テンの思いがけない順調な術後の経過は、ようやく彼女の健康に自信を持つきっかけを作ってくれた。
『まだまだわからない、これからもシャントが閉塞してしまったら…』 そう危ぶむ気持もあるが、長いあいだ風前の灯のような彼女の容態を見ていた目には、まるで生まれ変わったかのように映るいまのテンを、思いっきり楽しませてもらう。そのことだけを考えていたいと思っている。 そうして出来た少しの心の余裕。その隙間を埋めるかのように、いまだ解決をみないセームへの想いが埋めだした。 『何とかしなければ。このまま放ってはおけない』 Vホームに入所して以来、彼をホームから出す方法を試してみたが、M女史が私に向けた不当な怒りが、彼をあの施設に引き止めたままにしている。 その後はしばらく静観しよう、私がバタバタしないほうがいい。M女史も大人、子どももをこのような形で人質に取るような見当違いで、非人間的なことは、さすがに反省するのではないか。 もしかしたらGホームの施設長が言っていたように、チェンマイのAホームに引き取られるのではないか、と一縷の望みをつないでいたが、今日現在それも聞こえてこない。 セームとはこの3ヶ月間会っていない。入所当初は、『メーファラン(外国人の母さん)』と、泣き続けていたそうだ。ジョムトンの病院を訪ねて行っていたころには、誰かれかまわず、『メー(かーさん)』と飛びついていっていた甘えん坊の彼だが、圧倒的多数の子どもたちの中での本領発揮もままならないだろう。 会いに行かなかった理由は、私なりに考えた色々な理由があった。まず第一にセームにホームに慣れて欲しかった。孤児であるということは、いずれにしろ集団生活を余儀なくされるケースが多い。そんなときに、中途半端に私が顔をだして里心をつけさせるのも…、 第二の理由は、ホームとの関係が微妙ないま、正式には面会資格のない私が、ホームをうろついていることが、万が一M女史の耳にでも入るのを恐れた。セームに会いに行かなかったということは、他の子どもたちにも会えないことを意味していた。 頼りは時々出会う職員や、保母さんたちの話。誰も彼もが、[元気だよ。マイペンライ]という。彼らの言葉は、あくまでスタッフとして何事もないという意味で、殆ど身内のような気持を持っている私が受け止めるものとは違う、鵜呑みには出来ない。そうは思っても、何も出来ないこの時期は、それら言葉の数々を心の拠り所にするしかなかった。 『会おう』 昨夜決心した。人の噂に頼り、他の人の動きに頼る。その期間中の我慢にも限界があった。夕刻になるのを待って、Vホームに忍び込む。この時間帯であれば、M女史を始め、事務所のスタッフたちも帰宅している頃だろうから。病院からはたった500メートルの距離がこの3ヶ月間は遠かった。 広い敷地の中、出来るだけ裏道を選びながらVホームのある方向へ向かう。私の姿に気がついた、保母さんや子どもたちが手を振ってくれる。HIV感染者で年長の女児が暮らす家から、目ざとく私を見つけた子どもたちが走りよってくる。彼女たちを知ってからもう2年にもなる。 「今日は急いでいるからね」と、手を振り払うようにして感染者の年少者用の家に向かう。 ドキドキしながら家に入り、2階に上がると、5-6人の子どもたちが一人の保母さんといた。この部屋を真ん中にして、左右に子どもたちの寝室がある。向かって右側の部屋では、数人の乳児が新しい鉄パイプ製のベッドに寝かされていた。 ダムはすぐに私に気がつき、擦り寄ってくる。その他の子どもたちは、私が初めて見た子どもたちばかりだった。以前いた子どもたちはどこへ行ったのだろうか? セームの姿も見当たらなかった。 保母さんが、セームは食事をしに行っていると言った。それじゃ、と腰を下ろすと、たちまち子どもたちに囲まれてしまった。先を争って注目を浴びたがる。このホームではいつものことなので、驚きもしないが、この現象も児童心理学上で、何かの名前がつけられていると聞いた。私がネーミングするとしたら、『愛渇望症候群』。 階段を上がってくる音が聞こえ、ドアが開くたびに失望していたが、何人目かで、当のセームがドアを開けた。 「セーム」と声をかけると、きょとんとしている。無理もない。びっくりしたのだろう。 そして、開けたドアをきっちりと閉めた。これは以前にはなかった行動だった。そして、私とは90度の角度に置かれたマットの上に距離を置いて座った。その横には、今日ホームに来たという、6歳くらいの少年がいた。 時折泣きじゃくるのを、保母が「泣かないで、もう少ししたら、家に連れて行ってあげるから」と‘なだめて’いる。ひどい話だ。そんな嘘を言うよりは、抱きしめて上げるべきなのに。 同年輩のセームが帰ってきたことで、その少年が少し活気づいた。しかしセームは硬い表情をくずさない。そのとき、保母が、「セーム、お風呂」と声をかけた。保母について行った、セームはものの3分で戻ってきた。頭も濡れていない、『Vホーム式入浴術』。私が入れてあげればよかった。でも、セームの硬い表情に少し気後れを感じていたのだった。 再び席に着いたセームに、「ここにおいで」と声をかけた。すばやく移動してきたセームを抱きしめる。「元気? メーを憶えている?」。彼からの返答はない。 2人の保母さんに許可をとり、セームを階下に連れていった。 「ゲーム、メーは日本に帰っていたので長い間会いに来れなかったけど、セームのことを忘れたことはないよ。メーもセームもいまはチェンマイにいるので、うんと近くになったから、その方がいいよね」 しっかりと見たゲームは、以前より少し痩せている。そして、何よりも変わったのは、その覇気のなさ。やんちゃ坊主の面影は消え、悲しげな目の男児となっていた。 「また会いにくるからね。メーが家に帰る車がなくなるから、もう帰らないといけないけど、またすぐ来るからね」 「もう暗いね」 ジョムトン病院に通っていた頃、同じことを言って、隠れるようにして帰宅していたのを思い出す。 今日の訪問は、私の今後の行動にエネルギーを与えるためと思って取った行動だった。しかしセームの変わりように、「あのまま盲人といたほうが…」という今回の一連の件に対する小さかった疑念が、どんどん大きくなって、正当性を主張するもう一つの思いと対峙しだしている。
by karihaha
| 2005-10-15 04:52
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