Vホームからの入院患者の定番とも言える肺炎。 一度に6人入院したうち、Vホームに戻ったのは一人だけ。一人はS病院に転院し、残り4人があまり軽快しないまま居残っている。
つまり、Vホームの保母さんが交代で来ているわけだが、「やりにくー」と思うのが70%、「楽できる」と思う気持ちが30%で、基本的にはあまりことを荒立てずに、穏便にこの珍しく長い、『共存』の一時期を乗り切ろうとしている。 今回の‘収穫(?)’は、内輪の暴露話が聞けたこと。セームの一件以来、私はVホームに足を踏み入れていない。特に8月にあった、『マニタ女史激怒事件』以降は、恐怖感さえ感じている。もし潜伏しているのが見つかったら、逮捕されるのではないかなんて。 その分、私も負けじと、ことあるごとにマニタ女史の悪口を言っている。これに反論する人が殆ど皆無というのが、女史の恐ろしい毒ガスの毒ガスたる所以。 『普通いるっしょ、一人ぐらい弁護する人が』 あの一件以来、保母さんが病院に来たのは今回が初めてということで、皆なぜ私がVホームに来ないのかと不思議がる。そこで、一連の顛末を繰り返し語ることになる。 すると、保身に汲々としているかにおもっていた保母さんたちからもアウトプットあり。愚痴が出る出る。その中で一番の話題は給料の不公平、次に独裁体制。 「雰囲気暗いよなー。皆ようやってるわ」 と水を向けると、「仕方がない。生活のため」という返事のあとに、異口同音に、あと2年の辛抱という言葉が続く。女史の定年までの月日のことだ。その鬱憤の腹いせのごとく、お世辞にも丁寧とは言えない扱いを受け続けている子どもたちは、運が悪いとしかいいようがない。 実は私も内心、指折り数える日々の『Xデー』は、‘毒ガス’が威力をなくすその日。 でも、その間に、ガスにまかれて息も絶え絶え、あるいは中毒死という人々が、これからも続出するのは確かだ。 私の場合はガス中毒症状というよりは、憤死寸前というところかな。
by karihaha
| 2005-10-13 03:10
| 小児病棟から
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