Buuが退院したと聞いた、それも母親から。
丁度病院に向かっていたバスに電話が。取ると最初は要領を得なかったが、母親がBuuの退院を告げているのだと何とか理解できた。彼女はタイ語を殆ど理解しているようだが、会話となるとまだ苦手のようだったのだが、ちゃんと退院を連絡してきたのにはちょっと嬉しくなってしまった。 それは見舞いに行くたびに、何か変化があったら電話して欲しいと言いおいていたのを覚えていてくれたから。 無責任のように見えて、やるべきことをする、そんな当たり前のことで少し感激してしまった。 おかげで行き先を変更してBuuの自宅に向かうことができた。 家には父親や近所の住人が大勢あふれかえっていたが、父親は晴天にも関わらず日雇い仕事に出ていなかった。相変わらずぼさぼさの頭に焦点の合わない目をして、どうみても薬物中毒者の風情に写る。2年前に初めて知り合ったころは、どちらかと言うと父親の方がBuuを気にかけていたようなのに、最近は無関心で、今回の入院期間中もチェンダオ病院には一度も来なかったようだ。 いまの経済状況、ましてや障がい児を抱えての暮らし向きではクスリなどやっている場合ではないというのは自明の理なのに。。 Buuは1ヶ月前の枯れ果てたような姿から較べるとは少し肉がつき、気分も良いのか声に反応して大きく口をあけて笑い顔を見せてくれる。でもこれからが課題。本音を言えば病院に居るほうがこちらは安心なのだが、日本であれば帰宅など考えられない症状でも、治療費の取れない患者の悲しい運命で、少し症状が改善するとこのように出されてしまう現実がここタイにはあるのも認めざるを得ない。 そんな状況の中、これからも保育園の先生と一緒にどのようにしてBuuを守ってやれるのか。。 ちゃんと電話をしてきた母親の『責任感』に大いに期待したいところなのだが。
by karihaha
| 2013-10-14 00:24
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