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「ガッカリ」

 「うーん、ガッカリ」。 これがいまの正直な気持。

 なぜ落ち込んでいるのか? 実は1,000バーツ盗まれてしまった。場所はとあるNGOの事務所内で。

 その事務所は学校にも行かず、物乞いをしたり、一日中何をするでもないストリートチュルドレンが立ち寄る場所である。そんな子どもたちのシェルターとして、生活支援として、食事を提供したり、相談に乗ったりしているボランティアや職員が頑張っている、子どもにとっての‘オアシス’のような場所。

 今日は恒例のメーサイ行きで、無事滞在許可を延長したあと、その事務所を訪ねた。ボランティアの女性と話しながら、子どもたちの活動を見ることしばし。

 お手洗いに立ち、ふと見ると、私のハンドバッグのジッパーが開いたまま、人気のない事務所の一角にあるテーブルの上に放り出されていた。

 「アッ!」と思いながら、急いで財布の中身を確認する。中には、イミグレーションへの「見せ金」1万バーツが入っている。財布の中には1,000バーツ札がおさまっていたが、一枚づつ数えてみると、1枚足りない。

 うっかりしてハンドバッグを置いたまま、別室に入った間の出来事だった。病院でも一度盗まれたことがあり、それ以来お札は必ず身につけるようにしている。しかし、訪問先でのこの思いもよらない出来事。うかつだった。


 たかだか1千バーツ(約3千円)というなかれ、一食が20バーツでも食べられる国である。額的に痛いのは勿論だが、それよりもっとやるせない気持にさせられるのは、「裏切られた」という感が強いから。

 親や周りの大人の身勝手や都合で物売りをさせられたり、買春に巻き込まれたりする子どもたち。どの子どもを見ても、その後ろにいる大人たちだけが、私にとっては怒りを向ける対象だった。子どもはあくまで犠牲者だった。

 その思いが自然と、子どもたちの本質に目を向けることを忘れさせていた。「環境を変えさせ、将来の指針を示してあげさえすれば万事OK」と。

 しかしそうではないのだ。そんな経験をした子どもの大半には、社会人としてのリハビリが必要なのだ。そうでないと、やはり警戒して付き合わなければいけない子たちなのだと思わせられた今回の一件の後味の悪さ…

 いままでの自分の‘甘い’考え方をあざ笑うような今回の行為や、「蟻のいるところに砂糖をばら撒いたようなものだから」と自嘲的に口にしたことが、「ガッカリ」に拍車をかけた。


 普段の私なら5日分の食費・交通費がまかなえるその額で、盗んだ子は何を買ったのだろうか? シンナー? ガンジャ?

 そのNGOを支援したいと思っている、その気持を萎えさせるような出来事。

 「だからこそ、そんな子たちを更正させるために、支援の手を!」

 世間や、信念を持って活動している人はそう言うだろうな。
by karihaha | 2005-09-27 00:43 | ブログ | Comments(0)
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