『スマトラ島沖大津波で犠牲となられた方々の検死作業に携わった、女性法医学者、ポンティップ博士の手記の一部を抜粋し翻訳しました。検死担当官の立場として描写された津波発生直後の混乱した現場の状況は、当時の様子を知る手がかりになると思います。原文は、タイ語版‘ネーション誌’658号及び、659号に掲載されています。余談になりますが、ポンティップ博士は、この仕事が一段落したあとは、政府の法務医としての地位からの辞意を表明されていると聞いております。噂では警察関係者との確執が原因とされていますが、個人的に注目している方だけに、残念な思いがしてなりません』。翻訳者
バッド ニュース(悪い知らせ) No.1 毎年新年を迎える今頃は、バーン サムマコンの同じ通りに住む、仲の良いご近所の方々をお呼びしてパーティをすることにしている。12月26日、日曜日、向かいに住む友達がその夕刻パヤオに行く予定があり、それに間に合うよう、近所の子供たちをお昼ご飯に招待していた。 午後2時過ぎごろ、お隣に住むプレーンちゃんの父親、オート氏が走って来て、プーケットで津波があり、相当の被害が出ている上、死者も大勢いるようだと言った。法医学者としてすぐに脳裏をかすめたのは、重大な状況が発生しているかもしれないということである。津波は地震のあとに起こる巨大な波で、一旦発生するとどこでも大きな被害を引き起こしていることを知っていたからだ。 すぐに内務大臣と連絡を取り、内務省として、法務科学委員会にどのような支援体制を望んでいるのか尋ねた。大臣はすでにプーケットに駆けつける途中で、私もすぐチームを組んで急いで現場に駆けつけるように要請した。状況が全く分からない中、何から手をつければよいのかも分からなかった。津波の影響でプーケット空港が閉鎖されているのにどのように行けば良いのか?幸運なことに、今年、法務省の要請で、空軍防衛大学で学ぶ機会があった。そのとき知り合ったクラスメートは全員が軍の高官たちだったので、彼らを通じて軍機‘C130’が最初の救援機として、間もなくバンコックからプーケットへ飛び立つという情報を得た。急なことで間に合わないかもしれないが、いずれにしろ、ハッキリとしたスケジュールを調べて連絡する、と約束してくれた。 慌しいなかで、チームメンバーを8人だけ集めることが出来た。その中には法医学者も2人含まれていた。全員がかろうじてプーケット行きのフライトに間に合った。乗り込んだ便はニュースを報道しようとするジャーナリストたちで一杯であった。皆が、プーケット着陸が可能なのかと不安感を覚えていた。プーケット空港の背部にまで津波が押し寄せたことにより、離陸時点では飛行場はまだ閉鎖中であったからだ。 プーケット空港に着いた時の一番の問題は、プーケット市内間の電話網が壊滅状態で、市内間の連絡がつかなかったことだ。プーケット域外に電話するのもDTAC(数社ある携帯電話会社の一つ)だけが使用可能であった。そのためDTACを使い一旦バンコックかハチャイ(タイ南部の主要都市)に電話し、そちらの責任者から、プーケットの責任者に用件を伝えてもらう方法をとった。そのような方法で私たちの出迎えに来てくれた人とやっと連絡が取れた。その人物はコーカイ氏と名乗り、ハチャイの実業家ケーウ氏が急遽手配して呉れた友人である。偶然知り合ったケーウ氏には以前から何かとお世話になっており、つい最近もタイ南部のイスラム教徒の鎮圧で多数の死者が出た時にお会いしたばかりである。今回も、もしプーケットに、宿泊施設の手配等でお手伝いしくれるような知り合いがいれば紹介して欲しいとお願いしていた。出迎えてくれたコーカイ氏自身もプーケットで手広く商売をしている実業家である。 プーケットに着くと、まず県庁を訪問した。そこで被害状況を知りたかったのと、何をする必要があるのかを把握したかったからである。その時初めて、津波に関連するもう一つの重大事件を知ることになった。皇室の第一王女のご長男、プム ジェンセン氏が行方不明で、総力を挙げて緊急に捜索をしている最中であるとのことであった。タクシン首相も総指揮を取るため、その夜プーケットに向かってくることになっていた。プーケットの被害状況の概略と同時に、パンガー県も被害が酷いという事を知った。しかしプーケット、パンガー間の電話網が壊滅状態のため、詳しい状況の把握は不可能であった。居合わせた軍総括司令官のポーチン氏が、パンガー県の救援のため、チームメンバーを2つに分けるように要請した。同県の被害状況が不確定であるということもあり、私自身がパンガー県へ出向くことにした。私以外には、部下が一人と、軍の世話係が一人同行することになった。持ち物といえば、私がいつも持ち歩く私物の仕事道具だけであった。 コーカイ氏がドライバーとしての労を取ってくれた。最初の病院に着き目にした光景に心が痛んだ。外国人の負傷者が大勢いたからだ。建物内だけでは収容しきれず、芝生や、道路、さらに歩道にまで無秩序に横たっていた。そこで見かけた遺体は2体。一体は外国人、もう一体はタイ人の子どもであった。病院によると、ラムケン寺では、野外に置かれた検死待ちの遺体が何十体も安置されているということであった。 仕事を始めたばかりであるが、募る不安感に押しつぶされそうになった。外国人旅行者の遺体は、衣類の一部が剥がれ落ち、全身に擦り傷がある。これは波に押し流された際に漂流物に強くこすったためであると推定できた。口や鼻の周りには出血の跡が残り、着衣には砂がびっしりとついていた。被害者は波に押し流され、海底にこすり付けられたか、海岸の砂地に強い力で打ち上げられたのだろう。遺体は苦痛に満ちた死を物語っていた。軍医の一人が救援活動に参加したが、彼自身の恐ろしい体験を淡々と語ってくれた。 この軍医は、惨事の直前までゴルフをしていたが、たまたま海辺のホールにいたとき、海の水位が急速に下がるのに気がついた。水位の低下により、地表が現われ、腕の長さほどの魚がもがいているのも見えた。珍しい光景にしばらく興味をひかれていたその時、遠くから大きな波が押し寄せてくるのを見た。皆が、チリヂリになりながら、安全な場所を求めて全速力で逃げた。軍医の部下でキャディをしていた男は、逃げても間に合わないと分かると、ココナッツの木によじ登り、しっかりと摑まっていたため一命を取り留めたが、走って逃げた人々の多くは津波の犠牲となった。軍医自身の身体にもいたるところに擦過傷があり、このことは水に飛ばされた砂の勢いのすごさを物語っている。 その夜は30体ほどの遺体を検死し、DNAサンプルを取り終えたのは午前3時を過ぎていた。関係機関に連絡するにも電話網が不通ではそれも叶わなかった。その夜の宿舎を捜す時間であったが、タクワパ郡は海沿いのリゾート地であるため、高級ホテルはすべて津波で押し流されていた。タイムアン郡にある、パカランリゾートに一度宿泊したことがあるが、このホテルも海沿いに建てられていたため、全て波にさらわれた。リゾートのオーナーによると、何一つ残らなかったということだ。タイムアン郡市内には泊まれるようなホテルが一軒もない。海沿いのバンガローがあるにはあったが、全て波にさらわれてしまっていた。幸いなことに、村の代表議員が宿泊施設を提供してくれた。このような場所で一夜を過ごすとは思っていなかったので、バスタオルの用意さえしていなかった私は、それを郡の警察署長にお借りしてしのいだ。 翌朝、朝6時ごろには既に起床した。その日からの深刻な任務を考えるとあまり眠れなかった。コーカイ氏がハンドルを握り、タクワパを目指した。地元テレビ局、チャンネル5のリポーターも同乗した。彼の持っていたDTACの携帯電話のお陰で、県知事事務所と連絡が取れた。秘書を通じて、県知事の要請として、タクワパの病院に多くの遺体があるので寄るようにと聞かされた。しかしその病院に着くと関係者が、遺体は全てヤーンヤウ寺に安置されていると言ったので、そのまま寺に向かった。そこでは数え切れないほどの遺体が手付かずのまま安置されていた。 私は、とにかく仕事を始めることにしたが、何から手をつければよいのか分からなかった。やることが多すぎた。その上、スタッフと言っても同行した2人しかいない。
by karihaha
| 2005-03-04 20:38
| スマトラ島沖大津波
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