タイは非常事態宣言が継続されているのは、皆さまご存知のことと思います。
新規感染者がこのところ毎日一桁を更新していますが、今後のために用心には用心を重ねてのタイ政府方針も十分理解できます。 しかし、個人的な立場から言えば。。 過日、親族が亡くなったという報に接しました。でも帰国はかないません。 いつ何時そのような状況になることもあろうか、と言うのは覚悟の上の海外生活ですが、自由意志ではなく、どうしても帰れないという経験してみると、なおさら今の【異常事態】を痛感させられます。 このような経験をしたのは、海外在住者の方々の中では私だけではないとは思います。 日本は本日緊急宣言は解除されたとか、でも、これからもクレグレモお気をつけください。コロナは消滅したわけではないというのは、言うまでもなくみなさんご承知のことと思います。
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by karihaha
| 2020-05-25 21:57
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10月に入ると小・中・高校生たちにとって待望(?)の秋休みに入ります。 前期と後期のはざまのこの休みは3月から5月にかけての、2か月間余りの夏休みに比べ短いのですが、それでも1か月近く休むところもあるようです。
そこで秋休みに入る前に。ご無沙汰している子どもに会いに行ってみようと思いつきました。 そのついでに、いま一番現状を気にかけているNamuuにも会いに行ってみよう。 彼女はこの5月からまた新しい財団に引き取られ、その責任者と会ってみると、親戚でもない私は年に1回だけクリスマスシーズンに面会が許される、支援金や品物は財団になら受け取るが、個人的には許可されないと、とてものことに理解できない通達をされたことがあります。 それゆえ、前回行ったように、学校の昼休みにこっそりととも考えたのですが、その財団から同じ学校に通う生徒たちも多く、校内放送で大々的に呼び出されるとチクられてしまうのでは、との危惧もあります。 でももう3か月間近く会っていません。『エーイ、ままよ』と行くことにしました。 まずBaanですが、当初は大反対でしぶしぶスタートした支援ですが、いまとなってはこれで良かったと思わせてくれます。 毎月2,000バーツ、生活費として借りられる政府系奨学金ですべてを賄っているそうです。でもその食事内容は毎日のようにインスタントラーメンとか。栄養面では勿論心配です。 でも6人部屋の同室の少女たちにも会ったのですが、小さいころあれほど排他的だったBaanがみんなと仲良くしている様子には、心底ほっとしました。 そしてNamuuですが、いつもながらに親切な先生方がすぐに対応してくださった、呼び出しの校内放送で久しぶりの再会です。 やはり危惧したように、他の財団の子どもたちと違って(父兄であれば面会と送金は許されるようです)金銭的サポートをしてくれる人もなく、身の周り品も買えない状態だそうです。 彼女自身はその財団を出たがっていますが、いまは中学2年の1学期、2学期から受け入れてくれるような学校もないだろうから、我慢するようにと言うのが精いっぱいです。 高校1年からなら何とかなるかもしれないからね。と言ってはいるのですが。。 そしてAhtitからは父親の葬儀を終えて職場に戻った日に電話がありました。 疎遠であったとは言え、一応お悔みの言葉のあとに、「お母さんはどうだった?」と聞くと、「すごく喜んでいた」と。 は!? 聞き間違いかと、もう一度聞いてみると、確かに「喜んでいた。 もうこれで迷惑をかけられることもないと」。 確かにそういう状況ではあるかもしれないけど、これほどアッケラカンとは。。。 まだまだ知らないタイ社会の現実があるようです。 #
by karihaha
| 2016-09-18 18:11
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Ahtitと久しぶりに会いました。 1か月半ぶりぐらいかな? 前日に実家に帰る用事があると連絡がありました。
私の自宅付近のバスターミナルは彼にとって中継地点です。そこで、そのバス停で会い、これもいつものように、次のバスを待つ間付近に食堂でご飯を食べさせがてら、近況を聞きます。 『闘鶏のお父さん』としての仕事は順調なようです。 オーナーは地域の郡役場の職員としても働いている兼業ですが、闘鶏の養育に関しては完全にAhtitに頼りっきりで、鶏さえも、オーナーが入って来てもそれほど興奮しないそうです。ちゃんとエサを呉れる人を識別しているのですね。 学習障がいの彼は今までも随分つらい人生を送ってきていますが、いまの職場では初めてと言っていいほど、自分自身に誇りを感じているようで、それが何より嬉しいことです。 さて、今回のAhtitの帰郷ですが、またしても、という理由があります。父親が急死したと言うのです。 彼の父親は母親と同じ村で住んでいますが、母親とは随分前に離婚しました。 その後、再婚する際に、大事な土地を売り払ってしまったため、母親や姉がお米やトウモロコシという生活の糧を生み出すベースを失ってしまいました。 しかしその結婚もアッと言う間にダメになり、今では村人の家を転々とし、施しで暮らすような生活をしていたようです。 その父親が亡くなったと連絡があったと前日の電話では聞きました。 そして会ったときに原因を聞くと、「よく分からない」と。何か深い事情があるのかもしれません。 お葬式は村人が共同で営むとか。 Ahtitも先月の甥(兄の2才の息子)のお葬式に続き、いくばくかの費用を負担するそうです。 その額は2千バーツ(6千円)。月給4千バーツから今月の分を前借したそうです。 「さすがにそれ以上は無理」とAhtitは言いました。 ニュースを聞いてすぐに帰りたかったけど、お金の用意が出来なかったからと。 あの地の果てとも思える村で細々と暮らす家族にとっては、Ahtitのもたらす現金収入が頼りです。 家族の期待を背に、彼は本当によく頑張っています。 #
by karihaha
| 2016-09-14 15:52
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ここは『ゼロファイター』と呼ばれる、井本勝幸さんという日本人僧侶が経営されています。 井本さんはミャンマーの少数民族地域で第2次世界大戦時のインパール作戦で命を落とした、日本人兵士の遺骨収集をされています。 その経緯を知ったのは私もつい、今年になってからですが、インパール作戦については毎年行われる慰霊祭に参加させていただく等、非常に関心があります。 その兵士の方たちの遺骨収集? この方を知ったのは、チャンネル桜で有本香さんが紹介されたのがきっかけでした。 国会議員や一般の方々のための講演会のビデオで詳しい経緯を知りました。 https://www.youtube.com/watch?v=OrLS9m8a_OQ そんな矢先、友人から井本さんがここチェンマイで少数民族支援の一環として、日本食堂を開いていると聞き、昨夜やっと行くことができたのです。タイヤイ族を始め、少数民族の若者のインカムジェネレーション企画としての店だそうです。 ラーメン、おにぎり、枝豆等々。 当地の日本食堂と変わらぬメニュー名が並んでいます。その単価は驚きの49バーツ(150円)がメインです。 Leoビールは55バーツと酒屋で買うのと同じ値段。 これで利益が出るのかと思うのですが。。 こんな低価格であっても、『支援』になるのなら、こんな嬉しいことはありません。 場所はチャンクラン通りを下り、チェンマイランドを通り過ぎそのまま行くと、通りに面して左側にあります。 Ikoi Ramen, Changklan Rd, A.Muang, Chiang Mai. 日本人も是非応援したいものですね。 #
by karihaha
| 2016-09-11 16:33
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下のエントリーを見たの? まさかね。タイ人だもんね。
同じ支援の受益者でも、母の日に連絡してくる子と、なしのつぶての子が居て、奨学生には「魚心あれば。。」で、評価を変えるかも、と冗談のように書きましたが、一昨日奨学生の一人、高校2年生のMimから連絡があり、訪ねて来たいとのこと。 そして昨日、遅ればせながらの母の日のプレゼントを持って来てくれました。 遅くなったのは道路の真ん中で倒れたあと学校を休んでいた(結局デング熱だったようです)のと、学校行事が重なったからとのことでした。 結局一緒に来た母親そっちのけで、1時間半も話こんでしまいました。 その内容は主に彼女の高校卒業後の進路です。 私からは以前から成績の良いモン族の彼女には医者になって欲しいと思っていたのですが、理科系は嫌いと、文系を専攻しているので、その選択肢もありません。 「メー(お母さん=私)は私が何を専攻したら良いと思う?」と聞くので、まずはチェンマイ大学にチャレンジして、出来れば食いっぱぐれのないであろう経済・会計がいいのではと言いました。 その間、実の母親は黙っています。 彼女はずっと民族服や、今日持って来てくれたバッグのような縫製で細々と生計を立てています。 ↓ S生徒寮の子どもたちからの母の日カード Mimとの話が一段落すると、突如母親がトンでもないことを言い出しました。 「メーがいなかったら私はこの娘をここまで教育をつけさせることは絶対に出来なかった。 そこで、もしメーがずっとタイにいるのであれば、この娘を上げます」と。 彼女には3人の娘がおり、経済的に養育不能ということで、いずれも幼少のころから旧職を含む財団に預けました。 そして2人の娘はまだ財団に留まっています」 「私にはあと2人の娘がいるので大丈夫(!!??)です。メーが年をとって介護が必要になったときにはMimが面倒を見れます」 一方Mimも「私もそうしたい」と言います。 「ウーン。 ありがたい話だし、嬉しいけど、なるべく介護が必要な状態にならないように注意するね」と言うのが精いっぱいでした。 子どもたちには冗談で、「私の将来は面倒見てや」とは言っているけれど、まさか本当にそんなオファーがあるなんて。。 彼らが帰ったあとも心がほのぼのとし、昼間あった日本人がらみの『イヤなこと』に悶悶としていた気持を洗い流してくれるようでした。 #
by karihaha
| 2016-08-31 19:36
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