2005年 09月 12日 ( 1 )

ゲームのいとこと

 今日はS病院のゲームを訪ねてみることにした。ひょっとして、母親がまだ付き添っているかもしれない。それならば、常々少し話してみたいと思っていたことが実現するかもしれない。

 しかし、その可能性の薄いことは分かっていた。でも、行けば少なくともゲームの今の状態はわかるだろう。


 テンがいたところとは対角の病棟にゲームはいた。母親の姿は無かった。日本から送っていただいた玩具をにぎって遊んでいた。

 N県立病院の小児病棟では、彼のことを知らない人はいない。でもここではポツンと咲く野生の花のように、孤独な存在となる。

 しばらくあやしていると、一人の顔見知りの女性が声をかけてきた。ゲームのおば(だと思っていた)だった。病棟やICUで数回顔を合わしたことがある。

 母親がいないなら、‘おば’に話を聞いてみようと、病棟を出てすぐ見つけた長いすで話を切りだした。

 ゲームの両親は? 彼を引き取るつもりがあるのか? なぜ病院に来ないのか?

 
 その女性は、ゲームのおばではなく、自分の母親がゲームの父親の姉、つまりゲームにとってはいとこだと自己紹介した。彼女にとってはおじにあたる、ゲームの父親は25歳、彼女より年下だと笑った。

 ゲームは再婚した現在の妻との間の子どもだが、その他にも何人も愛人がいて、子どもも数人いるという。

父親は市場の保安員として働いているが、ゲームが生まれたときから全く無関心(!)。母親は特に仕事をしていないが、時には父親の仕事を手伝うこともあるそうだ。

 ゲームのいとこに聞いても意味が無いのかもしれないと思いながら、「二人にはゲームを育てる意思があるのかどうか」と聞いてみた。

 「少なくとも母親にはあるようだ」と答えたいとこ。

 彼女にも1歳10ヶ月の娘がいる。遠隔地からチェンマイまで仕事に通う日々という。

 「ゲームの両親は貧しくて」と言うが、私の見る限り、少なくとも山岳民族の人々は経済的余裕がある人などはいないと思う。でも、子どもには日夜付き添っている。そんな人が大半だ。

 「Vホームに相談に行っても、ゲームの場合話には乗って貰えないと思いますよ。健全な両親が揃っているのだから」

 そんな言葉が口まで出かかったが、止めた。余計な提案になるかもしれない。


 「M(私)がここに来てくれるかどうか、母親とも話していたんですよね」と彼女。

 「私が今日ここに来たのは、ゲームが気になったからで、ゲームの両親の手助けをしようというつもりではないんです。粉ミルクを買ったりしているのも、見るに見かねているからです。その辺の誤解がないように伝えてください」

 私の怒りはそんな言葉で表現しきれるものではないけれど…


 親という以前に、人間として付き合える人かどうか、親になったことがない私には、その点が重要なことだ。

 テンのおばも「難儀な人」ではあるが、少なくともテンを愛しているのは分かる。その一点で私たちは二人三脚のパートナーとなれる。


 ゲームの存在の儚さ。誰よりもサポートを必要としている彼の将来。それらの問題を解決できるのは両親しかないはずなのに。
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by karihaha | 2005-09-12 00:08 | ブログ | Comments(0)