い長い夏休みが終わり、今週から新学期突入です。それと同時にどうも雨季が訪れたようで、この2・3日は南国特有のザーッとした雨が続いています。

それにしても今年の夏は暑かったー。 毎年言っているような気がしないでもないけど、今年は特別のような気が。 近年ひどくなってきた山焼きの煙害は2月から3月中旬まで続き、そのあとはこの炎暑と、なんだかチェンマイもあまり居心地のいい場所ではなくなってきたなー、という思いがしきりにします。


この夏休み中は3人の女児の新しい落ち着き先を見つけるのに奔走しました。 私としてはかなり居住条件の良いところ(財団)に住処を見つけて上げられたと思うのですが、さて子供たちの想いはどうか、と次々に心配事が絶えません、 まあ、少なくとも困り果てていた服役中の母親や、急に引き取らされた遠戚の保護者たちには大感謝されているのですが、やっぱり一番影響を受けるのは子供たちです。 新学期になって早速学校に会いに行った限りでは皆そこそこ元気でやっているようです。

まあ生活環境に慣れるのは時間がかかることかもしれないけど、まずは安全で衣食住の保証がある場所であるということを自覚して欲しいなー、そこから最スタートして欲しいなーと思いっています。


そして新学期になると、恒例行事の一つが奨学生やその保護者との面談です。前期の成績表を受け取るのと、生活面での問題がないか話合いの場を持ちます。その中の一人に3人の少女と同じくもとの職場の財団に居たあと、母親のもとに帰った新高校1年生の女の子がいます。 彼女も8年間の財団生活のあと、世間の『荒波(?)』に放たれたわけですが、現実社会適合へのリハビリも順調のようで、一安心です。 モン族の母親と3番目の主人との間には色々と問題があるようですが、もう16才、そして頭の良い子ですから彼女は彼女の人生をしっかり前を見て歩んで欲しいと思っています。
[PR]
# by karihaha | 2015-05-22 15:53 | ブログ | Comments(0)

NokとMaai

ソンクランが明けてすぐ、チェンマイからおよそ400キロ離れたモン族の集落に住む姉妹を訪ねてちょっとした小旅行をしてきました。片道8時間のバスの旅です。

彼女たちとはまだ前職に就いていたときに出会い、財団で引き取ることにした経緯があります。家庭環境は、モン族特有(?)の一夫多妻を容認している環境で、父親は少女たちの母親を第2夫人にしました。第一夫人と同じ敷地の別棟で暮らしていた母親は出会う数ヶ月前に薬物売買の罪で拘束され、いまもチェンマイ刑務所で服役しています。父親はそれ以前に捕まっていたため、少女たちとその弟の3人兄弟は第一夫人の庇護のもとに暮らしていました。これもモン族の慣習で男の子を重用する中、最終的に女の子たちだけを引き取ることになりました。弟は第一夫人のもとに残ったのです。

あれから6年、10才と12才になった少女たちが財団から3年前に出所していた父親のもとに帰されたと聞きました。来期は小学校5年と6年という中途半端な時期、まだ服役中の母親は出所しても父親のもとには帰らず、チェンマイの姉宅に身を寄せるとかねがね聞いていたことを考えると、何か特別な事情があったのだと直感しました。


父親と第一夫人との話で危惧していたことが現実になったのだと分かりました。大人同士の行き違いで、財団から子供たちが‘追い出される’ことになってしまったのです。いままでも色々とあまり芳しくないうわさを耳にしてはいましたが、今回はどう考えても財団の行き過ぎの行為です。大人同士の『ケンカ』に子供が巻き込まれてしまっています。 財団は親族と一緒にいられるメリットを強調したらしいのですが、母親の気持を考えると、あと数年で出所した時点で親子が離れ離れになる要素をはらむ決断です。

そして少女が村に残るということは、モン族の風習、早婚・出産の危険にさらされるということです。その他に村全体が麻薬汚染地帯としていわゆる『レッドゾーン』に指定されていることも大きな不安要素です。

話し合いの結果、少女たちがチェンマイに戻ることに同意してもらえました。一番の難題は彼女たちの落ち着き先ですが、Namuuが身を寄せている財団で引き取ってもらえることになり、学校も復学を認めてもらえました。


今回訪問して分かったのは、たとえ父親と第一夫人二人とも少女たちを愛しているとは言え、経済的な問題で少女たちの存在に困り果てていたのが明らかでした。そして実の母親も出所後新たに生活を構築していかなければならない現実の前では、少女たちを過不足なく養育するのは困難でしょう。だからこそ余計に、少女たちが今後10年近くを幸せに暮らせる環境に身をおけるよう、いままでのように大人の都合に振りまわされる人生とは一線を画させてあげたいと思っています。
[PR]
# by karihaha | 2015-05-03 18:13 | ブログ | Comments(0)

タイ正月

c0071527_21422025.jpg
タイ正月がいよいよ始まりました。そして切っても切れない、『水掛け狂奏曲』も。

このソンクラーンの水掛けが楽しみで、楽しみでという長期滞在者に寡聞ながらまだ会ったことがありません。私も勿論『大つ嫌い!!』の一人です。一番嫌なのは近年益々過激化してきていること。水を突然ザッバーンと掛けられるのは仕方ないにしても、その水が氷水だったり、薬品臭がしていたり、どぶ臭かったり。

経済的に可能であればタイから脱出するという手段もあるのですが、私の場合は例年通り引きこもりぐらいしか対抗手段がありません。そうは言ってもいつもやっぱり何気に水を掛けられてしまうのですが、今年は水被害ゼロを目指します!

とは言っても日ごろからお世話になっているタイ国、誰に頼まれた訳でもないのに、好きでここまで長期滞在を続ける外国人がとやかく言えることではないのかもしれませんね。

 ↓水をかけないでーのアピールは車のペインティング。最近はなかなかユニークなモチーフも出現。
c0071527_21443537.jpg



話は変わり、先週Namuuが移った財団に初めて会いに行きました。 驚いたことにたった3週間会わなかっただけで、体重が増えたのが分かります。 顔全体の表情も太ったからだけではない自然さで溢れています。 もう本当に一安心です。でも、私と財団のスタッフの感想で一致したのは彼女が無意識に過去を忘れようとしている素振りが見受けられることです。

今までの2年間と財団に移ってからの環境の変化は、小学生の子供には短期間では消化しきれないに違いありません。これからは心安らぐ場所で、時間をかけて心の傷を癒して欲しいと思います。


そしてソンクランが明けるとすぐに、いま取り掛かっている、幼い姉妹たちの問題の解決の糸口があればと、彼女たちを地方に訪ねていきます。 ちょっとした小旅行になりますが、久しぶりに会う彼女たちとの再会が楽しみです。
[PR]
# by karihaha | 2015-04-14 21:45 | ブログ | Comments(0)